今回のブログは、前回に引き続き雑誌『現代の眼』(1974年7月号)に掲載された「特集・日本の大学―感性なき虚構の集団か」の中から竜谷大学の記事を掲載する。
この特集には、1968年から1970年にかけての全国学園闘争が下火となった1974年頃のいくかの大学の情況が描かれている。
今回の記事の竜谷大学は京都にある仏教系大学であるが、1969年9月には全共闘系学生による西本願寺突入闘争が闘われている。その時の様子は以前、このブログで紹介しているので、参照していただきたい。
No110 1968-69年 全国学園闘争 龍谷大学編
https://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-11-27.html

特集 ・ 日本の大学一感性なき虚構の集団
竜谷大学 燃える反ヤスクニの火
吹けば飛ぶようなバリケードでもそこにかけたノンセクトラディカルズの心意気は真実だ
梅原正紀(宗教評論家)
観念用語にはジンマシン
燠とい字がある。この雑誌の読者は教養があふれかえっていると思うので、ルビをふることは自尊心を傷つけることになりはしないかと遠慮したか、念のために教えると「オキ」と読む。炎をあげて燃え上がっていた薪が、炭火のようになった状態を意味する。消えてはいず、火種となって残っている状態だ。
今年の4月22日の夜から26日にかけて、京都・竜谷大学の大宮学舎にバリケードが築かれ、大宮学舎が封鎖された。バリケードにたてこもった学生は約100人、全共闘の血をひくノンセクトの学生で、「靖国共闘会議」に結集するメンバーである。
バリケードが築かれる3日ほど前のことだった。竜谷大学OBから、電話がかかってきた。
「大宮学舎で靖国法案について講演してもらえませんか」
「えっ講演?いやだなぁ。竜谷大学のことは竜谷大学で始末をつけて欲しいな。教授か卒業生に詳しい人がいるでしょう。それにどうも高いところでしゃべるのは晴がましくて、それがいやで学校の先生にも落語家にもボクはならなかったんだ」
「そこを曲げてなんとか。靖国法案はたんに宗教界の帝国主義的再編のみを意味するウンヌンカンカン・・・」
後半のセリフはうそである。左翼政治用語を日常会話のなかでたくみにあやつる若者とはあまりつきあわないことにボクはしている。赤いボツボツができるジンマシンになるからだ。左翼政治用語を使わないで責任問題としてくどかれたので結局ボクは承知した。
というのは昨年10月だったか、 秋山清さんとポクは、竜谷大学の靖国研究会なるものに招かれて講演したことがある。もちろんボクは前座だ。それでも校門にでかい立て看が出ていて「梅原正紀氏『不良少年と天皇制の有機的関係』」と演題が書かれてあった。ああいう立て看をみると「梅原正紀来る!」と書かれているような気がして、背中に毛虫がゾロゾロとはっているような感じに襲われる。
「アアーツかんべんして!」と悲鳴をあげだしたくなる。だから、ボクは政治家にも芸人にもならなかったのだ。ともあれ、そのときの講演会がきっかけとなって反ヤスクニの機運が盛りあがっていったというのだ。したがってツラを貸せというのである。ボクは我が身の非運をなげいた。「それじゃあしゃない。行くよ。そのかわり、女の学生さんも集めといてよ。きっとだよ」「ハイ、わかっています」これは蛇足である。
竜谷大学の大谷学舎に着いて驚いた。バリケードがはられていただけでなく、黒ヘルメットに覆面姿の武闘スタイルのアンちゃんが70人ぐらい結集していたからだ。こんな状況になっているとは知らされていず、ボクはノコノコとやってきたのだ。
「あれはなんですか。どうしたんですか」
とボクは暴力ぎらいの民青のように青ざめながらおびえて聞くと、リーダーの一人がこともなげに説明してくれた。
「ニチガクドウが攻めてくるという情報があったもんやから・・・。あれですよ」
と校舎を指さした。見ると「靖国法案粉砕」「天皇制解体」と大書した横断幕がはられている。
「えっ、靖国だけでなく、天皇制まで解体しちゃうの」
「もちろん、わたしは赤胴鈴之助のココロですわ。夢ハ大キク少年剣士ですがな、もっともへルメット部隊の中には少女剣士もまじってますわ」
「えっどれどれ」
