今回のブログは、『続・全共闘白書』編纂委員会の個人史インタビュープロジェクトにご協力いただいた金杉和夫氏(1969年一橋大学入学)からの投稿である。
1969年から1974年までの『一橋新聞』の記事をベースに、金杉氏他の証言を交えて、一橋大学の闘争と全国的な政治闘争について書かれた記録である。一橋大学の闘争はほとんど知られていない「知られざる学園闘争」なので、貴重な記録である。今までこのブログで紹介してきた「全国学園闘争」シリーズの一つとしてお読みいただきたい。
また、政治闘争の記事については、大学新聞ではあるが、かなり詳細に書かれているので、記録的価値は高い。
原稿の分量が多いため、4回に分けてブログに掲載してきたが、今回は最終回1973年から1974年である。
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(『一橋新聞』1970.9.16)

『一橋新聞』で読む1969年から1974年~一橋闘争・全国全共闘・安保沖縄闘争・三里塚闘争・立川闘争を振り返る
日本各地で全共闘によって展開された全国学園闘争の一環として一橋大学で闘われた一橋闘争と全国全共闘・安保沖縄闘争・三里塚闘争・立川闘争など諸闘争の経過を『一橋新聞』の1969年1月1日第845号から1974年11月1日第944号の100号分の記事と論説から抜粋・要約して再現し年表形式の経過記録にまとめた。『一橋新聞』は学生新聞で部員はほとんど全共闘の支持者であるから、その主張には偏りがあり、闘争の参加人数や成果を誇張して表現している傾向はあるが、現場に居て取材した者が記事を書くというのが原則なので、その内容は大体は事実に即していると思う。学内の出来事の記事はできるだけ採用し、学外の記事は学内の者が組織的に参加した出来事を中心に採用した。
加えて、1968年入学のO氏と1970年入学のM氏からいくつか証言を頂いたので、経過を追って〈Oの証言〉〈Mの証言〉として「太字」で挿入した。
併せて、1969年入学の金杉個人の当時の体験や感想をできるだけ率直に思い起こして経過を追って「斜字体」で挿入した。経過記録と読み合せると当時の状況が実感してもらえると思う。
当時の一橋大学で、前期とは1,2年生のための教養課程のことで小平キャンパスで行われていた。後期は3,4年生の専門課程で国立キャンパスで行われていた。前期は現在は国立キャンパスの東校舎に移転している。

1973年
1・18 東大安田決戦4周年
学生運動の飛躍をかけ闘わる
プロ統派全学連を中心とする1・18実行委員会は午前中東大当局のロックアウト攻撃を粉砕して安田講堂前集会、午後6時から清水谷公園で総決起集会を行い、対政府・文部省闘争を全国から結集した約300名の部隊で闘い抜いた。

川口君虐殺糾弾!早大解放の闘いは進む
昨年11月8日川口大三郎君が革マル派に虐殺されたことを契機に早大四万学友は早大解放の闘いに着手していた。この日中核派は「カクマル殲滅!早大解放!」の闘いとして、早大近くの公園から早大正門に約1000名で進み突入をめざしたが、官憲の弾圧に阻まれ約60名が逮捕された。早大構内では自治会運動の再生を目指す臨執、新執、全学行動委員会の学生と革マル派が対峙したが、全国動員の革マル派300名の敵対に屈せず、当局の試験攻撃による正常化攻勢を粉砕し、総長団交を勝ち取るための総決起集会が克ち取られた。政経、1文、2文でストライキが決議され、試験を阻止する闘いが全学に波及しつつある。

