●司会・進行
安田宏(元都立上野高校)、金廣志(元都立北園高校)
第1部
●シンポジウム登壇者
高橋順一(ドイツ・ヨーロッパ思想史研究者 早稲田大学名誉教授)
鵜飼哲(フランス現代思想・ジャック・デリダ研究者 一橋大学名誉教授)
ファビアン・カルパントラ(フランス人、映画研究者 、横浜国立大学准教授)
キム・ソンハ(韓国人、韓国徴兵拒否者らの亡命立案者)
三宅千晶(沖縄県那覇市生まれ 被爆三世 ドイツ・イタリアのNATO軍『米軍』基地調査報告書作成、弁護士)
第2部
●ディスカツション登壇者
<今現在、社会の各方面でアクティビストとして活動する若者たち>
白坂リサ(慶應義塾大学)、田中駿介(東京大学大学院)、山本大貴(慶應義塾大学)
<1960年代ベトナム反戦運動の中心的活動家たち>
三上治(思想家)、前田和男(ノンフィクション作家)、二木啓孝(ジャーナリスト)
順不同
今回のブログは既に掲載した第1部に引き続き、シンポジウムの第2部の概要を掲載する。
第1部がかなり時間をオーバーしたので、第2部のディスカッションは短くなっている。
なお、第1部は、こちらをご覧いただきたい。
No639 「4・28反戦シンポジウム 直ちに戦争をやめろ! 」第1部前半の報告
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2024-06-28.html
No642 「4・28反戦シンポジウム 直ちに戦争をやめろ! 」第1部後半の報告
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2024-07-26.html
【「4・28反戦シンポジウム 直ちに戦争をやめろ! 」第2部】
安田 宏(司会)
そろそろ始めたいと思います。
金 廣志さん(司会)
実はディスカッションの時間が50分も無いんですね。いろいろなことを議論したかったんですけれども、ちょっとした感想くらいで終わってしまいそうですけれども、なるべく皆さん、率直な短いコメントをいただきたい。
白坂リサさん、山本大貴君、田中駿介君、二木啓孝さん、前田和男さん、三上治さんがいらしています。年齢順です。
まず一番若い白坂さんの方から、第1部のシンポジウムなどを踏まえて、感想などいただければと思います。
<ディスカッション参加者からの発言>
●キャンパス・ウオッチの話が印象的でした
白坂リサさんと言います。今、慶應義塾大学の総合政策学部の2年生で、2004年生まれの19歳です。実の父親が中国人で、母親が日本人でミックスルーツです。『情況』誌の第6期の編集委員をやっています。高校で「この国の学校制度を考える会」という愛好会を1人で立ち上げたりとか、大学で立て看の今起きている運動に連帯したりだとか、以前まではSNSで結構発信活動をしていたんですけれども、思うところがあって、今は大学で結構落ち着いて勉強しています。
第1部の感想ということなんですけれども、(鵜飼哲さんの)キャンパス・ウオッチに関する話が結構印象に残っていて、私も昨年度、総務省の官僚が来た授業だったり、海上保安庁の人が来た授業でいろいろ質問して、「おかしいんじゃないの」と思うところをSNSに上げて問題提起したりとかしていたので、そういう運動が過去にもあったんだと思って共感しました。
立て看運動にも関心があるんですけれども、昨年末に明治大学で立て看を立てたら警察が介入してきたりだとか、そういうことがあって、今もアメリカの大学でガザの(パレスチナ支援の)デモとかキャンパス内でいろいろやっている人たちが警察によって弾圧されたり、警察権力を乱用するような流れが世界的に起きているのかなと感じて、ちょっと危機感を抱きました。以上です。
●軍事行動が気候変動に及ぼす影響は深刻だ
皆さんこんにちは。山本大貴と申します。僕はたまたま同じ慶應義塾大学の総合政策学部で、2003年生まれの二十歳です。
僕は長く気候変動運動に携わってきていまして、2020年、ちょうどコロナが始まって学校が休校になった時が高校1年生の終り、高校2年生になる春でした。その時に、スエーデンのグレタ・トウーンベリが始めたFridays For Futureという気候変動対策を訴える世界的な若者のムーブメントに参加をして、その団体で今も活動をしています。
なので僕は大学で全然落ち着いて勉強をしていなくて、この1年間も休学してNGOで働いていることにしているんですけれども、僕からは主に気候変動、環境問題の観点から、今の世界で起きてる、今もというかこれまでもずっと起き続けてきた軍事行動が、どういったものであるかということを、気候変動の側面からお話したいと思います。
