このブログでは「1968-1969全国学園闘争の記録」をシリーズとして掲載してきたが、今回はほとんど知られていない国立図書館短期大学の闘争の記録を掲載する。そのため、タイトルを「知られざる学園闘争」とした。
『構造』1971年4月号に掲載された「戦線から」と、『朝日ジャーナル』1979年4月27日号に掲載された「300万人の大学」の記事である。
『構造』に記事には1970年から1971年にかけての闘争の経緯が書かれている。また、『朝日ジャーナル』には、1979年の筑波移転直前の学内の状況や学生たちの声が書かれている。『構造』の記事を補完する意味で、こちらも読んでいただきたい。
なお、図書館短期大学は、1979年につくば市に移転し、四年制の図書館情報大学となった。その後、2002年に筑波大学と合併、2004年に筑波大学と完全に統合されている。
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【『構造』1971年4月号】
「戦線から」
職人監獄に屈伏するな
国立図書館短期大学学生自治会自治委員会
●図書館短大とは
昭和39年、旧文部省図書館職員養成所を引きついで、わが国唯一の国立図書館員養成機関として設立された。在籍者数250名たらず、その9割以上が女子の“ミニ短大”、典型的な短期大学である。全国各地の大学・各地方公共団体の図書館職員のなかには、図書館短大(旧養成所)出身者が必ずといってよいほど中堅となって活動している。元教科書調査官(社会科担当)の太田和彦を学長とする図書館短大は、わが国の脆弱な図書館行政のなかにおいて、時代に即した文献情報学科の新設、筑波移転に伴う四年制大学昇格の基礎固めに着々手をつけている。
こういう“ミニ短大"で<処分>が下されたのは昨年暮れのことであった。

●処分撤回闘争の経緯
昨年12月18日、無届で学生総会を開いたという理由によって2名の学生が<処分>された。1名は戒告、1名(自治会委貝長)は無期停学。<処分>を学生自治活動にたいする弾圧だと感じた学生は、ただちに総会を開き、休み前2日の授業をボイコットした。<処分>という形式を借りながらも、学園生活で感じとった不平・不満を徐々に吐き出しはじめた。逆にいうならば、<処分>というきわめて<暴力的形態> に遭遇しない限り、その不平・不満は外に現れなかった。それほど学内の<抑圧>体制は厳しかった。
冬休みの準備期間を経て、休み明けの1月8日から19日まで、学生は授業ボイコットを続け、20日から全学ストライキに突入した。きわめて小人数の短大であり、自治活動の積重ねが浅いという実情にふまえて、クラス会ー自治委貝会ー学生総会という運動サイクルが忠実にたどられた。その限りにおいて学生は団結し、学生ー大学当局という対決構図は明確であった。各処で教官追求の輪が広がっていった。学生総会は“壮大な井戸端会議”の観を呈したものの、学生生活をみずからで統括する力能を、学生はしだいに養いはじめた。怒りは広がり、1月20日、学園生活に潜在していた学生の自主的活動を全面的に開花させるため、大衆的意志確認のもとに全学ストラィキに突入した。だがストラィキ突入2日にして、当局は68ー69年の学園闘争を教訓化しつつ即座に検問・ロックアウト体制をしてこれに応えた。同時に教職員一体となった留年・就職などによる学生への個人的恫喝、父母への働きかけによる闕争の分断、切崩しを策した。幻想的「信頼感」を学生によって容赦なく剥ぎ取られた教官は、もともと知的統治能力など爪の垢ほども持ちあわせていないため、「教育する」ことを「授業する」ことにすり替えて一般学生にたいする強権的抑圧にころげこむことになる。
正門前で2週問あまり坐り込みを続けた学生は、積み重なる疲労感と恐怖、さらにはロックアウトによって活動場面を奪われ、当局―個人の対決構図をしいられて、検問体制下の学内に入らざるをえなくなった。
こうして、学生自身の手による学生生活の開拓は、その萌芽形態をみせながらも、運動体としては休止を余儀なくされている。

