今回のブログは、4月6日に開催した「明大土曜会」での重信房子さんと重信メイさの「パレスチナ問題」についての発言である。
重信房子さんと重信メイさんの親子が、「パレスチナ問題」について一緒に発言するのは初めてではないかと思う。
「パレスチナ問題」を捉える視点や、ガザの状況、日本でできるパレスチナ支援などについて語っている。

重信房子さん
パレスチナ問題については、一度ここ(明大土曜会)で話す機会がありました。そこでも強調したのですが、パレスチナ問題は10月7日に始まったのではない。パレスチナ問題を10月7日から捉えるという観点は、アメリカとかイスラエルとか、それに追随する日本政府の考えではあるんです。でも、このパレスチナ問題が起こったのは、(イスラエル)建国以来、抑圧されて差別されてきたパレスチナ人たちの声がなかなか届かない。その結果として民族浄化で、これでもう本当に生きていけないという状態になった時に、絶望ではなく闘いを取った、それに過ぎないんです。ですから始まりではなくて弾圧の結果としてそれが起こったんだという、その視点をまず持っていただきたいということを話しました。
それからもう一つは、「ハマスとの闘い」、「テロとの闘い」、これはそうではありません。パレスチナの全武装勢力、全解放勢力がガザから起ち上がらざるを得なかったから戦ったのです。あれにはイスラムの建国を綱領としているハマスとは違う、民主国家建設を求めるPFLPとか、マルクス・レーニン主義組織ですけれども、そういう人たちも協同して、もうこれではやっていけない、そういう中で立ち上がったんです。
その一番のシンボルだったのが、ネタニヤフが去年の9月の国連総会で地図を掲げて新しい中東を作ると、その地図の中にすでにパレスチナは消されていたんです。その事実が、やはりパレスチナの人たちが立ち上がらなければと思った理由と言えます。
今でもアメリカは、そしてドイツは「自衛だ」という形でイスラエルを擁護しています。これはユダヤ人自身からも「おかしいんじゃないか」と言われて、本当に目の前でアルジャジーラなどの記者たちが命を懸けて現実を伝えているんです。それを日本の茶の間にいてもテレビでもネットでも見ることができるんです。その中で人々が「これは虐殺だ。ジェノサイドだ」と分かるんです。にもかかわらず「これは自衛である」ということが、ずっと続いてきた一つの論理なんですけれども、それが今少し壊されつつあるんです。
それは誰によってなされたかと言うと、「マンデラの子どもたち」なんです。南アフリカの人たちが、ずっと人種差別、アパルトヘイトに対して闘ってきました。マンデラがガザに来たことがあります。その時に彼が言ったのは、パレスチナの人たちが和平を開いたことに対して、「オスロ合意」不十分ではあるんですけれども、「パレスチナの人たちはとても寛容だ。それを私は本当に支持します」と言うと同時に「こういう状況の中で武装闘争を選ぶということは、一つの選択として私は支持します。私たちにはパレスチナに自由がない限り私たちの自由はないんです」ということをはっきり言って、パレスチナをずっと支援してきました。その志を受けた「マンデラの子どもたち」、今の政府の人たちが国際司法裁判所に提訴したことによって、少しずつ動きが変わってきました。南アフリカと並んだ「グローバルサウス」と言われるいろいろな国々が支援しています。国際司法裁判所は「ジェノサイドに係る一切のことをイスラエルは責任を持つべきだ」という暫定判決を下したんですね。
そのことによってイスラエルは反撃するために、UNRWA(国連パレスチナ難民事業機関)の組織の人間の十何人かが10月7日のテロに加わったという口実を使って批判しているんですけれども、それは国際司法裁判所の判決を違う局面に、情報戦で転換するためです。彼らはずっと最初からUNRWAという、UNRWAはパレスチナの難民問題を扱っているんですけれども、イスラエルとアメリカは難民をなくすというのは、今住んでいる難民の国々、シリアだとかレバノンだとか、その国の国籍を取って難民問題を終わらせろというのが主張なんです。この機にイスラエルが考えているのは、もう難民問題を終わらせようと、つまりガザの人たちを北から南へと追い出して、エジプトに押し出した後にエジプト国籍を取ればいいじゃないかみたいな論理を作ろうとして、ずっと今ターゲットにしているんですね。
何万人もいるUNRWAのスタッフのうち、十何人が(10月7日に)参加していた、していないにもかかわらず、そんなことは(拠出金を)止める理由にならないんですけれども、証拠も無しにアメリカがすぐに拠出金を停止し、日本も停止しました。そして4月2日に日本は再開すると言っています。ただ、それだけで非常に資金が枯渇し飢餓が蔓延している中で、パレスチナの連帯の声が今本当に必要なんです。