温室効果ガスのCO2に着目してお話しますと、軍事行動や戦争によるCO2の排出であったりとか、(建物を)再建するために出るCO2排出というものは、基本的に例外主義とされていまして、無いものになっているんですね。軍事から出ている排出量というものがどれくらいなのかということは、いろんな理由から算定することが難しい。最大の理由は軍事機密であるということで分からないということが一番大きいとされています。また、主に米国の圧力によって、軍事排出量の報告というのが任意となっているということもあり、民間の推測でしかないんですけれども、あるデータによると世界の5.5%、6%程度の排出量を占めているというデータもあります。日本が世界第5位の排出国なんですが、日本が3%くらいなんですね。日本2ケ国分くらいが実は軍事による排出量だと言われていたりします。
想像できるかと思いますが、装甲トラックとかの燃費というのは、普通のディーゼル車と比べても10分の1程度、つまり10倍くらいのCO2を排出していたりとか、戦闘機はさらにその100倍くらいのCO2排出があるということで、訓練をしているだけでも、とてつもない排出量があるにもかかわらず、今回のガザでの最初の60日間の軍事行動でのCO2排出量の99%以上がイスラエル側によるものでした。分かっているだけで28万トンものCO2排出と言われています。実際には、その10倍程度ある可能性があります。また、破壊されたガザの建築物を再建だけでも3千万トンのCO2排出があるということで、これはニュージーランドの年間排出量に匹敵する量ということで、全く無視できないですね。
これまで全く議論されてこなかった。環境問題の側面から見てもこれだけの破壊があるというのが誰の目から見ても明らかなのに、脱炭素の話の中に、戦争の話が入ってこなかった。すごく深刻なことだと思います。
それだけではなくて、気候変動、環境問題というのが、どうしても環境と経済のバランスの問題、トレードオフの問題として捉えられることも多いと思うんですが、実際に起きているのは人権侵害であって、途上国と先進国との間の経済的社会的格差の問題であって、世界はクライメート・ジャスティスと言って、日本語では気候正義。気候変動による不平等を是正するということが何よりも大事で、みんながみんな同じような被害を被っているわけでもなくて、たくさん排出しているような国々の人たちは、その被害を被らなくてもいいような状態にある。非常に大きな構造的暴力にあるという点においても、人権侵害という点で、さまざまな問題と気候変動は大きな共通点があります。
●私たち自身の責任としてパレスチナ問題、そして沖縄の問題を考えていきたい
田中駿介です。今日の集会が、そもそも4月28日ということで、1960年代の運動の記念碑的な日という提案をして結果的に実現したわけですが、もう一つ、今日の論点として沖縄とパレスチナという問題について問題提起を行いたいと思います。
さきほど三宅さんから、4・28の話も含めて、何重もの被害を被っている、未だに植民地主義的支配の被害にある沖縄の報告がありましたが、そもそも4月28日というのは、単に「屈辱の日」と言われてるような、「沖縄デー」といして語られているような日ではありません。
私たちがここで想起しなければならないのは、2016年4月28日、米軍属の性暴力、そして生命をも奪う暴力で、私と1歳しか違わない女性が命を奪われたという、この命日が4月28日であるということと、全く無関係ではないわけです。つまり戦争の訓練、人を殺す訓練が行われているような基地、ここの海兵隊あるいは軍属の関係者が、いとも簡単に住民の命をも奪ってしまう。このことが決して無関係なことではないと私は考えています。
今、岸田首相を含めて、日本政府は、どこまで行ってもアメリカの世界的な軍事戦略の下に付いていこうというような方針を示していると思います。この前の日米首脳会談では、米軍司令官と日本の自衛隊の司令官を統一する司令官を日本が作るということを一種の手土産としながら、今後日米関係を更に進めて行くというような話があったと思います。果たしてこのような状況が私たちにとって何をもたらすのかということを問題提起したいと思います。
