劇作家の唐十郎氏が5月4日に亡くなった。寺山修司とともに1960年代のカウンターカルチャーとしてのアンダーグラウンド演劇を担った方である。
私は残念ながら唐十郎氏の「状況劇場」の芝居は観たことがない。
1970年の明大和泉祭で「状況劇場」の「少女都市」が上演されたことがあるが、ちょうど70年安保闘争の最中であり、芝居を観る余裕がなかった。

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ただ、唐十郎監督の映画は観たことがある。
『任侠外伝 玄界灘』(唐十郎監督1976年ATG)というヤクザが主人公の映画で、安藤組の安藤昇が出演していて、船の上で拳銃を発砲する場面があり、本物の拳銃を撃ったということで、警察沙汰になったということを記憶している。
今回のブログは、「雑誌で読むあの時」シリーズとして唐十郎氏を追悼して、『サンデー毎日』(1972年7月16日)に掲載された「洋子・諦三のリレー対談(第28回)」の記事を掲載する。

文書1

「赤軍派は大陸浪人そっくり」
ゲスト 唐十郎 氏(聞き手:加藤諦三氏)
「僕は夢遊の季節から飛出したので、毎朝顔をみてもふけてないですね。これからもふけることはないですよ」
肉体の衰えをたずねたときの答え。
「地球は丸くなんかないですよ。海の向こうへ行けば、サーッと滝のように海水が落ちてるはずだ」
突如いいだした言葉。
唐十郎と語っていると、なにがなんだか、すべてがわからなくなる。“いわく不可解"な男だが、他人を強力に魅きつける。

<唐十郎氏の略歴>
昭和十七年、東京浅草生まれ。四、五歳ころ、戦後の下町の焼跡を孤児のようにほっつき歩く。学生時代は気ちがいみたいに大まじめ。明大卒業まで、夕方七時半には寝、朝五時に起きてラジオ体操。
こんな暮らしが二十年統いてある日、ハッと目がさめたら世界が違っていた。野口英世を尊敬し医者になろうと思っていたことは、雲、かすみのように消えた。大学を卒業して青年芸術劇場に一年いたが“やめさせられて”テント演劇「状況劇場」をはじめる。現在、同劇団の主宰者、演出家、作家、役者。韓国で上演した「二都物語」が話題になったばかり。

●テレビの映像には背中がない
きようお話しするのは加藤さんですか。
加藤
いやァ、唐さんですョ。(笑)いろんなことをぼくが聞くわけ。北海道公演が終わったばかりなんですって?
風が強くてね。フェリーで青森の港から室蘭に行ったでしよ。トラックに20人ぐらい乗ってんだ。10人オーパーしてんですョ。荷物といっしょだから、人問がぞろぞろ車の外へ出るとばれちゃうんですョ。旅に出ると苦労するな。これ、記事になるとやりにくくなるけど……。(笑)
加藤
旅から旅へテン卜公演てのは、状況劇場の観客動員の目的もあるんですか。
組織動員される観客はいやですからね。偶然、劇場にとびこんでくるお客のほうがいい。だから、学生がこない劇団なんてのは、だいたいダメですね。演劇ってのは、偶発的なおもしろさですからね。明治座でも歌舞伎座でも、弁当をもらっての芝居見物。これは演劇の堕落だと思います。テレビなんかにやられて、足使って出かけていく芸術はすたれてるんですね。まあ、テレビもそのうちダメになるでしょぅけど。
加藤
というのは?
テレビというのは、映像に後ろ姿がないというのが定評ですよ。背中がない。たしかにそう言われればそうですね。まあ都市に生きる人間というのは、多分“孤独な前"みたいなところがありますからね。
そういう人間が、何かしょんベん臭い、場末の映両館に、ふっと寂しくすわってるという感じでね。だから映画が終わっても帰んない客が多いですよ。何にも映らない画面を見てる。
加藤
そういうのを追出すために、映画館のほうで用人棒を雇って「おい、終わったよ、出ろよ、出ろよ」つて言う。
そっ、そうなると演劇になるんですよ。演劇的でしよう、そういうカラクリがはいってくると。
加藤
ぼくは、演劇がよくわからないけれども、劇的ということはどういうことなんですかね。