この間、日本の中でも、いろんな形で、あまりにもひどいので、主義主張は分からないけれども人が殺されている、これは許されない、そういう形で若い人たちがずいぶん集まってきています。最近の3月30日の「土地の日」の集会には、全国の北海道から九州まで各地で大小の連帯の行動がありました。「土地の日」というのは、イスラエル領内に住むパレスチナ人の土地を奪われ、奪われ、奪われてきたので、何とか阻止しようということで1976年にゼネストをやったんです。それに対してイスラエルが銃弾で弾圧して、6人が殺され何十人もが怪我をしました。それを被占領地や、他のところにいるパレスチナ人たち全員が怒って起ち上って、そして土を取り戻す日にしようということで、3月30日を「土地の日」と決めていました。そして、世界中の人たちがパレスチナ連帯の日として3月30日に連帯をしています。
東京では新宿駅を取り囲む「新宿円周ラッピングデモ」をやりました。それが終わって、集合が南口だったので、南口に移動したときに、「フリーフリーガザ」という声が聞こえて、そして揉めていて、見たら、筋肉質の男たちが憮然とした表情で出てきて、これはパレスチナ人じゃないな、誰だろうと思ったら、後で知りましたけれど、イスラエルの柔道家が妨害に来ていたんです。その人たちのうちの一人が、ネットで、自分たちは「柔道着を奪われた」とか「殴られた」とか言っている。実際は反対なんですよ。ちょうど在日パレスチナ人たちも南口にいたんです。ラッピングデモの参加者たちに「ハマスの協力者だ」みたいな形で、何でもハマスにすれば日本人は手を引くと思って、「ハマス、ハマス」と言うのに対して「違う」と話をしていた時に、突然バックを開けて柔道着を着て構えたり、いろいろ向こうはパフォーマンスをしていたようです。それをネットでは「柔道着を盗まれた」とか、全く反対の話をしているので、主催者側の団体名で、柔道連盟に対して、こういう事実に対してどう考えるのかという声明を出すようです。このように、日本の中でも皆いろんな形で協力しているので、皆さんの報告とパレスチナの問題が一つに繋がるような形で、さらに若い人たちの力に期待していきたいと思っています。
最後に『パレスチナ解放闘争史』ですが、これは去年書こうとして書ききれないうちに10・7の事態が発生したので、慌てて作りました。これはパレスチナの解放闘争史で、1916年から2024年まで100年以上なので分厚くなりました。「字が小さい」という苦言がなされていますが、いろんな人から「これはパレスチナ問題の辞典ですね」という嬉しいお褒めの言葉と同時に、力仕事のことを言っているように「力作ですね」と言われています。値段が高いので、皆さん伝えたいのは、図書館に行った時に、「この図書を置いてください」とリクエストしてください。そうすれば買えない人に読んでもらえます。本の中に、何でこんなことが起こったのかという歴史が書いてあります。
長くなりましたがこれで終わります。
※当日販売した『パレスチナ解放闘争史』のサイン本は10冊が完売しました。
参加者A
私も3月30日の「ラッピングデモ」にいました。イスラエルの柔道着を着た連中が邪魔した時に遭遇して、明らかにオリンピックの選手じゃないかと思うんです。イスラエルの国旗とオリンピックのマークが付いた柔道着を着ていましたから、個人的に来たんじゃなくて、バックがあるような感じがしましたね。
ただ、パレスチナの人たちは冷静に対応していたので、挑発に乗らずに押し返したというのは、周りで見ていて非常によかったと思います。
参加者B
オリンピックが「平和の祭典」では決してなくて、ナショナリズムの昂揚のために用いられている証左でしかないわけです。
私の大学の所属しているゼミで、重信さんの『パレスチナ解放闘争史』の輪読が決まりました。
重信メイさん
みなさん、どうもこんにちは。
今アルジャジーラで仕事をしているのですが、短い間別の映画の仕事で(日本に)来ています。
私は、日本でどのくらい中東の、特に今のガザのことが報道されているのか、把握していないです。日本でも最初のころは注目があって報道されていたのは覚えています。今のパレスチナの状況がどの位伝わっているのか、どこから話したらいいのか把握して無いです。最初の頃は自分のツイッターに、なるべく情報と現地の映像を載せていました。でも、そのうちものすごく生々しい映像しかない状態になって、これを日本人向けに載せていいのか迷いました。私はその様なガザの映像や写真を見ざる得ない立場ですけれども、それを見た普通の人はどのくらい耐えられるか、と迷ってしまう程生々しいものしかないのです。