最後にもう1点です。まさにパレスチナの問題というのは入植植民地主義の問題、私もパレスチナ反戦の署名を大学関係者で独自に集めていますが、そこではこの言葉を入れることにこだわりました。つまりイスラエルという、国家と言っていいか分かりませんが、イスラエルと称する国民意識を規定しているもの、これは一種の入植をすることで、そこの住民を追い出して、そこに定住して既成事実を作っていくと。そしてそこで生まれ育った人たちが2世3世を生んでいく。その子供たちは、あたかも自らがそこで生まれ育ったという、「あたかも」と言ったのは歴史を切断するようなことが行われているわけですが、これはまさに日本の歴史的な責任で、アイヌに対して北海道で行ったこと、そしてウチナンチュ、琉球人に対して行ってきたこと、これとまったく同質の問題であるという前提の下に考えなければならない問題だと私は感じています。
私が生まれ育った北海道旭川市は、まさにアイヌの人たちを追い出して、そこに第7師団と言われる陸軍の拠点を作って、そこがまさに日露戦争の出撃地となり、大きな犠牲を結果的に生んだわけです。
まさにこういった私たち自身の責任として、パレスチナ問題、そして沖縄の問題を考えていきたいというのが私からの問題提起です。以上です。
●アメリカはベトナム戦争に何故敗けたのか
ここから3人、ガクッとジジイになります。話が長いぞお。団塊の世代の二木と申します。皆さんの話を聴いていて、「なるほどな」、我々の発想と違うところで深くて広いなと思って聴いていました。4/28というと、沖縄とセットで語られますが、どんどん世界の矛盾も広がっているということが今日分かりました。
私も大学で東京に出てきてから、ベトナム反戦すごくが盛り上がって、その延長上に学園闘争があって、私の右に並んでいる2人にずいぶん騙されて、「青春を返せ!」という気持ちがあるんですが、その時の世界的な反戦運動の盛り上がりは何だったのかな、という話を少ししたいと思います。
アメリカにマクナマラという国防長官がいました。彼はケネディ、ジョンソンの時の国防長官でした。ハーバード大学を出てから第2次世界大戦の時に、軍事戦略を研究し、今のペンタゴンに入っていきました。日本に勝つために原爆投下の前に、首都をどうしようかという話になった。マクナマラが言ったのは、「B29の大量生産で絨毯爆撃をするのがいいよ」と。戦闘機の航続距離が短くて難しかったから、B29で絨毯爆撃」方針が採用され、量産して、東京大空襲から大阪、全部やった。「マクナマラ、すごいじゃんこいつ」という話になった。ベトナム戦争の1965年から75年まで国防長官をマクナマラがやるんですが、彼が得意としたのは定量分析という方法。定量分析というのは、敵と味方の軍事力と兵力を相対比較して、配分するということです。マクナマラは、我が軍、つまり米兵の死者と向こう死者とを比較して、向こうが多ければ、あとは軍事力を増せば勝てるという、そういう構造を考えたわけです。しかし、案の定、負ける。
このマクナマラは後の回顧録を書いて、『マクナマラの誤謬』という本になっているんですが、1980年くらいに、社会学者や経済学者がやったベトナム戦争の総括のシンポジウムがさかんに行われたそうです。
ここから先は、私がそこに出た人から聞いた話です。
シンポジウムの司会者が、会場の後ろの方にマクナマラがいたので「マクナマラさん、ちょっと壇上に上がって、皆さんの話を聴いてどう思われたのか、この戦争に何でアメリカが敗けたのかについて、一言コメントを」と言った。マクナマラは壇上に上がって「敗けたのはマスコミのせいだ」と言った。何故か?ベトナム戦争が泥沼に入った後、「ニューヨークタイムス」がペンタゴンペーパーズという秘密文書をスクープします。それからベトナムでどんどん死んだ。最終的には6万人が戦死するわけですが、それに倍する負傷者が出て、兵士たちが帰って来て、どのような目に遭ったのかをマスコミで報じる。お父さんもお母さんも、「もうこんな戦争は止めてくれ」となった時に、マクナマラの定量分析の中に、実はそういうメディアの動きや国民の声は入っていないんですね。だからずっと「何で敗けたんだろう?」というのが疑問で、マクナマラの総括は「マスコミに敗けた」ということだった」
そんな話をシンポに同席した人から聴きました。