●劇的というのはさらわれること
劇的というのは、さらわれるということでしょうね。たとえばギリシャ悲劇見ても、オイディプス王が、みずからの運命を占って、みずからの運命にさらわれるということを、あえてやってみせる。それは多分にマゾヒスティックですね。さらわれたいという欲望が人間の中にある。
加藤
ギリシャ悲劇の中に出てくるオイディプス王というのは、自らを自分で知ってるんでしょう。
予見するわけですね。スフィンクスの謎があるわけですよ。
加藤
そうすると、それはストーリーがわかっちゃっている。にもかかわらず・・・。
予見されたドラマですね。
加藤
ドラマが成立するということが、演劇の本質じゃないの。つまりオイディプス王が破滅するということがわかりながらも、なおかつそこで演劇が成立するし、見ているほうもそれを見るられる。
予見されないドラマというのは、ないわけですよ。歴史だって予見されるわけですから。なかなかその進化論風にいかないわけですよね。
加藤
なるほどね。ぼくはちょっと勘違いした。状況劇場みたいなところは、予見されない演劇をやろうというのかと思ったんですよ。それで、いまあなたの口から「オイディプス王」というギリシャ悲劇が出てきたんで驚いたんですけどね。やっばり状況劇場というテント張ってやってる演劇も同じなんですね。
そういう意味では、わたしはたいへん古典的です。原初の歌舞伎、つまり不可視の歌舞伎って言ってるんですよ。歌舞伎は、代代親予が芸を伝えてきた。あれは、念仏踊りから始まってるわけですね。念仏踊り始めた坊主なんか、鎌倉の山かどっかにいて、ある日急に思いを自らの上に発見して、山寺の便所の穴から町へ逃げるんです。坊主というのは、たいがい武家から出家するわけですね。そういう便所から逃げて巷をうろつく坊主が、何で念仏踊りを始めたか、不思議な話でね。
だから、原初の歌舞伎っていうのは、河原という一つの解剖台で演じてたんですね。「オイディプス王」的市民の悲劇のドンテン返しが行なわれる場所は、河原だったんじやないか。
加藤
そうすると、現代の学生運動なんて、みんなオイディプス王的悲劇じゃないかという気がする。成田闘争なんていうのは、ある意味で、みんな負けるのを承知してやってるわけですね。テルアビブも。そこで、何で彼らの行為が成立つかというと、あなたの言う「オイディプス王」的悲劇が予知されているわけだ。
と思いますよ。多分にそれはギリシャ的ですね。つまり、歌舞伎といってもいいけれど。西洋のことを考えた場合は、キリスト教以後の文明よりもキリスト教以前のギリシャあたりをとらえると、たいへん日本的土壌と短絡できたりするんですよ。キリスト教といぅのは、罪の観念がはびこっている。キリスト教以前は、恥の観念しかない。だからオイディプス王は、罪の観念にとらわれて目をえぐったんじゃなくて、恥の観念にとらわれて目をえぐったとみてもいい。
それは観念の問題じゃなくて、風景もギリシャと日本的状況は似てるんじゃないですか。戦争直後、太陽がなぜあんなに明るかったか。ギリシャの空より明るかったと言うけれど・・・。

●文化の範疇にいれられて
加藤
なるほど。ぼくね、世界を歩いて、日本に帰りたくないなと思った場所はーヵ所なんです。
それはギリシャなんですよ。キリスト教のすごい重みが、カラッと晴れちゃった感じで、ドラマティックな人生の悲劇を自ら演じてるわけですよ。だから日本へ帰りたくなぃ。
それもまた二重構造で、だれでも演じられるかというと、まったくそうじゃないでしょう。選ばれたものが演じたわけですからね、「オイディプス王」なんて。
一種のギリシャにおける市民の典型的な悲劇ということで、ドラマティックだったんでしょうね。やっぱりそういう意味では、芸術なんていうのは相対的なものでしかないんです。
加藤
僕は、むしろあの当時の市民はみんなドラマを演じたんじゃないかって思うんですよ。何でもない市民が、オイディプス王と同じように、みずからの人生を劇として生きたんじゃないかという感じを持ったんですけどね。
まああのころは、市民権を得るというのはたいへんなことですからね。わたしなんかも、やっと最近市民権を持ったんじゃないかって、よく意地悪なことを言われる。わたしはまったく気ちがい扱いされて文化の範疇にはいらなかったんですからね。(笑)
加藤
どうですか。文化の範疇に社会がはいれるという過捏を、あぶないと思う? それとも「ザマーミロ」と思う?
何で?
加藤
自分がいままで気ちがい扱いされていて、だんだん文化の範疇に入れられてきて、いろんな賞をもらったりする。その中での自分の心理的な変化というのはありますか。