今回ガザで起こっているイスラエル攻撃は、国際社会が決めたジュネーブ協定での戦争のルールというのを全て無視しています。例えば、病院、学校や、避難所は攻撃してはいけない、民間人は巻き込んではいけない、民間人ではなくても捕虜は傷つけてはいけない、などあります。それらが完全に無視されている、ルール無しの戦争、占領になっている。イスラエルの戦争犯罪です。
本当にルール無しという例で言えば、今まではウクライナ戦争でも、どこの戦争にしても、病院が攻撃されるというのは大事件で、大きく批判されニュースになるのに、今回はガザにある36の病院がすべて空爆されて、ガザの最大医療設備であるアル・シファ病院は空爆だけではなく、イスラエル軍に支配され、中にいた医療関係者や病人を含むパレスチナ人は拷問され、逮捕され、人間の盾にされ、ついに多くの人は殺されているのです。
そのうえ、イスラエルのドローンが何百個もガザの空から1ミリごと監視しているのです。なので、今回のNGO(ワールド・セントラル・キッチン)の人たちが7人殺された事件も、「ミステーク」、間違っていたとイスラエル政府は言っているけれども、有り得ない話です。関連で言うと、ガザからどの記者がマイクを持ってカメラに向かって話をしていても、常にドローンの音が聞こえてくる。イスラエルは、暗殺や、スパイしているときに使う、音がしないのも使っているのです。でも、ガザでは常にドローンの音がするというのは、精神的に「ガザを24時間ウオッチしているぞ」という意味を含めて、煩いドローンを常に飛ばしているのです。1ミリも見える監視がイスラエルのテクノロジーではできるのです。ガザの土地をグリッド(格子)状にして、全部監視しているのです。その中で、病院に避難している人たちや、出入りしている人たちが狙われて殺されたりしています。「中にハマスがいる」、「ハマスの指揮所がある」という出鱈目の言い訳で、中にいる病人や避難民を殺すだけではないのです。
最近SNSで時々ガザの北部からの映像出ているので見ているとは思いますが、今人々は意図的に飢餓状態におかれていて、多くの人が餓死する恐れがある中、イスラエルはさらに食料援助が入らない様にしているのです。
米国はイスラエルにガザの人々を殺す武器を提供しながら、援助物資を空から落として、その援助物資を必死で取りに行こうとするパレスチナ人をイスラエルがドローンで攻撃しているのです。有り得ない、本当に信じられない、今どきこんなことがカメラに映っているのに何も出来ないなんて…。
世の中も見ているし証拠もある戦争犯罪・ジェノサイドがあるにもかかわらず、誰も何もできないということが、私には不思議でたまらないのです。最近では、イスラエルの虐殺による集団墓地が北部の病院の敷地で暴かれました。400人以上のパレスチナ人が、縛られたまま、拷問のあとも示されたまま埋められていたのです。中には生きたまま埋められた犠牲者もいると、ガザの医療関係者が発言していました。
いくらアメリカがイスラエル・ロビーに握られていると言っても、これはあまりにひどい、やりすぎじゃないかという流れにならないのが不思議。(以来、4月下旬から米国の64の大学でイスラエルのジェノサイド反対・米国の関与反対運動が広がっています)
今回(3月25日)アメリカが拒否権を使わなかったことで通った国連安保理の決議案ですが、「この決議案は拘束力のない決議だ」とアメリカは勝手に決めつけている。要するに、この決議案には実効力がないことを暗に示している。イスラエル非難に強制力を持たせないための発言なのです。アメリカは常に拒否権を使うことによって、絶対的に国際社会がイスラエルを止める手段にならないようにしている。
今、日本の人たちが頑張ってくれている。イスラエルはIT産業が中心で、ハイテク部門はGDPの18.1%を占めている。監視技術を含むイスラエルのハイテク分野は、2022 年のイスラエル輸出全体の 48.3% を占め、総額は 710 億ドルに達した。IT産業がこの成長に大きく貢献していて、占領下のパレスチナ地域は、イスラエルの軍産複合体が開発した最新兵器や監視技術の実験場となっている。今のガザの攻撃が続くためには、自分たちのIT産業の成功とアメリカからの援助と武器が入いることが必要です。ドイツ、イギリスや、フランスは武器も提供をしているけれど、イスラエルが作っている(武器の)パーツも提供しているのです。日本もそうです。
今、世の中の注目がガザに集中していますが、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区でも一般の人がイスラエル兵や、違法(イスラエル人)入植者に殺されたり攻撃されたりしているのです。イスラエル兵が占領を監視するためのジープの中からパレスチナ人を撃ったり殺したりしているのです。今まではジープから出て撃っていたのですが、車輌の上にロボティクスのパーツを載せて、ゲームの様に車輌に乗ったままパレスチナ人を狙って打つことが出来るようになったのです。このパーツは日本の企業から買っているのです。テクノロジーがこの様な武器に使われているので、市民レベルでそれらを止める活動というのが大事だと思います。最近、日本の市民が伊藤忠とイスラエルの軍需企業エルビット・システムズとの間の協力を止めた。(「伊藤忠はイスラエルの“死の商人”エルビット・システムズと手を切れ!」の署名運動が功を奏し、伊藤忠商事がイスラエルの最大手軍需企業エルビット・システムズとの協力覚書を中止することを明らかにしました)。