●団体更新届と学園の<秩序>
不当処分の発端は、団体更新届なるものを提出しない学生自治会の総会が、「本学の秩序を著しく乱した」ことにある。
団体更新届とは「諸規程」によれば、自治会をも含む団体が、名称、目的、加入者の資格、人数、顧問、指導教官の署名印、責任者の氏名、連絡先等の事項を所定の用紙に記入し、会則、会員名簿、年間事業計画を添えて教務補導係(!)まで提出することである。
この届を提出しなければ当該団体は「解散されたもの」と看され、部室の立ち退き命令が出される。反抗すればその団体は「本学の目的に反し、本学の秩序を乱す活動」だとして「活動の停止または解散」の憂目にあう。先頭に立つ個人に対しては「本学の規則に違反し、また学生の本分に反する行為」として<処分暴力>が発動される。この<学内版治安維持条項>で「学内秩序」は強権的に保たれてきた。
<処分暴力>は単に自治活動の直接的規制=弾圧にとどまらず、学生に活動の自主規制を強要する。更に自主規制を日常的に反覆させ、自主規制を無自覚化し、それを生活秩序化させる。この状態を保証するのは<学内版治安維持条項>による「合法性」しかない。
「合法性」を「正当性」と等置しようとする措置は、わが“ミニ短大”にまで浸透しているのである。否、小さな大学であればあるほど、こういう学内管理=抑圧体制はその典型的な姿を現すといえる。

●終りなき闘争とその方向
図書館短大における図書館学教育とは、いわばノウハウ的知識と技術の伝授であり、そのコッを集約すること以外の何物でもない。全学生は入学して1カ月もたたぬうちに、これを肌で感じることになる。
短大教育は2年という修業年限によって下級(中級)技術者養成機関という性格を刻印されている。技術を技術としてのみ伝授し、他方ではこれをテコとして将来的な労働規律ー労働秩序を習得させる場処こそが短期大学なのだ。学生はいちはやくこれを見抜いた。
「不当処分撤回、団体更新届拒否、学内管理体制粉砕」のスローガンを掲げた運動はその証左である。だが運動は圧段された。しかし闘争はその火を消していない。多数派の運動から少数派の闘争へと局面は移行した。学内情勢はきわめて厳しい。誓約書検問体制のもとで「①授業以外のことは行なわない②学内規則にしたがう③歌やシュプレヒコールをしない④教職員に質問するときは学年・氏名を言ってからにする」という「四つの願い」が学生に押しつけられている。クラス討論すら集会届を必要とされる状況である。
だが闘いの炎は消えていない。運動の過程で噴出した問題点―自治活動の意義、大学(短大)の在り方、図書館学(教育)、図書館と図書労働者などーをめぐって議論がたたかわされている。このなかから、図書館労働者の闘う組織体(青図連=青年図書館労働者連合・仮称)の構想もうまれてきた。
学内では現在、少数の突出した闘いが闘争委員会によって果敢に展開されている。現実がかかえた問題を運動として再興する執拗な試みがなされている。
「職人監獄に屈服するな!」これが終りなき闘いを闘うものの合い言葉である。
(2月10日)

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【『朝日ジャーナル』1979年4月27日号】(抜粋)
「300万人の大学」
関 千枝子(フリータイター、金沢区の公共図書館をつくる会=横浜市)
図書館短期大学 新しい時代の司書像を模索
1

とにかく静かなのである。学生数の少ない学佼ではあるけれど、ともかくも全学280人が、学内にいるはずなのだが、校舎中が静まりかえっている。植え込みのある小ぢんまりした前庭にも、玄関にも、奥の校庭にも、人っ子一人、影も見ぇない。
(中略)
図書館短大の前身は1921 (大正10)年に設立された図書館員教習所である。さまざまの改編、名称変更があったが、上野の帝国図書館の中で、長年、司書養成につとめてきた。
短大になってから14年、今年の入学者を最後に幕を閉じ、来年からは図書館情報大学といぅ四年制の大学に変身、場所も筑波学園都市に移ることになっている。