自衛隊の放逐へ 住民登録・協力業務拒否闘争
1月の立川闘争
1月以降「否の会」「芽の会」「若葉町市民会議」などの市民団体、および労働者、学生らは連日立川市役所に詰め、自衛隊の住民登録を事実上阻止し、阿部立川市長に最低限自衛隊の住民登録を保留させ、更に団交を継続し、募集業務などの協力業務を拒否し、住民登録拒否の闘いに対する弾圧はしないことを要求した。
ところが全国革新市長会は「基地立入調査権」を政府に要求し、阿部市長はそれと引き換えに住民登録保留を解くと言い出した。「基地立入調査権」の政府からの回答がないまま保留解除に踏み切って行った。市長選では「自衛隊が強行移駐してくるならば体を張って阻止する」と言っていた阿部市長は、議会主義に屈服し市民を裏切って行ったのだ。
2・12,15阿部市長の官憲導入
による階級的敵対を弾劾!
2月12日は、立川市議会議長を先頭に政和会、新政会、共産党の議員団が防衛庁関係者と懇談するため貸し切りバスで出かけようとするのを、市民が座り込んで阻止しようとするのを、市議会議長の圧力により阿部市長が官憲-立川署を導入し排除したのだ。防衛庁は一方的に返還後の自衛隊の使用を示唆した。
15日は、庁議で最終的に保留を解除しようとした阿部市長に対し、これを粉砕しようとした市民団体を機動隊を導入して強制排除していった。官憲を導入した「革新」阿部市長の責任は重大である。立川市職労からも批判の声があがっている。今後も立川市職労と共に労学市民が実力で住民登録を阻止することが予想される。

1・24 於東京地裁八王子支部に50名結集す!
北畠君(日野自工)解雇粉砕第4回公判闘争
1・31東京高裁判決
東京タワー決起富村順一氏への
差別実刑判決を弾劾せよ
反軍・反基地闘争の巨大な前進を!

ミッドウェイ母港化阻止 横須賀闘争
1・21現地集会開催 横須賀臨海公園にプロ統派を始め300名の労学市民
2・20現地闘争 勤労会館に青ヘル300を先頭に4百名

内乱鎮圧部隊進駐阻止 立川闘争
2・27 住民登録再開阻止 
市民団体、テント村に結集する労学、全学連現闘団(プロ統派)が早朝から立川市庁舎に結集し登録再開に抗議。全学連(プロ統派)40名、叛旗派、革マル派もそれぞれ集会。
3・7 先遣隊進駐一周年
午後6時過ぎから基地正面ゲート前でテント村呼びかけによる自衛隊放逐、進駐阻止の集会が開かれた。

このころ私は誘われて久しぶりに立川闘争に参加し市庁舎への抗議行動などに参加していたが、日時ははっきりしないが立川の公園の集会で、介入してきた革マル派の部隊と旗竿を構えて衝突し組み合うところを横から鉄パイプで襲われ顔面にけがをした。これが最後の闘争参加だったかもしれない。
新聞部では、1972年4月から6月にかけて部員5人で廣松渉、吉本隆明、梅本克己、黒田寛一、田中吉六を採り上げ「初期マルクス像の再構成に向けて」という連載、1972年10月から73年5月にかけて部員5人で宇野弘蔵の『資本論研究』を採り上げて「マルクス経済学への途」という連載を行った。73年2月と5月には金杉単独で「戦後世界とベトナム」の論考を掲載した。自分たちの不完全な闘いが多少なりともベトナム人民の闘いに連帯していたことを確認したい気持ちがあった。

3・15富村氏をついに奪還す
70年7月8日の東京タワーにおける決起以来、3年にわたり獄中に囚われながら、権力と非妥協的な闘いを続けてきた富村順一氏が3月15日、遂に沖縄人民の、全ての労働者人民の手に奪還された。富村氏は沖青同をはじめとする闘う隊列と共に果敢な公判闘争を展開してきたが、第一審、第二審とも2年半の実刑判決を受けたのだった。そして沖青同三戦士の国会内決起闘争は富村氏の闘いを受け継ぎ発展させるものであった。午前8時、支援団体は富村順一氏を迎えて統一集会を克ち取った。この集会で出獄第一声を戦闘宣言として発した富永氏は同日行われた沖青同国会内決起第14回公判闘争に参加していった。

4月1日号掲載 原子力発電所反対闘争への招待
放射能から命を守る闘い 滝沢潤氏(全国原子力科学技術者連合)