今日、みなさんのいろんな活動の話を聴いていて、岸田首相が安倍前首相の宿題をやるべきだみたいな形で、(アメリカに)付いていくような中で、ガザがあり、ウクライナがありという時に、我々はマクナマラが定量分析できなかった世論とマスコミというものを粘り強くやっていくことかなと思います。それは、確かに難しく、なかなか成果が出ない。さきほどもありましたが、私の母校明治大学でも立て看を出すと警察を呼んで処分されるという、他の大学でも立て看が出せないというとんでもない状況です。私たち年上が「さあ若い衆がんばってね」となかなか言いづらいところなんですが、そういう粘り強いことをいろんな人に広げていくということが、今日安田さんと金さんがセットしてくれた集会の中で、「何かやらなきゃならんな」という気持ちを粘り強くやることが、次の成果につながるのかな、という印象を持っています。ありがとうございました。
●運動の歌によって沖縄闘争がどう深化したのか
私は前田和男です。1965年に(東京)大学に入りまして、ヘルメットは青。民青から自治会を奪い返して、その時に駒場の自治会の議長という役を仰せつかりまして、それ以降、人生を踏み外したわけですが、今日は4月28日、みなさんたちの運動の歌によって沖縄闘争がどう深化したのかについても聴いていただきたい。
(「沖縄を返せ」を歌う)
♪ 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
われらは叫ぶ 沖縄よ われらのものだ
沖縄を返せ 沖縄を返せ
これからしばらくして、山城さんが(沖縄平和運動センターの)議長になった頃には、こう歌われました。
♪ 沖縄を返せ 沖縄へ返せ
これは沖縄闘争の深化だったと思います。さきほど三宅さんが興味深いこと、日米地位協定のお話をされていましたが、実は日本も地位協定を結んでいるんです。ジブチと日本が結んでいる地位協定は無茶苦茶ひどい。アメリカと日本の比ではない。日本の自衛隊はあちこちですごく悪いことをしているので、それは私たち自身の問題として捉え返さなければいけないと思います。以上です。
『昭和街場のはやり歌』という本、ここに「沖縄を返せ」も書いてありますので、興味のある方は読んでください。
●ウクライナ戦争と日本の自衛隊について考えたこと
話が長くなる傾向があるから、なるべく手短に話します。
一つは、今度のガザの問題もあるんですけれども、ウクライナ戦争について僕らの周辺で起こった議論というか、反応というか、これについて考えさせられたということが一つと、もう一つは、これから日本がやっぱり戦争の問題というか、九条の問題を含めて、どういう風に社会関係の変化の中で対応していくのかという、その中で僕が今考えていること、この二つだけをちょっとお話します。
一つはウクライナ戦争を見た時に、正直に言って僕は割と単純ですから、ウクライナの人民はよく闘っているな、すごいなということで、これは基本的に支持するということを考えたんですね。だけど僕自身の戦争観はですね、「あらゆる戦争に反対だ」ということが基本的な考え方としてずっとありまして、これとの間で、この矛盾という、これをどう考えたらいいだろうかということを少し考えました。
その時、若いころの僕の戦争観に非常に大きな影響を与えたシモーヌ・ヴェイユというフランスの思想家がいるんですけれども、1930年代の始めに「あらゆる戦争に反対だ」ということで、レーニンの帝国主義戦争論を「くだらない」と言って批判していた徹底した非戦論者だったですけれど、彼女は同時にスペインの革命戦争に参加して、最後は反ファシスト戦争に参加するという形でロンドンで死んでいく。実際の彼女の戦争観と、現実的にファシストとの戦争の中で彼女が演じた矛盾というのは何だろうなと考えていまして、そういうことを考えていて、ウクライナの戦争を僕らが支持する、これはパレスチナもそうですが、パレスチナの人たちを支持すると言った時に、基本的にこれが「あらゆる戦争を拒否する」、「あらゆる戦争を無くしたい」という僕らの基本的な考え方と、どういう風に一致していくのか。もし矛盾があるとすれば、どういう矛盾があるのだろうか、ということを考えまして、僕はそこでやはり現代の中で起こる抵抗というかレジスタンスということですが、起こる時は戦争に対する反応ということで、やはり国家が戦争をしているということは違うことなんだろうなということを前提的に考えるということが非常に大事なんじゃないか。確かにウクライナの人たちはウクライナ国家を全面的に賛成しているわけだし、その人たちが国家に参加をしてロシアと闘っているわけですけれど、でもこれはウクライナ国家の戦争であると、あるいは国家のための戦争であるということではなくて、やはりレジスタンスである。そういうことをさせられて初めて可能になってきた闘いなんだ。そのレジスタンスの中には、「あらゆる戦争に反対していく」、「国家の戦争に反対していく」という契機が同時に含まれているはずだ。そのことをちゃんと見極めていくということが僕らにとっては大事なんじゃないかということを考えました。そのことが、このウクライナ戦争で考えた重要な点です。