と見てもだれが男やら女やらまぎらわしくてポクにはわからない。ベートーベンみたいな髪形をした野郎どもがやたらと多く、それにおネエちゃんのほうもジーパンをはいていて、西洋の作業衣のような青い服を着ているから見当がつかない。
「女子学生も闘うの?」
「最近はね。昔は女子学生は救対と受持ち分担かだいたい决まっていたんやけど、それじゃ満足できへんというてくるんですわ。おとろしい世の中になってきやはりましたな。断りきれんのですわ」
「ウーン、諸行無常だな」
とボクはうなってしまった。新しそうなことをいっていてもしょせんポクはつけやきばで根はホーケン男児なのだ。新しい理屈と暴力の洪水にはお手あげだ。
「でもね、彼ら、いや彼女らは心やさしいですわ。根っ子のところでは」
「そうかね」
とポクは疑わしい眼になる。すべてをまず疑ってかかる眼こそ、現代の眼である。きっとそのおネエちゃんたちのなかに彼の片想いの佳き人がいるのではないかと見当をつけた。竜谷大学でのソレ者系統のおネエちゃんのサークルは「女性史研究会」である。森崎和江先生や高群逸枝女史の著書をきちんと勉強している。秋山清さんとご一緒して、おネエちゃんの一人がアピールを行うのを聞いたことがある。吉本隆明先生や管孝行先生をも、はるかにしのぐほどの難解な観念用語を駆使するのを聞いてホトホト寒心、いや失礼、感心した経験があり。
「去りがての京都」
京都の大学では、一年生、二年生といったかぞえ方をせずに一回生、二回生といっている。竜谷大学も同様である。不動産屋の案内めくが、この大学には京都駅下車、徒歩7、8分ぐらいの一等地にある大宮学舎と京阪電車沿線の深草駅から徒歩2、3分ぐらいのところにある深草学舎とがある。バリケードの築かれた大宮学舎には大学院と文学部の専問課程がある。つまり三回生以上の学生が通学しているのだ。その大学生たちとの一問一答。
ボク「なぜ、何回生という呼び方をするのかな」
学生A「それはやな、三年生四年生という呼び方では、四年生やけど、実際は六年在学している場合、はっきりせえへんやろ。六回生で四年生といったほうが正確やし、合理的でっしゃろ」
学生B「そんならお前、京都の学生は、東京の学生と違って留年するやつが多いんか」
学生A「そうやな。そういわれてみれば・・・。どうしてわしは、こう頭が弱いんやろ」
ところで、大宮学舎にいる三?生以上の竜大生でも、60年代末の全共闘運動は今は昔である。その当時のリーダーも名前だけは知っていて、顔を知らない学生が大半である。かつて日大全共闘の書記長をしていたT君が同人雑誌に毛の生えたような雑誌を出したさい、その販売の助けになるならと竜大生を紹介したことがある。
そのさいT君と会った竜大生たちの会話。
「わしゃあ、 Tさんってもっとええ男前の人やと思っていたが・・・。鼻は高くないし、眼はパッチリとしてないし、わしゃあ自信もったなぁもう」
「あほう、全共闘は顔で勝負したんやないわ。東大、日大全共闘の切りひらいた地平をワイ小化したらあかんぜ」
「でも、日大はええがワシは東大全共闘って好かんわ。頭のいいやっは理屈ばかりいってやるときあんまりやらへん。そんなのに竜大生の中にあの安田講堂に行ってバンバンやったのがおるんやってな。ようやったな。竜大生はいつも兵隊なんや、下請けなんや、消耗品なんや。ボロ大全共闘やものな」
といった案配で、バリケードを築くといっても、初体験の学生がほとんどである。この大学でも69年の6月と10月にパリケード闘争を行なった歴史があるが、そのころ高校生だった諸君たちなのだ。ところがよくしたもので、全共闘一期生のOBが、助っ人にかけつけてくる。卒業後もなぜか「去りがての京都」で故郷に帰らず、土方をしたり、家庭教師をしたり、バーテンをしたりして、京都にへばりついている連中がいるのだ。セクトに所属しているわけではない。だから組織的保障はゼロだ。また新たにセクトを作ろうという野心もない。
「あんたって好きねぇ」
というか、「去りがての京都」なのだというしか、説明しょうがない。ともかく、この好き者の諸君の存在は大きい。
「辺境」としての竜大
