2024年10月8日は、1967年の佐藤首相の南ベトナム訪問を阻止するために戦われた10・8羽田闘争から57年目となる。この日は10・8山﨑博昭プロジェクト主催により、午前に羽田・弁天橋での山﨑博昭君追悼及び萩中公園近くのお寺にあるお墓のお参り、そして午後には萩中公園集会所での記念集会があった。
今回のブログは、その午前の部の加報告である。写真を中心にドキュメント風に当日の様子を報告する。

2024年10月8日(火)
【献花・黙祷@弁天橋】
午前10時45分
京浜急行「天空橋」駅を降りて外に出ると、小雨が降っていた。弁天橋に向かう橋の上から写真を撮る。風が吹いているので、傘をさしながら片手でカメラを操作するのはなかなか難しい。
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海老取川沿いの遊歩道を歩いていく。ここにもお地蔵さんがある。

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午前11時
歩いて10分ほどで羽田・弁天橋に到着。雨の弁天橋。前日は晴れて暑かったのだが、一転して肌寒い天気である。

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(弁天橋)
弁天橋の欄干には「10.8山﨑君追悼」のメッセージが貼り付けられていた。大田区内で「子ども食堂」をやっている方が、数年前からこの日に、橋の両端の欄干に貼っている。その方は今回も参加された。

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(欄干のメッセージ)
参加者の集合場所は弁天橋を渡ったところにある鳥居の前の広場だが、まだ時間が早いので、広場には誰もいない。ベンチの前にスズメが数羽休んでいた。

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広場から平和地蔵のある五十間鼻無縁仏堂を眺める。潮が満ちて、いつもなら鼻のように仏堂から長く伸びている石積が見えない。
仏堂の方から野鳥の鳴き声が聞こえてきた。

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(鳥居の前の広場から見た五十間鼻無縁仏堂)
ウミネコだ。

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午前11時25分
参加者が集まってきた。この日は平日で、しかも小雨の降る天候だったが、いつもの月命日の時よりも参加が多いようだ。約30名の方が参加された。

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(広場に集まる参加者)
広場のテーブルの上には山﨑博昭君の遺影と花束が置かれた。

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午前11時30分
山﨑プロジェクトの発起人である佐々木幹郎さん(詩人)の合図で、参加者全員で弁天橋に向かって1分間の黙祷。
57年前の10月8日、11時30分から40分頃、機動隊の警棒によって山﨑博昭君は弁天橋の上で撲殺された。(『かつて10・8羽田闘争があった』参照)

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(黙祷)


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(『かつて10・8羽田闘争があった』より転載)
黙祷の後、弁天橋を背景に全員で記念撮影を行い、近くの五十間鼻無縁仏堂に向かった。

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【五十間鼻無縁仏堂の平和地蔵にお参り・献花】
午前11時40分
五十間鼻無縁仏堂の前に到着。
仏堂に渡る桟橋の前には由来を記した看板がある。
<五十間鼻無縁仏堂の由来>
「創建年代は不明でありますが、多摩川、又関東大震災、先の第二次世界大戦の昭和二十年三月十日の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着いたしました。その方々をお祀りしていると言われております。
元は、多摩川河口寄りの川の中に角塔婆が一本立っているだけでありましたが、初代漁業組合長故伊東久義氏が管理し、毎年お盆には盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年、護岸工事に伴い現在地に移転しました。その後、荒廃著しく、仲七町会小峰守之氏、故伊米次郎氏、大東町会故伊東秀雄が私財を持ち寄り復興致しました。(後略)」
水難者をお祀りするために作られたお堂で、地元の方々が護っている。
「五十間鼻」という名前は、大田区観光協会のサイトによると
「水中に長さ50間(約90m)に渡り石を敷き詰め、洪水時の急流から岸辺を守るために作られました。水難事故者を供養する無縁仏堂が建てられています」とある。
潮が引くと、五十間の長さの鼻のような形の石積みが水中から姿を現すが、この日は残念ながら満ち潮で姿は見られなかった。
桟橋を渡るとお堂があり、ここに「平和地蔵」がある。