●台所を直すために賞をもらう
そうですね……ぼくは新宿で飲んでいて岸田賞なんかもらって堕落したなんて言われますけれども、わたしはけしてそうじやないんです。岸田賞だって、フロ場と台所を直すためにもらったんですからね。桃太郎が鬼に行くときキビダンゴをもらったようなものです。
加藤 
さして問題にしてないという・・・。
まったく問題にしてないです。そういう誤解は多いほうがいい。
加藤
誤解されることは、苦にならない?
わたし自身がわかんなくなっちゃうぐらい誤解が多いほうがいいですね。
加藤
かなり自律してるんですね。腹立たしいことはないんですか、他人から誤解されて。
いや、やっぱり偶発的に爆発することはありますよ、酔っぱらって喧嘩したりして。(笑)でもわたしね、誤解の一種の謎の系譜みたいなものをいっぱいこしらえてやろうかと思ってるんですよ。あまリ誤解が多くて、自分が何ものかわからなくなっちゃったりするのは困りますがね。
ブルトンの「ナージャ」の中に出てくる話で、たいへんおもしろいと思ったんですけれども、一人の男がたいへん健忘症で、ホテルにはいって、部屋のナンパーを忘れちゃうんですね。外から帰って来て、必ず何番だって聞くわけです。その次、ボロボロになった男がまたはいってきて、何番だ。さっき上がったばっかりじゃないか。
つまり二階から落っこったというんですよ。そういう健忘症的悲劇というのは、逆に予見されないわけです。予見されない悲劇ですね。
加藤
予見されない悲劇というのは、演劇にはならないわけですか。
予見されない演劇というのは、悲喜劇になるわけですよね。(笑)ですから、それは端役ですね。
加藪
大筋としては、やっぱり予見される・・・。
ダイナミズ厶というのは、予見されたものへ、あえて踏込んで行くんじゃないかって思いますね。予見されるドラマを日本は伝統的に持ってますね。それはフォークを歌ってる若いやつでも…。醤油臭い下宿で、戦争とハトの歌、歌ってる。外は雨。何にもすることないなァ、といつてるインポテンツの少年が、押入れをガラッとあけると、煎餅ブトンの上から化け物がゴロゴロころがってくる。こんな世界を日本人は伝統的に持っています。
だから、僕はフォークというのは嘘だろうと思うんです。何にもできないやつが、雨の向こうを見て、内面には潜在意識としての化物をいっぱい待ってるのが日本人だと思うんです。たとえば、学生運動がなぜ新宿の駅前を占拠することができなかったかというと、向こうを通り過ぎる無名の大衆の、無名の時間というものを徴発できなかったからだろうと思うんです。その時間はどこにあるかっていうと、押入れの中にあるんですよ。
そういった日本人の持っているヌクヌクとした快楽の袋小路に手を突っ込んで、ズルズルと引きずってやるというのが、わたし自身の仕事だろうと思ってるんですよ。

●近代主義は科学の迷妄です
加藤
唐さんの大陸浪人みたいなものへの関心は、そういうところがあって出てくるんですね。
「少女と右翼」の本みたいな。
大陸浪人は一種の胎内回帰ですよ。一種の幼児性。だから右翼なんていうのは幼児なんですよ。大陸浪人の多かった九州の右翼というのは、一番胎内回帰的な態度が多かった。九州というのは中央に反抗してもダメなんですよ。それで大陸に向かって母親の胎内を技し求める。黄泉の国まで行っちゃうという一つの発想なんですね。
加藤
逆にいうと近代主義というのもそうですか。
近代主義というのは、やっぱり科学の迷妄でしょうね。たとえば宮沢賢治の詩を読んだつて、近代的自我の妙なきたならしさがありますよね。風の又三郎が、森の向こうからとんでくる。ザワザワと音がして。そのザワザワつていうのは、少年のザーメンだろうと思うんです。その裏返しの表現で、風の又三郎は、ガラスのマン卜の、ザーメンの透明体だろうと思ってるんですよ。
加藤 
大陸浪人を胎内回帰というのは、ぼくはむしろ違う感じだな。
どういうふうにですか。
加藤
近代主義というのは迷妄であって、胎内回帰じゃない。人間の本米のあり方、人間の情念として大陸浪人みたいなあリ方が存在するとー。
「少女と右翼」の大陸浪人はわたしの親父なんですよ。親父のことを書いたわけです。あれは迷子ですね、都市中の。迷子とそんなに変わらないですよ。迷子の道のほっつき歩き方が、少女のメンスに似てるんです。
加藤
ほう。
ぼくはよく少女のメンス論を書くんですけれども、喫茶店にはいった女の子が、出てくると急に三百ぐらい年とった感じがしたっていうんですよ。初潮で、自分のからだの中に、こんなどす黒い血があったのかっていうんで、びっくり仰天して、出てきたときは観念がばばあになっている。その時間に、少年はなかなか追いついていけない。それに追いついていけるのは右翼だけである。血のめぐり方にも、多分に時間の健忘症的なところがあって。だから右翼は他国の経済論を知らない。
加藤
そうすると、テルアビブの三人の少年と、大陸浪人とは・・・。
似てますね。
加藤
そうすると、“あすの地球をまわす世界の赤軍派”なんていうのは、やっぱり大陸浪人的、満州王国をつくろうという、満州馬賊に昔の高校生が憧れたのと、情念としては似ている・・・?
僕はそっくりだといっていいと思いますね。僕はアジア主義者だから、当面テルアビブは語リたくない。
加藤
そういえば、赤軍派もある意味ではアジア主義みたいなところがあると思うな!「世界々々」って、何ゆえに騒がなくちゃならないか。ヨーロッパの過激派は、そんなに「世界々々」って騒がないような気がするんですよ。やっぱり西洋に対する劣等感があるから、“世界の赤軍派”て言わなくちゃならない。“世界の日本”とか、“世界のXX”とか何でも日本はそう言いたがる。アジア主義っていうのも、そういう感じがするんですけれども、どうですか。
いや、アジア主義というのは、まったく政治の上の一種のスローガンですよ。劣等感といえばヨーロッパのほぅが、東洋コンプレックスがあるわけでして、東洋のほうには、ヨーロッパ・コンブレックスは皆無じゃないか。
加藤
ものすごい新解釈ですね。(笑)