●変わりゆく図書館のイメージ
(中略)
しかし近ごろは日本でも、市民の図書館要求が高まり、図書館に対するイメージも急激に変わりつつある。いかめしい、入りにくい、学生の受験勉強の場、といったものから、買い物の行きかえりにゲタばきで気軽に訪れて本を借りてくるところに。そうした公共図書館に対する認識の変化が、司書の養成機関である大学の司書教育のあり方にどう反映しているのかが、私には興味があった。
一般の大学でも他の専攻のかたわら司書の資格がとれるコースを設けているところは少なくない。が、図書館学が専門の学科となっているのは慶応大学文学部の図書館情報学科とここの2校だけ。
"図書館学"を専攻するのと、一般の教養を積んでその上に図書館学を学ぶのと、公共図書館員の場合、どちらが有利なのか。諸外国では、人学卒の人が大学院で司書学を修めるという制度が多いと聞いている。本来、司書の権威からいえばこちらの方が望ましい。短大から四年制になるというのはこのあたりを考えてのことかーそんなことを考えながら、私は図書館短大を訪れた。
2

●勤勉で堅実な学生気質
教室を一目のぞいて、女子学生ばかりなのに驚いた。いま大学の文学部は9割方女子というが、ここもまったく女子王国である。この短大は図書館学科と文献情報学科に分かれ、あわせて1学年120人だが、2学年合計240人中男子はわずか11人。別に別科があり、他の大学、短大卒者が1年で司書資格をとれる。こちらは40人中男子15人と、まあまあパランスがとれている。
「昔は男子も結構いたんだが……」
講習所時代からの草分け的存在である服部金太郎教授は苦笑した。「いまどき、短大じゃあ、男子は受けにも来ませんよ。仕事の内容が女子にとって魅力がある、ということはありますが・・・」
服部氏は、自身、講習所の卒業生でもある。この学校への愛着は強い。「文部省所管の“司書養成所"の時代、ここはなかなか進歩的な面を持っていた。スター卜の最初から、当時では珍しい男女共学です。はじめはワクを作り人員の1割強でしたか、女子をとりました。ですから、女子の競争率は高く、優秀な人材が来た。明治天皇のひ孫とか、社会主義者の娘とか、面白い人がいた」
現在のここの女子学生気質を服部教授や、細井事務部長は「勤勉、真面目、おとなしい」といった。全員、働くための資格、手に職を求めてやってくる。年によってかなりの差はあるが、大体6~7倍の志願者の中から選ばれた学生であり、花嫁修業などという甘い考えの人はおらず、百パーセント就職希望。そのあたり、ふつうの"女子短大"とはまるで肌合いがちがう。生徒の家庭は中流の下、といったところで公立高出身者が大部分。私立高卒業者は少ない。大金持ちの子弟はまあいない。出身は東京だけでなく全国に分布しているが、関西方面出身者だけが少なく、これは関西方面に司書資格がとれる大学や女子短大が多いためだろう。服部氏は、地方の出身者には名門進学校の卒業生も多い、といい、地方の一流大学にパスしながら、女子では就職のチャンスが少ないと見て1年で中退して図書館短大に入り司書資格を武器に、かつて自分が中退した地方大学の図書館に勤めたという女子学生の話をしてくれた。
こうした堅実無比の考え方の上に、おとなしい。細井氏は「学校には学生会、自治会というものもなく、かの大学紛争のころも、無縁であった。あるのはクラブだけ」といった。話を聞けば聞くほど管理しやすい、大学当局としてはまことに楽な学生たちのようである。
就職状況も大変よろしい。毎平、3月には決まらなくても、6月ころまでには大体全部さばける。不思議なことには公共図書館が少なく、大学図書館、専門図書館や企業の調査室、資料室が多い。
(中略)