4・26前期学生大会でストを決議
26日午後2時320名の結集で臨時学生大会が開かれた。
前期自治会執行委の議案内容は、筑波法反対と学内諸要求が主なものだった。
狭山差別裁判糾弾闘争委員会からは「来る5月下旬に予想される寺尾新体制の第1回公判に、ストライキで高裁前日比谷小公園に結集せよ」と提案された。
反帝学評・反軍行動委員会から「73年反戦―反合春闘と連帯し、沖縄返還をテコとした帝国主義的国民統合を粉砕し4・28-5・15をストライキで闘い抜け」と提案された。
小平祭共闘会議からは前期評議会によって一方的にでっち上げられた小平祭規約の白紙撤回と評議会の自己批判、公選制による小平祭の設立が訴えられた。
午後6時20分採決が行われ、前期自治会執行委員会案が可決、糾闘委案が可決保留、反帝学評・反軍行動委案が否決、小平祭共闘会議案も否決された。
これによって4月27日28日、5月15日ストライキが行われることになった。

この記事からは3日間のストライキが誰の提案でどのように行われたかよくわからない。

ベトナム、インドシナ人民の進撃と連帯
4・28全国統一行動闘わる
労働者人民中央総決起集会 沖共闘など於・代々木公園
ベトナム人民、沖縄人民の闘いと連帯し、ベトナム革命の圧殺・封殺を許さず、沖縄の手国主義的・反革命的統合粉砕!日米共同反革命基地強化阻止を掲げ、4・28労働者人民中央総決起集会が沖共闘の呼びかけで、6時半から代々木公園で開催され、約1200人(プロ統派550、戦旗派100,糾弾共闘50,沖青同20、プロ青同その他)が結集し、集会後日比谷公園までデモを行った。
この日中核派は芝公園に2000名、革マル派は日比谷公園に1200名を集め、集会、デモを行った。

5・15「屈辱の一周年」
諸戦線を結集し永続的な沖縄解放闘争へ前進を!
沖共闘など於・日比谷野音
 協定批准阻止―5・15返還粉砕―自衛隊派兵阻止闘争を闘い抜いてきた沖共闘をはじめとする労働者人民は、5・15返還の屈辱の一周年を永続的沖縄闘争の飛躍点とすべく5月15日午後6時から日比谷野外音楽堂で総決起集会を開催した。参加者三千名、主な内訳はプロ統派600,戦旗派200,プロ青同150など。この日鶴見の沖縄人居住地区で独自闘争に決起した沖青同から沖縄の現状を告発したアッピールが寄せられた。反戦米兵組織VVAW横須賀支部、三里塚反対同盟の北原事務局長が連帯の挨拶を行った。
労働戦線から決意表明のあと、女性解放をめざし優生保護法改悪阻止を闘う三法案粉砕実行委員会から、この集会と並行して厚生省糾弾闘争をリブ、アジア婦人会議、ベ平連など市民団体と共に闘っていることが報告された。反軍戦線、部落解放戦線、入管戦線、反弾圧戦線の発言のあと、各党派が決意表明し9時ごろ終了し、デモを貫徹した。

再開狭山差別裁判公判闘争勝利へ
5・19部落解放全関東集会
狭山差別裁判糾弾!石川青年奪還!再開公判闘争勝利に向けて、全都神奈川狭山差別裁判糾弾共闘会議の呼びかけで、5・19部落解放全関東労働者人民集会が400名の結集で午後6時より豊島公会堂で開催された。基調報告では、「部落民、在日中朝人民は相対的過剰人口の帝国主義的利用の流動的労働力の最下層労働者として社外工、臨時工、パートの位置を強制的に迫られている。部落差別、人間の自然的差異、「性」による差別の拡大、推進(差別文書「女性の能力開発」が端的に表している)を通した近代的労務管理が、マル生、合理化を頂点にして労働者階級の団結の解体として推し進められている。企業別、産別、本工の従業員組合を突破してしいたげられた人民を見つめた労働運動の推進が必要である。」と述べられた。

