2024年6月24日、東京・神田駿河台の明治大学本校アカデミーコモン前庭に、明大土曜会の横断幕が翻った。集まった明大土曜会メンバーは10数人。ヘルメットは被っていないが、全員マスク姿。
横断幕には、このようなことが書かれていた。
横断幕には、このようなことが書かれていた。
明治大学が誇れること
★「軍事利用の研究・連携活動の禁止」の新聞広告を掲載した(2017年)
★日本初の女性弁護士を輩出した(1940年)
明治大学が恥ずべきこと
★学生の表現の自由である立て看板を撤去して警察を呼んだ
★生田校舎の「イスラエル工科大学と手を切れ」の立て看板が撤去された
明大土曜会は、明治大学のOBとOGが中心となってはいるが、他大学のOBや若い世代も含めた多様な人たちが集まる「情報交換の場」であり、定期的に会合を開いている。
この明大土曜会が、何故このような行動を起こしたのか?
この連帯行動の背景を少し説明しよう。昨年12月、明大土曜会に以下のような情報が明大の学生から寄せられた。
『昨年11月4日、明大祭期間に「明治大学立て看同好会」の学生5名が「明治大学20年ぶりの立て看おめでとう」と書かれた立て看板を学内に掲示しようとしました。
すると当局が学生5名を拘束し、警察に通報するというあり得ない行動を起こしました。
その前の10月末に「明治大学貼り紙同好会」という団体が事務室に「貼り紙はどこに貼れば良いか」と訊いたところ事務室から場所を指示され、そこに貼り紙同好会が「明治大学自由貼り紙スペース」を設置したところ1日で大量の貼り紙が貼られ、翌日に当局がそれを全て撤去するという事件も発生しています。
当局に通報された学生5名は大学当局に「セクトの手先」でないことを宣誓させられ、11月10日現在授業の出席を禁止され学内の密室で警察による取り調べを受けています。学生曰く当局はいまだにセクトの影に非常に怯えているそうです。
「検閲」を受けていない貼り紙と立て看板を持ち込んだだけで警察を学内に導入する当局の姿勢は、言論の自由を徹底的に弾圧するもので、断固として容認できません』というものであった。
明治大学では、学生の自由な表現や活動が厳しく制限されているという現状があると聞いてはいましたが、これほどひどいとは思わなかった。
この問題について、昨年12月の明大土曜会で議論したが、その中で、明治大学における「立て看」の歴史についての発言があった。
「土屋源太郎さん(1953年明治大学法学部入学、1955年学生会中央執行委員長、都学連委員長、砂川事件被告)
明治は立て看ビラ貼りの歴史もあるんだよ。1951年に明大の7・1ストで全学ストをやって、それまでは立て看ビラ貼りも許可制だったんだよ。当時は俺は共産党員だったから、共産党のビラを撒くのは大変だった。ところが全学ストを契機に団体交渉をやって、届出制になって、一切学校側は立て看ビラに干渉しないという約束になった。そこで明大の立て看とかビラが自由になった。
Yさん(1966年明治大学政経学部入学、1968年学生会中央執行委員長)
我々の時代は学校の許可もへったくれもなく、全く自由でした。ずいぶん恩恵を被りました。
Sさん(1965年明治大学Ⅱ部文学部入学)
逆に言えば、私たちの時代のやりすぎが、皆に迷惑をかけている。
Yさん
土屋さんがようやく大学当局から許可を得なくても勝手に出来る仕組みを作り、我々の世代がいろいろやってダメにして、30年近く経って現在の明大生がまた苦労しているという流れですね。」
Yさんが言うように、明治大学では「立て看」「ビラ貼り」の権利を1951年の全学ストで勝ち取ったが、1970年前後の学生運動の時代、特に70年以降の内ゲバと党派の大学支配という状況がその権利を失わせてしまい、現在の明治大学の状況を創り出してしまったということは概ね間違いないだろう。
明大土曜会としては、「おかしい」ものに「おかしい」と声を上げる学生たちを、可能な範囲で応援していきたいということで対応を検討したが、さすがに立て看はちょっと体力的に運ぶのが難しいので、横断幕を作って、明大の本校、和泉、生田の各校舎に出そうということになった。(ゲバ文字にはできなかったが)
この連帯行動についての報告が、明大土曜会のF氏(ジャーナリスト)から寄せられたので掲載する。明大本校及び和泉校舎での連帯行動の報告である。
【明治大学OBが明大本校で横断幕】
6月24日午前、明大OB(明大土曜会)十数人が横断幕を広げた。
横断幕に書かれていたのは
明治大学が誇れること