●来年度から四年制大学へ
(中略)
大学の熱意はいまや、来年度発足する四年制の大学へ注がれているようである。来年4月、新構想の「図書館情報大学」は筑波学園都市でスタートする。図書館短大から図書館情報大学へ。情報の二字は単なる挿入でなく、新大学の理念のようである。78年7月に創設準備委員会が出した新大学の構想についてのパンフレット冒頭で、
「現代における激しい社会変動、科学技術の進展などは、通信交通手段の発達、コンピューター等による情報処理技術の高度化と相まって、情報の生産と流通を飛躍的にさせ・・・、情報の処理と選択を欠くことのできない要件とするに至つた・・・」とある。
データ処理、コンピューター、ソフトウエアなどの講座の量がふえ、従来の図書館科のイメージが文科系統的色彩が強いのに対し、理工科系的なイメージである。新大学になると図書館学科、文献情報学科の別はなくなり、図書館情報科一科(定員120人)だけ。調査マン養成の色が濃くなり、図書館の司書を育てる大学というイメージがますます薄れはしないか、という危惧が生まれる。
(中略)
3

●ユニークな編入学制度
非常にユニークと思われる制度もある。三年に編入制度(定員20人)。他大学に入ってから進路を変更したくなったり、あるいは"図書館情報"という新しい分野の仕事があることに気づいた人のためのものだ。現在の別科制度は、特設課程として残し約30人を受けいれるが、資格は大学卒以上。
(中略)
こうした改変―消えて行く短大を、一体学生たちはどう受けとっているのだろう。自治会もないというこの学生たちは素直に受けいれているのだろうか?別の日に、学生たちの話を聞いてみようと、昼休みをねらってもう一度訪れてみた。
あいかわらず正門前は無人だったが、校庭(大学のキャンパスにこの言葉は多少ひっかかる。が、図書館短大における限り、この言葉以外に適切な言葉が見あたらない)に人かげが見えた!のぞくと職貝らしい人が2人キャッチボールをしているだけ。入り口のホールは、おそらく昔は付属小の児童の下駄箱置き場であろう。広々としたスベースの壁に、幾枚かの学生の手になるらしいポスターやビラが張ってあった。ようやく大学らしい雰囲気を見た。
その中に1枚「筑波の実態」とあった。筑波大の厳しい学生管理の状態をつづったものだが、よく見れば何のことはない、『朝日新聞』に掲載されたルボ記事をそのまま写したもので、独自のコメントは一字もない。掲載責任については、ただ「学生有志」とあった。これだけの掲示が、この静かな大学の中ではひどく先鋭に見えた。
ちょうど通りかかった女子学生をよびとめると、「ここでは何ですから」と空き部屋に招きいれてくれた。どこからともなく、6、7人女子学生が集まってきた。
「自治会もない? おとなしい?とんでもない。以前はちゃんとあったんです。筑波移転への反対運動の中で、みんなつぶされたんです」
「四年制への移行は賛成者が多いけど、筑波はみんな反対ですよ」「だいたい、なんで筑波へ行かなきゃならないの?」「人間社会から隔離されて、筑波大生と一緒に選挙違反するためでしょう」。一人がまぜっ返して、大笑いとなった。
「私は四年制にも反対なんです。なぜ私がこの学校に来たか。一日も早く何かの資格が取れ、しかも月謝が安いところ、といえば、国立の短大であるここだったのです。もう一つつけ加えると、ここが自宅から通えるから。筑波で四年制だったら、私は行かない。いや、行けない」