これと関連して2点目の話になりますけれど、自衛隊の問題、日本の軍備の問題ですけれども、日本は戦後戦争放棄という形で国家の戦争を基本的に放棄したわけです。しかし実際上は世界を見ると国家間戦争というのは現実存在している訳ですから、そういう状態になったらどうするかということで、権力の側は苦し紛れに、この憲法九条の国家戦争の放棄は、国際紛争のための手段として放棄すると解釈を入れて、もし外国から日本の国、あるいは国内が攻められた場合には当然軍事抵抗するし、防衛もするというのが前提だとうことで、そういう考え方を取り入れて、これは憲法九条の解釈ですけれど、ここから自衛隊を作ったわけですね。だけどその時に問題になったのは、この自衛隊というのが国防、国家か何かから侵略された時に反撃する、反応する、レジストする、対抗する軍隊、軍事という意味でも自衛隊の存在と、国家は元々国家の意思として戦争するということで、(そのように)設計された軍隊ではないわけです。このことの矛盾がずっと自衛隊を巡って、あるいは日本の戦後の戦争に対する対応を巡って、ずっと続いていたわけです。
僕はこの問題を今回のウクライナ戦争の絡みの中で、僕は必要になったらどうするんだろうなと考えて、もし日本に侵略があれば僕は軍事抵抗を当然やるだろう、そして軍事抵抗を当然肯定すると。僕らの周辺の中では、「俺は抵抗しない」という人もいて、「俺は(抵抗しないことを)認めるけど俺は軍事抵抗する」と。その時に自衛隊が国家防衛のために軍隊を徹底している、その軍隊とどういう関係に立つんだと言ったら、僕はその自衛隊の軍隊というのは、極めて曖昧なまま今あるんだ、つまり国家の軍隊であるということと、防衛のための軍隊であるということが曖昧なままに出来上がっている。だからこそ自衛隊を国軍化しろだとか、憲法に規定しろだとか出てくるわけですが、そういう中で、僕は基本的に「自衛隊を憲法に違反するから止めてしまえ」と言うんじゃなくて、自衛隊の曖昧さを肯定しながら、曖昧な自衛隊をレジスタンスの方向にいざとなったら再編成していくという形を考えればいいんじゃないか。これは丸山眞男が「自衛隊は憲法九条に違反するから反対するのではなくて、自衛隊をどういう政策の方向に、憲法九条が戦争を放棄している方向にどのように誘導していくのか、訴えていくのか、政策的に転換していくかが、自衛隊に対する一番基本的な問題だ」と提起していたんですが、それにちなんで言えば、僕は自衛隊をそういう方向に提起していくという、その意味では基本的に自衛隊の国軍化に反対するし、国家の軍隊がいざとなった時に防衛になるということに関しては、あまり信じていない。役に立たないだろうと思う。これは昔、僕が信奉していた吉本隆明という人がいるんですが、彼と「日本人はいざとなった時に戦うんだろうかね」という話になった時に、吉本は「戦わないだろ」うと言っていた。これは吉本との戦争体験もあったんでしょうが、おそらくは国家の軍隊としては戦わないんじゃないか、戦えないんじゃないか。可能性があるとしたら、吉本は個人的には「俺は戦う」と言っていたわけだし、そんな侵略されたら、「どうぞ占領して下さい」なんてことはしないと言っていたわけですから、その吉本がそう言った時には、自分たちの抵抗、レジスタンスということですけれども、これはやっぱり認めるし、この可能性だけは人間の中にあるんじゃないかと考えたんじゃないか。そいうことを今回考えました。
時間が長くなるので詳しいことは展開しませんが、その2つを考えて、今後の日本における軍備のあり方、対外的な戦争との関係のあり方の問題についてどう考えるのか、もちろん世界的な戦争が起こらないということは、ある意味我々が努力しているという前提なんですが、もしもそういうことになった時には対抗するという、その前提で今自衛隊を国軍化して、国家の軍隊として世界の防衛のために役立たせなければいけなんだという論調に対しては、基本的に反対していく、それ自体に反対していくということをそれぞれのところで考えていくということを僕は考えました。
<ディスカッション>
金 廣志さん(司会)
ありがとうございました。みなさんの詳しい事は、まずこういうことは展開しないからと言って展開する。それは分かります。今皆さんのお話を受けて、これに対してどうしても何か言いたいでしょ?