南アフリカのアパルトヘイトを国際社会が経済的に、軍事的制裁によって苦しめて停めたように、一番今効果があるのはボイコットです。イスラエルに製品を輸出しない、輸入しない、日本政府もイスラエルのドローンを買わない、日本国民もイスラエル商品を買わない、イスラエルの武器に使われていないテクノロジーも、ボイコットするという方向に持って行くのが大事です。
原則的に、どんなグッズであっても、イスラエルの物を一切買わない、イスラエルの経済にお金を入れないようにすることです。経済的に苦しめる事で武器を発展させないということを、どの国もやるべきだと思います。今、国のレベル、政府のレベルで何も出来ないのだったら、市民のレベルで出来ることをやるべきだと思います。この様なことをイギリスやオランダの市民も考えて知恵をつかっている。イギリスでは最近、ジェノサイド「防止策」としての輸出停止を求める書簡に600人以上の著名弁護士が署名。イギリス政府がイスラエルと関係を持つのはジェノサイドに関わっていることで、「直ちに停止するべきだ。イギリス政府もジェノサイドの戦争犯罪の裁判に訴えられる!」、ということで、市民が政府を監視していることを示している。政府は、国民が国家政策に関して無知だとなんでもやりたい放題だけれども、国民、市民の人達からこの様な要求があると、少しずつ変わっていくと思います。日本でもそうですが、市民が見ている、市民が追及してきているというのを(政府が)見る様になると、変わってくると思うのです。市民追求のお陰で、最近オランダ、カナダ、スペイン、ベルギーもイスラエルへの武器輸出を停めたのです。
日本でも市民レベルで頑張っているお陰で、イスラエルとの経済的、政治的国家関係が変わっていくと思います。それをもっと広めて、武器だけではなく、日本に入って来るイスラエル産商品すべてをバーコードでチェックして、戦争犯罪、ジェノサイドに賛成しない国民として消費しない様にするのが今は大事です。イスラエル産の商品やイスラエルを経済的にサポートしている商品やサービスがチェック出来るアプリケーション「No Thanks」があります。バーコードを翳すだけでわかる様に出来ていて、とっても簡単です。イスラエル・ボイコット商品一覧も見られて、さらに詳しくイスラエルとの関わりが知りたい場合は、商品名をクリックすれば良いだけです。これらは個人レベルで買わないだけではなく、それを宣伝すること、「これはイスラエル商品・イスラエル政府や軍に資金を出しているので、買わないようにしよう!」、という運動もやっていけるのではないかと思います。
【重要なお知らせ 「野次馬雑記」の今後の運用について】
ブログ「野次馬雑記」は、2024年6月1日より、若手の大学研究者との共同管理に移行します。
ブログ管理人もそろそろ後期高齢者の仲間入りをするということもありますが、若い世代の方にブログ記事を「記録」として引き継ぎ残していくことが重要ということから、今回の共同管理という判断に至りました。
ブログ「野次馬雑記」は、2007年にヤフー・ブログに開設し、その後ヤフー・ブログの廃止によりライブドア・ブログに引っ越しをしましたが、今までの17年間で総計45万を超えるアクセスをいただいています。
多くの方から、このブログの記事は貴重なものなので、持続的にネット上に残して欲しいという声をいただき、大変ありがたく思っております。
今回の若手研究者との共同管理への移行により、こうしたご要望に応えられるかと思います。
このブログでは、1970年前後の新聞記事や雑誌などを題材に「あの時代」の記憶を記録するとともに、「明大土曜会」の活動紹介の記事などを掲載してきました。その基本方針は今後も維持しますが、若手研究者の新たな視点での記事が加わることによって、多様性のある内容になると思います。
今後ともブログ「野次馬雑記」、よろしくお願いいたします。
【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!好評につき重版決定!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月19日刊行
「模索舎」のリンクはこちらです。
なぜジェノサイドを止められないのか?