●「図書館学」に議論する学生
「なぜ私がここに入ったかというと・・・」と別の一人がしゃべり始めた。「やはり、図書館のお姉さんになりたかったから。私の図書館のイメージは、公共図書館や地域文庫や学校図書館で培われたものだったんです。それがここに来て講義を聞いたら、そんな図書館のイメージがすっかりこわれてしまった」 「図書館学ってなんだろう?そんなものが学問としてあり得るだろうかって、毎日カンカンガクガク議論して・・・。でも、2年たったいま、もうその議論にも疲れたって感じ」
この短大の講義の何が、彼女たちの図書館に対するイメージをこわしてしまったのか、
「やさしい、図書館のお姉さんになりたいとあこがれていたのに、入学したら、何はどうあれ分類だけは覚えておけとか、図書館経営とか、技術的なものだけが講義の前面に押し出されている。それと市民を対象にする公共図書館は格が一段下で、専門図書館、大学図書館のほうが上、という感じがあって」
「ある教授の講義なんですけど、来館者の教養程度を何段階かにレベル分けしてね、図書館員は、そのレベルの上のほうから二番目くらいの層の要求に焦点をあわせろ、というの。まだ図書館のよさを知らない人に、本の楽しさをどう広げるかなどということは、ほとんど問題じゃないみたい」
「おかしな話だけどこの学校に入ってから、あなたのように市民運動で図書館づくりをやっている人に初めてお会いしたんです。つまり市民と私たちとは隔離されているんですね。夏休みになると司書資格を持たないで図書館などで働いている人が、資格をとるために短期の講習をうけに来ます。この人たちと交流会を持ちたいと申し出たら禁止されちゃった。
理由は、話にならないんです。講習に来る方は忙しい。疲れておいでだからって」
「これまたある教授の講義なんですけど、図書館員は中立でなければならないから、図書館づくりの住民運動をしている人とかかわりあってはいけないというんです」
司書の社会的地位の向上のためにも、四年制になることはいいんじゃない?と、水を向けてみたが、学生たちの反応は意外に冷たかった。
「そりゃあ私たち、公共図書館に入りたいですよ。でも公共図書館に入るには公務員試験をパスしなけりゃあならない。同じ試験を受けたら、私たち短大でしょう、四年制にどうしても歯がたちませんよ」
「うまく入りこめたところで、私たち本科生は一生図書館の下働き、別科生が、将来、館長さんになる人」
「同じ学内にいても、別科生は私たちに口をきいてもくれないものね」
学識の高い司書をつくるうえではよい制度と思える別科制度も、本科生からみると、身分差別以外の何ものでもないらしい。
「新しい図書館づくりということが、機械化ーコンピューターっていうことにだけ目が向けられているみたい」「コンピューター、コンピューターって熱に浮かされたみたいね」
講義内容への不満、新しい四年制大学の行き方への不満は、とどまるところを知らなかった。あるいは彼女らは、この学校にしてはラジカルな学生たちかもしれなかった。平均的な意見からは外れていたかもしれない。が、私は、これだけの批判を健康に言ってのける彼女らを見て少なからず安心した。若者らしい抗議も反発も疑問もなく、ひたすら勉強を覚えて、就職してからは上司のいうことばかりをよく聞き、市民とは"かかわりを持たない"人ばかりが図書館員となったら、困るのである。図書館は中立であると同時に自由であり、図書館員は"住民に奉仕"するものなのだから。
(中略)
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●新大学への期待ととまどい
(中略)
どうやら新大学は図書館短大とは異質の、高度の調査マンや図書館幹部を育てる学校になりそうである。それも何となく、調査マンの割合がかなり多くなるような予感がする。現在の短大にしても、私の願望する“市民の図書館"の図書館員づくりとはかなりのギャッブがあるのだが。
私が期待していたのは、敏腕の、機械化にくわしい図書館管理者ではなく、立派な学識・専門知識と意見とをそなえ、豊かな人間性を持って住民に奉仕する図書館員を養成する大学だった。こんなねがいはかなえられるどころか、新大学になって、ますますちがいが強まるような気がする。
もっとも、新大学に入ってくる学生たちは、現在の短大生たちほどのすれちがいやとまどいさえも感じないかもしれない。現在の学生たちの多くが、多少なりとも"図書館のお姉さん"を夢見て入ってくるが、新大学にははじめからそんな学生はあまり来ないだろう。新大学構想のパンフレットを見ても、ただよってくるのは情報処理―機械の匂いばかりのように思える。
(終)

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前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は10月25日(金)に更新予定です。