竜谷大学には民青を除けば、カクマルがいうところのプチブル小雑派もそうして大雑派もほとんどいない。ニューレフト系ではノンセクトが圧倒的多数を占めている。セクトが育たない大学なのである。全共闘時代からそうなのだ。竜大には自治会に相当する学友会があるが、これまで中執をとっていたのは民青か体育局であり、現在は民青である。70年の1月に、民青系の学友会をリコールして全共闘系が暫定中執をとったことがあるが、半年も持たずに破産している。一般に自治会を特定のセクトが掌握するのは、ゼニッコほしさからでもあり、多数派工作に何かと都合がいいからであろう。ところがノンセクトは、多数派工作をする必要はないし、またゼニッコにも淡白である。それにセクトと比べれば、はるかに実務能力が劣る。ノンセクトの学生は、その関心が政治に向けられてはいるが、それと同量以上のエネルギーが哲学・文学・宗教的課題にむけられる。いい直せば実存的な課題に向けられるということである。実務と実存じゃ大いに違う。
よくいえばそれぞれが主体的なのだが、めいめいが一家言の持ち主ということになり、結果として百家争鳴して組織力がガクンと落ちることになる。全共闘運動を破産させた理由の一つに、政治セクトの引き回しということがよくいわれる。その点では、竜大全共闘は他の大学に比べて恵まれていた。ノンセクトがヘゲモニーをとっていたからだ。これは東大、日大全共闘あるいは他大学の全共闘ときわだって違う竜大全共闘の特色であった。
指導部分がセクトのふりをしたり、あるいは大衆バッタにならずにすんだのである。もともと全共闘スピリットなるものは、一人になってもやるということにあるはずである。
かつてバリケード花やかなりしころ、もし全共闘の指導部分の諸君が、本気になって機動隊の軍事力と五分でわたりあえると考えていたら、現実感覚ゼロである。バリケードに物理的な意味での軍事性がまったくなかったなどとはいわない、そのウエイトは思想の表現、つまり生きざまの表現のほうにおかれていたのではないだろうか。だからこそバリケードは「落ちても落ちない」のだ。
なぜ、竜大には、プチブル小雑派ないしは大雑派が育っていかないのだろうか。これまた結構なことだが、何人かの活動家学生の話を総合するとこうだ。全共闘の初期時代、ノンセクトに人材が集まりすぎていたため、セクトの諸君は議論で負けるし、人間的魅力で劣っていたということが第一点、また、デモや民青とのゲパルトが終わると、それぞれの仲間の下宿に集まって一杯のむ、泣いたり、笑ったり、どなりあったりする、そこでの人間的なふれあいが、連帯感の原基を形づくっていることが第二点、あとは略す。公安のおまわりさんから調査費をもらっているわけではないし、公安資料として役にたたないようにしながら、書きすすめていくのは当然でしょう。
「いうたら横のつながりや。セクトみたいタテのつながりは育ちにくいんや。くだけていうなら義理人情でつながっているんや。同じ理論をもつことも大切やと思うけど、お互いの間に信頼がなきゃ、よう闘争できへんのと違いますか。ボクらそんな竜大を称して辺境と呼んでますのや」
と学生はいうのである。
衣の下に「ソロバン」
話は違うがこの3月初旬、京都・東本願寺で、親鸞の子孫である大谷家ならびにその側近グループの教団私有化に抗議する集会がもたれ、真継伸彦さんがメッセージを寄せた。その要旨を披露してみたい。
全共闘は大学を変革する主体として登場したが、変革を志向する主体の中味のほうはどうなのかいなという問いの前に敗れたというのである。オレもだめだけれどオマエもダメだ、が結論となって破産したというのだ。ここから変革をにないうる主体の確立は仏教に期待しなければならず、ことに親鸞の教えに期待したいーー。
真継さんの論旨に賛同するならば、仏教系の大学、それも親鸞を開祖とする宗門の大学の全共闘こそ、希望の星ということになろう。そこで竜谷大学だが、仏教系の大学であり、親鸞を開山とする浄土真宗本願寺派の経営する大学である。浄上真宗本願寺派の本山は京都西本願寺だが、その山号の竜谷山からこの大学の名前がつけられたという。受験生めあての案内書に武邑尚邦学長の執筆したPR的ガイドによるとこうだ。
「わが竜谷大学の歴史は遠く遠く寛永十六年(1639)の創立にさかのぼることができる。しかも創立当初より浄土真宗の精神による建学を標榜し、権力に屈せず真実を徹'底的につらぬく実践者であった親鸞聖人の精神を建学の基盤とするのである」