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(桟橋を渡る参加者)
「平和地蔵」は、羽田闘争50周年の2017年10月に、山﨑博昭プロジェクト発起人によりここに祀られた。台座には「山﨑博昭」の名前が刻まれている。
お堂では福島泰樹さん(発起人・法昌寺住職)が読経し、降りしきる小雨の中、参加者は桟橋を順番に渡り「平和地蔵」に手を合わせていた。

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(福島泰樹さんによる読経)
「平和地蔵」に手を合わせる山本義隆さん(発起人・科学史家)
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「平和地蔵」は雨の日も風の日も弁天橋に向かって立ち、平和への祈りを続けている。

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(平和地蔵)
「平和の地蔵」は地元の方々が護っていただいており、季節によって衣装が変わる。これは9月の月命日の時の写真。夏の装いだ。

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「平和地蔵」へのお参りが終り、参加者は萩中公園に向かった。
萩中公園までは歩けない距離ではないのだが、参加者の皆さんも高齢となり、短い距離ではるがバスに乗車して向かう。30名も乗ると、バスは貸切り状態。
萩中公園でバスを降りて、福泉寺へ向かう。

【福泉寺の墓碑と記念碑の前にてお参り・献花】
午前12時20分
参加者は本堂の裏手の墓地に入り、入り口近くにある山﨑博昭君の墓碑と記念碑の前に集まった。お参りと献花の前に清掃。

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福島泰樹さんが読経し、参加者が順番に手を合わせていた。

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(墓碑に手を合わせる佐々木幹郎さん)
最後に福島泰樹さんが読経し、参加者と墓碑を入れて集合写真を撮影。
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墓碑の山﨑博昭の文字は、昔の中国の青銅器の時代に青銅器の周りに彫り込まれた「金文(きんぶん)」という文字である。山﨑博昭君の高校3年生の時の同級生だった書道家の川上吉康氏が書いたものである。

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(山﨑博昭君の墓碑)
墓碑の下にある墓誌(記念碑)には、以下の文章が刻まれている。
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(墓誌文章)
「反戦の碑」
1967年10月8日 アメリカのベトナム戦争に加担するために日本首相が南ベトナムを訪問 これを阻止するために日本の若者たちは羽田空港に通じる橋や高速道路を渡ろうとし デモ禁止の警察と激しく衝突 重傷者が続出し 弁天橋の上で京都大学1回生 山﨑博昭が斃れる 享年十八歳 再び戦争の危機が高まる50年後の今日 ベトナム反戦十余年の歴史をふり返り 山﨑博昭の名とともに かつても いまも これからも 戦争に反対する というわたしたちの意志を ここに伝える
2017年10月8日
10・8山﨑博昭プロジェクト
代表・兄山﨑建夫 建立

参加者は萩中公園内にある集会所の地下の食堂に向かい昼食。
午後の集会の様子は、後日、ブログに掲載する予定である。
(つづく)

【『新左翼・過激派全書』の紹介】
ー1968年以降から現在までー
有坂賢吾著 定価4,9500円(税込み)
10月下旬刊行予定

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(作品社サイトより)
かつて盛んであった学生運動と過激派セクト。
【内容】
中核派、革マル派、ブント、解放派、連合赤軍……って何?
かつて、盛んであった、学生運動と過激な運動。本書は、詳細にもろもろ党派ごとに紹介する書籍である。あるセクトがいつ結成され、どうして分裂し、その後、どう改称し・消滅していったのか。「運動」など全く経験したことがない1991年(平成)生まれの視点から収集された次世代への歴史と記憶(アーカイブ)である。
貴重な資料を駆使し解説する決定版
ココでしか見られない口絵+写真+資料、数百点以上収録
《本書の特徴》
・あくまでも平成生まれの、どの組織ともしがらみがない著者の立場からの記述。
・「総合的、俯瞰的」新左翼党派の基本的な情報を完全収録。
・また著者のこだわりとして、写真や図版を多く用い、機関紙誌についても題字や書影など視覚的な史料を豊富に掲載することにも重きを置いた。
・さらに主要な声明や規約などもなるべく収録し、資料集としての機能も持たせようと試みた。
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いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在18大学9高校の記事を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html

●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
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「知られざる闘争」の記録です。
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【お知らせ その2】
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