★「軍事利用の研究・連携活動の禁止」の新聞広告を掲載した(2017年)
★日本初の女性弁護士を輩出した(1940年)
明治大学が恥ずべきこと
★学生の表現の自由である立て看板を撤去して警察を呼んだ
★生田校舎の「イスラエル工科大学と手を切れ」の立て看板が撤去された
明治大学では昨年来、学生たちが“フスマ1枚分”くらいの立て看板に「私たちの思いを立て看板で表現しよう」と書いてキャンパスに置いたところ、これが撤去され、警察官が呼ばれ、大学から「注意処分」を下された。その後も「立て看を取り戻そう」と活動を続けている▼大昔のようなデカい看板に政治スローガンを書きなぐったものではない。土曜会からすればシンプルな板一枚である▼「これはおかしいぞ」と土曜会メンバーたちは「わが母校はなんて恥ずかしいことをするのか」と抗議の横断幕を出した次第▼早速、大学職員と警備員が飛んできて退去を求めたが、そこは口では負けないオジサンたち。彼らはやり込められて、遠巻きに見ているだけだった(と言いつつ私たちは、あまりの暑さに交代で横断幕を持つ3人以外は木陰に避難する軟弱……)▼土曜会横断幕隊は、引き続き、本校、和泉校舎、生田校舎でスタンディングをやる予定です。学生たち、負けずに頑張れ~。
【明大横断幕スタンディング第2弾 2024.7.22】
▼明大土曜会のメンバーは、和泉キャンパスで熱い(気温が)闘いを行った。
10時にキャンパス正門脇に横断幕を広げ、歩道橋から降りてくる学生にアピール。文言を読みながらキャンパスに入る学生、携帯で横断幕の写真を撮る学生も。
▼早速、職員、警備員、それに警視庁高井戸署の私服刑事1名が、規制に入った。しかし、横断幕は一部が校内に入るオフサイドぎりぎりなので強くは出られない様子。
当方は職員らに用意したビラ(添付)を渡して「話すことはない、上司を呼べば話す」と突っぱねる。
▼やがて「和泉キャンパス課長のショーイ」と名乗る男が出てきて「コロナから掲示してある規則があるのでやめるように」と警告。しかし、掲示発表は2014年と書いてあり「コロナのずっと前からじゃないか」と詰問すると黙り込む。
結局、「しかるべき上司に連絡するから」というので当方の携帯番号を教える。
(明大の組織図を見ると各校舎のキャンパス課は総務部の下にあるので責任者は総務部長らしい)。
▼私服刑事とのやり取りは「常駐しているのか」「いいえ」「大学からの通報で来たのか」「高井戸署は近いもんね」と言うとうなずく。
▼横断幕スタンディングは、日中36°予想なので11時に終了。
秋には生田キャンパスで第3弾を決めて散会。
和泉校舎で警備担当者に手渡した文書
この行動を規制・排除するなら、以下のお願いをする。
明大土曜会(明大OB・OG)
6月24日、すでに明大本校アマデミーコモン前で警備担当者と同様の話をして、規制・排除はされていません。
①
規制の根拠を掲示版ではなく、規制文の原本を見せて欲しい。
②
現場担当者ではなく、規制を管理するしかるべき上司・責任者と話をしたい。
③
その上で、私たちが、この横断幕を出す正当性を議論したい。
④
「学問の府」として問答無用や公権力による実力排除は許されない。
大学職員に携帯の番号を教えたが、まだ連絡が無いとのことである。
連帯行動の最大の敵は熱中症ということで、次回の生田での行動は秋に予定している。
明大土曜会以外の皆さんの参加もお願いしたい。
(終)
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『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月19日刊行
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なぜジェノサイドを止められないのか?
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前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』
【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。
●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は9月13日(金)に更新予定です。
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