緊迫した情勢下闘いの深化にむけ
5・20優生保護法改悪阻止第2回東京集会開催
5月20日板橋区の産業文化会館で優生保護法改悪阻止第2回東京集会が300名を結集して午後1時半から開催された。昨年の上程策動以来各地域・職場・学園等で闘いを組んできたアジア婦人会議・婦人民主クラブ・リブ?三法案粉砕東京実行委員会等二十数団体と諸個人が「優生保護法改悪阻止実行委員会」に結集し共同討論・共同闘争を推進してきた。5月11日の閣議での再上程決定に対して、政府厚生省に対する断固とした抗議糾弾行動を連続して展開している。
経過報告のあと諸団体から以下の5点が問題提起された。1.改悪の真の狙いは何か 2.産む産まないは女の権利か 3.優生保護法と「障害者」問題 4.ピルの解禁をどう考えるか 5.刑法堕胎罪をどう考えるか。
討論では、府中療育センター在所生有志グループ・青い芝の会等が障害者の立場で発言し、「侵略を内乱へ」などと空語を並べる諸君や「産む産まないは女の権利」という諸君は「障害者の悲惨を助長する差別者だ」と糾弾した。障害者の痛みに健常者はいかに応えていくのか、避妊とは何かといった根源的問題が提起された。

6・3 ミッドウェイ母港化阻止
横須賀現地闘争大衆的に闘わる
昨年の相模原闘争以来、相模原、横須賀、立川、横田を貫いて、労働者、市民、反戦米兵を中心に国道16号線を貫いた強力な反軍・反基地の闘いのうねりが生み出されてきた。6・3集会はその闘いのうねりをミッドウェイ母港化阻止へと集中すべく、母港化阻止連絡会を中心に呼びかけられた。反軍諸団体を始め、プロ統派300,市民団体100,第4インター100,戦旗派50を始め700名が結集した。VVAW横須賀支部の発言、米駆逐艦ガーキー豪乗組員の米兵一同からのアピール、軍需産業労働者である全造船浦賀分会―親組合に反対する会の決意表明があった。

7・7-8 第13回小平祭終わる~徒労の試み
第13回小平祭は7月6日の国立兼松講堂での前夜祭に続いて7日8日の両日前期小平で開かれた。昨年10月の学生大会決定(実行委の公選制移行決議)を尊重して自主的に解散した前実行委のあとを受けて発足した第13回小平祭実行委は、統一テーマとして「自らの掌に新しい力(と未来)を取り戻そう」を掲げ、次のようなアピールを発した。
小平の現状考察として、学生自治の重要な基礎単位たるクラスの崩壊状態、もう一つの単位であるサークルのサロン的情況を挙げ、大多数の学生は受験教育に象徴される差別と分断の能力主義教育課において、主体性は圧殺され、みずみずしい感性は摩滅している、とする。「大学祭とは各クラス・サークル企画を中心とした、われわれの知的創造の集約の場であり、同時のわれわれの知的創造を未来に向かって前進させる場でもある。」(第8回小平祭アピール)それは大学祭当日だけでなく学内の広範な恒常的な運動の一環として存在する。
祭は歴史的に考察すれば、日常的に抑圧されている一般大衆に非日常的な発散の場を与えることによって支配手段とする側面を持つ。従って我々は、実際の運動の中で虚構性を突破し、上記の理念の内実化を図って行かねばならない、と訴える。
 第9回以降積み重ねてきた理念から、第12回実行委が大学祭の本質を支配階級が与えた「擬制のまつり」と看破し、それを解体し「真正のまつり」へと突き出したことから見れば明らかに後退である。
本番の小平祭では、実行委は河村錠一郎助教授、出口裕弘教授によるシンポジウム「文学と大学」、小川プロ制作の映画「三里塚―辺田部落」などを企画、クラス、サークル企画にも多少は意欲的な企画も行われたが、総じて模擬店の氾濫に終始し実行委の呼びかけも徒労に終わったようだ。

10・5ミッドウェイ入港
10・10全青協関東ブロック横須賀現地闘争
10・21反戦闘争闘わる
早大解放闘争―決戦局面へ
11・5川口君虐殺糾弾全人民追悼集会
11・8早大周辺でバリケード戦を展開

11月一橋祭雑感
俺たちの戦略――寒風吹き荒ぶ 心優しさ
一橋祭運営委員会の商魂たくましい呼び屋根性も徹底して、ローマクラブの創設者から、マッコイ・タイナー、野坂昭如から南沙織まで。大学通りの天下市ではそぞろ歩きの家族連れを巻き込んで。都留学長のしゃちこばった音頭も応援部の身の毛のよだつ口上も聞き流して飲んでたお情けのビールや樽酒、キャンパスを歩くわれわれが払拭できなかった肌寒さは何故。彼らのこれ見よがしの心優しさが鼻持ちならない。