因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。
獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。
ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)
【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込
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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』
目次
第一部 はたちの時代
第一章 はたちの時代の前史
1 私のうまれてきた時代/2 就職するということ 1964年―18歳/3 新入社員、大学をめざす
第二章 1965年 大学に入学した
1 1965年という時代の熱気/2 他人のための正義に共感/3 マロニエ通り
第三章 大学生活をたのしむ
1 創作活動の夢/2 弁論をやってみる/3 婚約/4 デモに行く/5 初めての学生大会/6 研連執行部として
第二部 明治大学学費値上げ反対闘争
第四章 学費値上げと学生たち
1 当時の牧歌的な学生運動/2 戦後民主主義を体現していた自治会運動/3 話し合いの「七・二協定」/4 田口富久治教授の嘲笑
第五章 自治会をめぐる攻防
1 スト権確立とバリケード――昼間部の闘い/2 Ⅱ部(夜間部)秋の闘いへ/3多数派工作に奔走する/4 議事を進行する/5 日共執行部案否決 対案採択
第六章 大学当局との対決へ
1 バリケードの中の自治/2 大学当局との激論/3 学費値上げ正式決定/4 収拾のための裏面工作/5 対立から妥結への模索/6 最後の交渉と機動隊導入
第七章 不本意な幕切れを乗り越えて
1 覚書―二・二協定の真相/2 覚え書き(二・二協定)をめぐる学生たちの動き
第三部 実力闘争の時代
第八章 社学同参加と現代思想研究会
1―1967年 一 私が触れた学生運動の時代/2 全学連再建と明大「二・二協定」/3 明大学費闘争から再生へ
第九章 社学同への加盟
1 社学同加盟と現代思想研究会/2 現思研としての活動を始める/3 67年春、福島県議選の応援/4 今も憲法を問う砂川闘争/5 あれこれの学内党派対立/6 駿河台の文化活動
第十章 激動の戦線
1 角材を先頭に突撃/2 10・8闘争の衝撃/3 三里塚闘争への参加/4 68年 5月革命にふるえる/5 初めての神田カルチェラタン闘争―1968年6月/6 68年国際反戦集会の感動
第四部 赤軍派の時代
第十一章 赤軍派への参加と「七・六事件」
1 激しかったあの時代/2 1969九年の政治状況/3 4・28縄闘争/4 赤軍フラクション参加への道/5 藤本さんが拉致された、不思議な事件/6 7月5日までのこと/7 69年7月6日の事件/8 乱闘―7月6日の逆襲/9 過ちからの出発
第十二章 共産主義者同盟赤軍派結成
1 女で上等!/2 関西への退却/3 塩見さんらの拉致からの脱走/4 共産同赤軍派結成へ
第十三章 赤軍派の登場と戦い
1 葛飾公会堂を訪れた女/2 「大阪戦争」/3 「東京戦争」/4 弾圧の強化の中で/5 支えてくれた人々/6 前段階蜂起と組織再編/7 大敗北―大菩薩峠事件/8 初めての逮捕――党派をこえた女たちの連帯
第十四章 国際根拠地建設へ
1 前段階蜂起失敗のあと/2 よど号ハイジャック作戦/3 ハイジャック闘争と日本委員会/4 深まる弾圧――再逮捕/5 思索の中で
第五部 パレスチナ連帯と赤軍派との乖離(かいり)の中で
第十五章 パレスチナ連帯の夢
1 国際根拠地パレスチナへ/2 赤軍派指導部の崩壊/3 森恒夫さん指導下の赤軍派/4 パレスチナへの道
第十六章 パレスチナから見つめる
1 ベイルートについた私たち/2 統一赤軍結成/3 アラブの私たちー―赤軍派との決別/4 新党結成の破産/5 アラブから連合赤軍事件を見つめて/6 連合赤軍の最後とアラブの私たち/7 新たな変革の道を求めて
【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。
●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は5月24日(金)に更新予定です。
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