会場の方から言いたい人いませんか?若い人がいるんだけれども。
●自衛隊をめぐって 「自衛」と「抵抗」について
(三上治さんの)国家による戦争放棄のところですが、自衛隊と憲法九条の矛盾を一定程度黙認と言いますか、一定程度肯定しながらやっていくしかないと聞こえたんですが、軍隊は住民を守らないとよく言われることがあると思いますが、その中で自衛隊は国軍ではないと言ったって、指揮系統が日本国政府にあるわけじゃないですか。要するに我々が最も信用していない政治家たちに自衛隊の指揮権を与えているという状況を1ミリも肯定できなんじゃないかと僕は思っているんですけれども、その辺はどうお考えですか?
自衛隊がね、戦争担当能力があるかどうかという話ですけど、これは例えばPKOで派遣されている自衛隊が(いざ現地で戦闘になったら)逃げてくる。僕はいいことだと思うんだけれども、戦争なんかやらなで逃げてくるのはいいことだと思うんだけれど、やっぱり戦争担当能力が基本的にないだろう。その欠落が何があるかと言ったら、根本的には軍備の面ではなくて精神性なんだろうなと見ています。その精神性というのはどこにおいて可能なのか。例えば自衛隊がちゃんと戦争できる力を付ける精神性はどこにあるかと言ったら、たぶん国家の精神みたいな、戦前だったら「天皇のために国家を守れ」とかある種の国家主義ですよ。そういう形でもって国家の意味というか位置を押し付ける、おそらくできないだろう。それが出来ないことが戦後の戦争放棄の一番大きな点だと。この問題が可能であるとしたら、たぶん自発性だろう。個々人の自発的な抵抗力、それだけしかないだろう。もし、それが起こって欲しくないし、起こらない方がいいことだけど、もし起これば、そういうことの可能性として僕らはそれをやるし、そういう方向でその矛盾を解決していく。おそらく国家は自衛隊を国軍としてやろうとする、国家の戦争として誘導する方向で戦争を主導しようとするだろう。僕らはそれにも抵抗するという形を同時にやっていく必要があるんじゃないかというのが僕の考えです。
一つ、これの提起に答えたいと思いますが、私は国家の精神性というものを、そういうものを非常にいけないと思っているわけです。
今現実問題として自衛隊に行っているのは、私は北海道の出身ですから、主要産業が自衛隊というような町でしたから、何人も見てきましたけれども、まさに経済的徴兵制に極めて近いような状況があります。これは明確にあると思います。私が所属している大学、大学院で「まわりに自衛隊に行った人っていますか」と聞いても全然ピンときていないので、まさにこれはさきほどから繰り返されているように、下部構造的な問題として考えていかなければいけなくて、そういった部分を国家精神みたいな問題で理解しようとするのは、やはり問題だと思って、三宅さんを含めて今日のお話を受けて考えたい問題ですね。あるいは鵜飼さんお話を含めてですね。まさに法律論であったりだとか、国際法的な問題の意識というのが、我々の運動に関わる人間がもう少し考える余地があったのではないかという点について、一つ提起したいと思いました。
まさにこれはさきほどの自衛隊の問題に関わる話だと思います。例えばドイツでは国際法に反する上官の命令があった場合、抗命義務があります。つまり上官の命令は絶対であるということは、日本の軍隊精神の最も悪しきものとして、これまでも様々な議論でも語られてきたことは当然だと思います。これはしかし、ロシア兵にも、当然イスラエル側にも当てはまらなければならない問題です。つまり、21世紀の普遍的な価値観として、上官の命令は決して絶対ではないと。果たして今の日本の自衛隊にこの価値観が浸透できるのかというのが、一つの問題提起として私は述べたいと思います。
今防衛大には極めてファナティックな方が講演しているみたいですけれども、果たして今の日本の自衛隊を含めて、いざアメリカと共に戦争をする中で、国際法を順守させる方にどういう風にして転換させていくことができるか、是非ご見解を伺いたいと思います。