再開公判闘争火蓋切る
狭山差別裁判糾弾闘争
11・27二万人の怒りの叫びで高裁―霞が関を包囲す
12・6青年労働者先頭に多くの労組結集す
12・8第二の狭山事件大阪松原市で発生
糾闘委も連日決起

11・19学内集会 11・26学生大会を軸に組織化
糾闘委は再開公判に向けて11月19日の総決起集会と26日の学生大会を軸にして闘争体制を整えた。19日の総決起集会は糾闘委、新聞部、反帝学評を中心にした実行委員会で組織された。20名が結集し糾闘委から狭山事件の発端から石川氏の別件逮捕、再逮捕、第1審から第2審井波退官に至る経過が明かにされ、新聞部からは日共の部落解放闘争への敵対に対する批判が提起された。最後に反帝学評が「昨年11月に早大文学部で革マル派にリンチ殺人された川口大三郎君は狭山差別裁判の糾弾に決起し、革マル自治会執行部が狭山闘争を放棄している早大で、学友に訴え闘いを組織しようとした。革マル派は彼を狭山闘争を闘おうとしているから中核派のスパイと決めつけ虐殺した。早大解放闘争と結合し狭山闘争を闘い、部落解放闘争に敵対する革マル派を粉砕していく。」と提起した。
糾闘委の開催要求署名によって開催された26日の前期学生大会は百名余の学生しか集まらず流会した。自治会執行部の日共民青は狭山闘争への取り組みを実質的に放棄し、悪質な誹謗のビラを撒いていた。

1973年
早大解放闘争
早稲田祭粉砕闘争を経て一年に及ぶ
11・5川口君追悼全人民集会 日比谷野音に2千人
11・23早稲田祭粉砕闘争 早大十一共闘

1974年
1・7田中アジア歴訪阻止闘争 沖共闘潮流 大田区民公園
2・7、14狭山差別裁判再開第4第5公判闘争 革マル派の介入粉砕し闘わる
3・22再開公判闘争 寺尾、証拠を却下 

 金杉は1973年春から二年生のT子と同棲し、国鉄のディスカバージャパンの宣伝ポスターを都内の街中に貼るアルバイトに精を出し、妊娠がわかって出来ちゃった結婚をしてT子の実家の離れに転居し、74年2月に長女が生まれ、3月に一橋大学を卒業し、4月に多摩地区の市役所に就職した。

4月1日新入生特集号 サークルへの招待
教育研究会 恒常的教育闘争の展開を!
映像文化研究会 映像創造行為の噴出を
狭山差別裁判糾闘委 狭山差別裁判糾弾 石川青年奪還
アナキズム研究会 管理社会との闘い
一橋新聞部 自己宣伝

この5つが当時の全共闘系のサークルだった。

4・28 政府、資本家打倒を掲げ 
社共の参院選集約を突破し、さらなる政治闘争への決起を 日比谷野音で中央集会
プロ統派800名を先頭に戦旗派など200名を結集、沖共闘浜口事務局長が開会宣言、経過報告し、三里塚反対同盟北原事務局長が連帯の挨拶のあと、全金本山、東水労、東京反戦、国労高崎、労共闘、東交労研、三法案粉砕実行委、全都神奈川糾弾共闘、法制審粉砕実行委から決起の呼びかけを受け、集会を終わり、戦闘的デモを貫徹し、総括集会では全学連(北条委員長)の仲間から総括提起を受けた。

5・14法制審議会 最終答申を粉砕せよ! 二百名が結集
5・29法務省構内に突入 刑法改悪―保安処分による人民収奪を許すな

5・15沖縄人民解放に決起!中央労働者人民集会 於・明治公園
プロ統派500名、反帝戦線、プロ青同、中大戦線を含め全体700名を結集し沖共闘統一集会として開催。

狭山闘争 死闘の4か月に突入
5・22糾闘委決起集会を貫徹 於・小平キャンパス
小平学食前で昼過ぎに開かれ、糾闘委のメンバー等10余名が結集し、糾闘委から狭山差別裁判の過去11年間の経過、一橋における狭山闘争の取り組み、行動提起として23日公判闘争への参加が呼びかけられた。
5・23公判闘争に1万8千人が決起
解放同盟完全無罪を要求