●“処女面"をする日本の文化人
明治以米の文化は、呼気より吸気ですよね。ヨーロッパ文明を、どんどん処女列島の処女どもが、自分の中に突っ込んで、ケロッと忘れてみせたというのが、明治以後の百年史ですよ。
そういう意味で、日本列島の文化人の面がまえは、多分に処女に似てる。永遠の処女で、すでに犯されているくせに、処女だという面するんだ。
加藤
そこおもしろいから、もっと説明してよ。
 その処女列島の処女が怒るとこわいですよ。ヒステリックになりますからね。ドルをためてるのも、ヒステリー症状だと思ってるんですよ。
現実には西洋のほうが東洋をこわがってますよ。この前「ネズミと文明」というある科学者の本を読んでると、襲来するのが束洋で、されるのが西洋。それで私は信念を堅くした。(笑)観念は西洋があるかもしれないが肉体はやはりアジアですよ。そしてわたしは、肉体という言葉は最高の観念だと思っている。観念の先にあるのが肉体だと思ってるんです。
だから、汗流したり、血が出たり、女と寝てわきに汗がたまったなんていうのは、肉体じゃない。ぼぐはポルノとかああいうのは大っきらいです。
加藤
なるほどねェ。で、唐さん新劇やめてテント張出した理由はなんですか。
劇場のようなパッケージ文化に演劇のダィナミズムをみないんです。肉体も劇場も丸ごと流動する。どこにテントをおっ立てるか、からすでに演出が始まる。
加藤
まずどこに立てようかってのはー?。
飛行機の上から見おろす。
加藤
判断の基準はー。
金の安いところ。
加藤
ハッハッハッ…。次の質問が出なくなる。(笑)
いまいちばんやりたいところは東京の夢の島。ゴミ捨て場でゴジラが出てきたところですよ。「夢の島」って名前つけたなんて、日本人はバカにできないですね。ゴミ捨て場が夢の島っていうんだもん。この発想、相当ファナチックでしょ。日本はどんな鉄筋のビル建てたってダメですよ。ニワトリ小屋みたいなのがいい。
沖縄の売春宿に行つてもそうですね。ニワトリ小屋が三十軒ぐらい並んでるんですよ。そこが娼婦の館ですよ。電気もない。そこで女と寝ていると、風が強い日にはパターンとベニヤ板が倒れて、出してるケツがそのまま風にさらされる。エロスというのはああいうところにあると思った。
コザの近くのキャバレーに行くと、暑い上に客がこないものだから、色が浅黒くて、胸毛まではえてる女どもが、スカー卜まくってる。それで目がこうこうと光ってるんで、まるでメス狼のようですね。ああいうところを書かなければ、沖縄論というのは始まらないと思うんですよ。(笑)何とかいうパカな作家が、沖縄に行って、すぐキャンブ場にはいり込んで、シェパードに食いつかれたって書いてた。バカですねえ。
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(写真)
『佐川君からの手紙』(河出書房新社 1983年)
私が持っている唐十郎の本の1冊。
装丁は故菊地信義氏。
(終)

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獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。
ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)

【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
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前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html

●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は8月2日(金)に更新予定です。