私はやっぱり第二次大戦の、日本という国は結局1945年までのほぼ70年近い時間ですね、基本軍国主義としてやってきたわけで、その中に植民地支配があり、侵略戦争がありということを、この歴史を全体をどう考えるのかということと、やはり自衛隊についてこの間流れてきている情報というのは、今ドイツの話がありましたけれども、ドイツは分断国家で西ドイツという時代があって、その時に抗命権や抗命義務の議論が出てきて定着したわけですが、この権利は日本の自衛隊にはないんですよね。実は帝国軍隊の記憶と繋がっているということは事実であって、それはそろそろ危ないなと思うとみんなで靖国に行ってしまうというようなことになっている。だからこの現実、私は原則拒否するしかないし、もう一つはさきほどシモーヌ・ヴェイユの話がありましたけれど、シモーヌ・ヴェイユもやはり軍隊についていろんなことを言って、34歳で亡くなってしまったので、看護婦として両方の軍隊を救援するために現場に行くのであっても、そこから整合的な反戦思想を導き出すのは少し無理があるし、ベイユ自身がそれこそアウシュビッツも知らなかったし、核兵器が登場した以降の時代も知らなかったので、非常に優れた人だと思いますが、それプラス第二次大戦の経験がいったい何かということを考えると、やっぱり自衛ということまで含めて、自然権の上に近代の社会のあり方を構想すること自体は、もう限界に来たという経験ではないかと思っています。それは思想的にはエマニュエル・レヴィナスみたいな人の中に一つの形を見たわけですが、レヴィナス自身はイスラエルを支持してしまっているところの、どうするんだというのが我々の世代の思想ではよく議論されたことですが、私はやはり自衛権まで取り崩すということは第二次大戦まで経験したヨーロッパの人から出て来た必然性があると思うので、日本の九条というのはそういう意味で立法意思があったかどうかは別として、同じ時代性を持っている。そこに依拠して自衛ということまで含めて考え直す。私は「自衛」と「抵抗」とはちょっと違う概念だと思っています。そこのところに議論する時間があったらと思います。
今仰ったことは非常に重要な問題だと思うんですけれど、結論だけ先取りしてしまうと、要するに近代国家や近代社会を作り上げて来た一番根本的な原理を作ったのは、トーマス・ホッブスというイギリスの思想家だったわけです。今自衛権という話が出たけど、彼が国家というのをどういう風に考えたかと言うと、人民から抵抗する権利を取り上げる代わりに人民に対して安全を保障するという、それがコモンウエルズ、国家の役割であると、そういう形で、今鵜飼さんが最後に仰ったように、自衛と抵抗は違うというのはすごく重要な問題で、自衛の論理で行くとホッブスの国家になるんです。ホッブスの国家というのは必ず戦争国家になるんです。戦争を肯定する国家に。だから我々は今ホッブス型の国家というものをどうぶっ壊していくかということを考えなければいけない。その根拠になるのが、ホッブスが自衛権ということを言うことによって人民から取り上げた抵抗権というものを、もう1回取り戻す、国家の側から取り戻すということが、とっても重要なことです。ホッブス型国家の行きついた果てというのはイスラエルなんですよ。はっきり言えば。だから、ホッブス型の国家は必ずイスラエルになってしまうという、このことを我々ははっきり見ておく必要があると思います。そのポイントは「自衛」ではなく「抵抗」だという考え方、これはすごく重要ではないかと思います。
●徴兵されたらどうするか?
もう残り10分もないので、今パレスチナの話であり、ウクライナの話であり、いろいろ出ているんですけど、私たち自身の戦争ということについて語らないと、本当は何の意味もないと思うんですよね。
つい数日前ですけれど、70代以上の5人くらいで集まった時に、「我々はもし日本で戦争が起こった時にどうするんだ」という話になったんですけれども、その時にかつてベトナム戦争で一番最初に抵抗したのは僧侶たちですよね。焼身抗議をして、次々に「この戦争は悪辣な戦争だ」ということを抗議してきたんですけれども、「私たちもそうしましょう」という話にちょっとなりました。もう集団自決しろなんて言っている奴もいるんだから、私たちは順番に焼身抗議をしようじゃないか、それが世の中の役に立つだろうという話になりました。だけど、若者たちにそうしてもらうわけにいかないので、若者たちからさきほど徴兵の話も出てきました。あなたが「戦争に行かないでくれ」と言われた時にどのようにされるのでしょうか?一言お願いします。徴兵されたらどうしますか?