5・28前期学生大会は流会
大会は始め三百余名で成立し、糾闘委からの石川氏の無実・無罪・即時釈放の闘いへの決起の呼びかけがあり、自治会執行委からは新大菅法―大学改善問題などについて提案があったが、退場者の続出により学生集会となった。

6・15社共の参院選収約を突き破り
政府打倒へ武装進撃す!
明治公園において沖共闘主催の刑法改悪・小選挙区制粉砕、南朝鮮人民連帯、田中自民党政府打倒、労学中央総決起集会が開催され、プロ統派を先頭に日本反帝戦線も含め約1500名が結集した。

6・28,29第14回小平祭開催
新たに組織された実行委による2回目の小平祭であるが、例年通りのオマツリとして終始した。

前期自治会執行委員長選挙行わる
A君555票S君303票でA君が選ばれた。期日と詳細は不明。

7・7参議院選挙に三里塚反対同盟戸村一作委員長が立候補

狭山差別裁判公判闘争
9-10月決戦の火蓋切る
9・3二会場に二万人が結集
石川青年からのアピール 勝利への不屈の闘志
9・5日共による分断策動を激しく糾弾

9・8刑法改悪阻止討論集会 
文京区民センター 救援連絡会議主催

10・10三里塚闘争 現地に五千が決起!
鉄塔死守、成田決戦の火蓋切る ガタガタの人民抑圧空港

10・21国際反戦中央闘争
―狭山決戦勝利 フォード来日阻止
午後6時から宮下公園で「10・21狭山政治決戦勝利!フォード来日阻止!日朝連帯!
革マル絶滅!帝国主義ブルジョワ政府打倒!中央総決起集会」が社会党社青同解放派(プロレタリア統一戦線潮流)の青ヘル武装部隊を中心に一千余の戦闘的労働者・学生を結集して勝ちとられた。全都神奈川糾弾共闘からの<死刑判決絶対阻止、無実の部落青年石川一雄君実力奪還>の訴えと日本社会主義青年同盟からの「革命的労働者党建設に向けた最大の環―反革命的宗派革マル解体絶滅」の訴えが強調された。

 秋期の反戦反安保反基地沖縄を掲げた政治決戦であるべき10・21闘争が全国全共闘を継承した沖共闘で主催できなくなり、反帝戦線もプロ青同も市民団体も共闘できず解放派単独の集会となり、革命党建設、革マル解体の叫びが悲愴感を帯びている。全国全共闘、新左翼という政治潮流が完全に解体し、諸党派が党派対立と党内抗争の泥沼に陥っていることを示している。

10・31狭山差別裁判第82回公判
石川青年に無期懲役
客観的事実を無視 部落差別には一切触れず
解放同盟 闘いの強化を声明

11・2一橋祭シンポジウム成功
刑法改悪阻止に熱気

以上、全国全共闘と一橋大学全闘委とその流れをくむ者たちが行った運動と闘争を『一橋新聞』の紙面でたどってきたが、全国全共闘を引き継いだ沖共闘が主催した集会は1974年6月15日が最後であり、一橋全闘委の流れをくむ共闘組織「全共闘」が学生大会に議案を出したのは72年10月12日が最後である。その後は反帝学評・反軍行動委員会が73年4月26日の学生大会に議案を出し、狭山差別裁判糾弾闘争委員会(糾闘委)がその後も繰り返し狭山闘争への決起を訴えたが、74年10月31日の石川青年への無期判決で一つの区切りを迎えた。全闘委系が掌握していた小平祭実行委員会は73年から委員の公選制に移行した。この時点では、一橋新聞部、糾闘委を始めいくつかのサークルが残り、優生保護法改悪阻止と刑法改悪-保安処分反対の動きが起こっている。

【お知らせ その1】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
全共闘機関紙や全国26大学の大学新聞などを掲載しています。
http://meidai1970.sakura.ne.jp/gakuentousou.html

●新左翼党派機関紙・冊子
1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。

【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2026年5月22日(金)に更新予定です。