白坂リサさん(慶應義塾大学)
山本大貴さん(慶應義塾大学)
うーん、明確な答えを出すのは非常に難しいと思いますが、参加しない方法をとにかく考えるしかないのかな。海外に逃げるという方法を取れるのであればそれもあるかもしれないし、国内に逃げるという手もあるかもしれないし、そういった方法を取れるのであれば取りたいです。
ちょっといいですか。さっきの(第1部の)キム・ソンハさんの話に繋がるんですけれども、僕らがベトナム反戦運動の中で重要だったのは、(米空母)イントレピッド(から脱走した)4人ですね、後で分かった。その時は僕はいわゆる過激派にいて、自ら戦って佐世保にも行きましたし、羽田も行ったんだけれど、やっぱりあの時実際に脱走兵を手助けしたベ平連なんか軟弱だと思ったわけですよ。ところがあの4人が結局脱走し、亡命し、その火がアメリカに火が付いて、最後は57万人が徴兵拒否をするわけですよ。あれがたぶんベトナム戦争を止めたんですよ。私はそう思います。
彼らが言うように逃げるのも結構だけれども、亡命の先には兵役拒否というのがなければだめだね、たぶん。それがウクライナでもイスラエルでもあれば、希望的観測だけれども、ホッブス的国家の究極的な形をぶっ壊すにはそれをイスラエルの中からやる、それに我々は連帯するということじゃないかなという気がしますね。年寄りが長く生きて来た感想でございます。
金 廣志さん(司会)
ご存じの方もおられると思いますが、前田さんは「逃散主義者」。「逃げるんだ、戦わない」という思想です。
田中君どうしますか?
求められている答えは「戦争を革命に転化」せよということだと思います。しかし同時に戦争を起こさせない国を民主主義の力で作っていくという役割、これこそが私は絶対に重要だと思います。(拍手)
この国で徴兵拒否に成功すると、その後どういうことが待っているのか、怖すぎるので逃げるしかないかなと個人的には思っていますけれど、日本の司法というは本当にもう終わっているのではないかと私個人的には思っていまして、三権分立ではなくて三権統一の状態なんですね。どんな社会問題をきちんと論理立てて訴訟を提起したとしても司法はきちんと判断してくれないので、とにかく行政訴訟はそうなので、それはすごく大きな問題だと思っているのと、今沖縄の話についてあまり触れられなかったので、ちょっとお話させていただきますと、さっき日本の政府がという話がありましたけれど、やっぱり日本の政府が弱っていると個人的にも思っていまして、広島でわざわざ「核でみんなで守るので大丈夫だよ」というような、そういうような政権ですし、1995年に太田知事の(軍用地強制使用の代理)署名拒否から、今でもまったく変わっていないわけです。去年の12月28日にも(辺野古の工事の)代執行しましたね。
だから沖縄はずっとこういう扱いを受けていますし、それは沖縄だけの話じゃないわけです。さきほど選別の話がありましたけれども、沖縄はこの数年ミサイル基地が集中しています。ミサイルがどんどん配備されている。こういったものは、後からしか情報が出てこないわけですよ。うるま市に自衛隊の訓練場を新設しましょうという話が出て来た時も、予算で組まれていて、これは何だということで発覚して、抵抗が起きて、何とかようやく作られないことになりましたけれど、この予算は生きています。今の日本のすごく大きな問題を、何でもかんでも隠すところにあると思うんですね。情報をとにかく出さない。宮古島に今レーダーが作られているんですけれども、これは最近発覚しまして、何故これまで発覚しなかったかと言うと、誰が工事をしているかというのを、民間の企業が工事の主体にしているので誰も気が付かなかったんです。「あれ?何か出来ているぞ」と思って、実は防衛施設関連の施設だと発覚したように、これはもう本当に大きな問題だと思っています。以上です。(拍手)
金 廣志さん(司会)
どうもありがとうございました。三宅さんの力強いお話を伺いました。もう時間が来てしまいました。今日はこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。
(拍手)
【『連合赤軍 遺族への手紙』の紹介】
今年の3月の朝日新聞の夕刊に「連合赤軍指輪物語」という記事が連載されました。
明大二部の遠山美枝子さんをめぐる記事です。
この記事の中で、遠山さんのご遺族の手元に残された手紙の内容が一部紹介されていました。
この度、『私だったかもしれない 赤軍派女性兵士の25年』の著者である江刺昭子さんが、遠山美枝子さんの母幸子さんと共著で『連合赤軍 遺族への手紙』を出版しました。
手紙を中心とした本です。
8月29日(木)出版です。
2,500円(税別)インパクト出版会
「模索舎」のリンクはこちらです。
半世紀を経て発見された歴史的書簡集。娘を殺された母の激しい怒りに直面し被告たちは事件を見つめ直し、遺族たちに向き合う。永田洋子、森恒夫、吉野雅邦ら連合赤軍事件の多くの被告たちからの事件直後の肉声。
【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!好評につき三刷決定!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月19日刊行
「模索舎」のリンクはこちらです。
なぜジェノサイドを止められないのか?
因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。
獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。
ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)
【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込
本のアマゾンリンクはこちらになります。
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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』
【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。
●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は10月4日(金)に更新予定です。
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