竜大は西本願寺教団のボウズの養成・学習機関として発足し、文学部のみの単科大学となり、やがて戦後の高度経済成長期にマスプロに化し経済学部、経営学部、法学部を増設していったのである。60年から69年にかけて1000人から約1万人と学生数が急上昇、現在、約1万2千人の学生数をかぞえる。京都の私立系大学では、同志社、立命館と肩を並べるマスプロ大学に発展しえたのである。一般の人たちにはボウズ養成大学としての印象が残っているが、実質的には総合大学化しており、産学協同路線にのった中級サラリーマンの養成校に変貌しているのだ。
仏教学科は文学部に属しているがその学生数は、800人たらずで、全学生総数の10パーセントに満たない。ラーメンでいえば、申しわけ程度にそえられているチャーシューのような存在になっている。その味つけとして「権力に屈せず、真実を徹底的につらぬく実践者であった」ところの親鸞の精神が使われているというのだが、それはあくまでタテマエの上での話であろう。
竜大全共闘全盛期のころ学生の手で書かれた学内状況分析論文をひいてみる。
「竜谷大学には、たったひとつの特徴がある。330年の伝統である。330年とはいうまでもなく、西本願寺の歴史でもある。親鸞精神の幻想をふりまき、親鸞の徹底的形骸化を図り、天皇制国家権力との統合を貫徹し、帝国主義秩序の一翼を担う、宗教権力としての位置を持ち、一千万門徒を持つ勢力を有する、その西本願寺機構を支える大学として竜大か存在し、機能してきたのである。経済学部増設に始まる竜大の学部増設、水まし貫徹の営利的転換は、本願寺支配から帝国主義的秩序再編構造への転換を本願寺自らが用意しなければならなかったことだ。だが前近代的教学理念と旧制大学への郷愁しか持ち得ない本願寺エピゴーネンどもにはその課題は余りにも重すぎ、そこに進出してきた経済、経営学部の近代主義者の登場の余地を与え、あげくの果てに、法学部日共路線の進出をも許し、三者錯綜を自ら形成したのである」(近藤漂「竜谷大学闘争とは何か」『辺境』1号所収)。
三着錯綜とはいうものの、竜大への本願寺支配は、根強く残っている。理事会、評議員会、学内評議会のメンバーの大部分は、西本願寺関係者によって占められている。さらに本願寺当局は、学長は僧籍を持たねばならないと強く主張し、それか原因となって竜大全共闘と一般学生2000名が69年9月に本願寺にデモを行ない、一部の学生が本願寺宗教権力の打倒をめざして御影堂に突入するという闘争をひき起こしたのである。
74年の5月になってようやく西本願寺側は、総長制を布くとの妥協案を出したのである。学長には僧籍の有無を問わず選挙で選ばれた者が就任できるが、そのかわり総長は西本願寺側で任命するとの収拾策である。学長は研究・教育に専念し、総長が経営面を担当とする縄張りの配分だが、これでは理事長の権限を総長にもたすだけのことである。しかも総長は理事会が任命できるのだから、実質的には抜本的な改革案とはならない。学生にしてみれば、しょせん雲の上での取引き・駆け引きにしかすぎなかろう。竜谷大学の職員組合は、日共色が強く、学長僧籍問題に対しては、全共闘の提出した路線と違った視野から、つまり代々木的近代化路線から、非僧籍者の学長就任を支持してきている。その立揚からいえば、たとえ妥恊案にせよ、一歩前進ということになろう。いずれにせよ、こうした動向は、建学の精神であるところの親鸞精神とは本来、無縁の動向である。
消費社会の毒に犯されても
変革主体の形成に仏教がその養い親になれるという真継さんの指摘だが、正確には可能性を持つということであろう。たとえば、大宮学舎のバリケードにたてこもった諸君であるが、その食事はパンと牛乳であった。給食係の話では、牛乳が必ず数本残ったという。
給食係がコーヒー牛乳と牛乳を気を気かして用意したのだが、コーヒーのほうに手を出す者が多く、牛乳のほうが残るのだという。
「ボク、ふつうの牛乳はよう飲まへんのよ。コーヒー牛乳のほうが好物やよってな」
と答えるアンちゃんがいたという。
「いやあ、69年のころとは違いますな。あのころバリケードに入っていたわしらは、腹に入りさえすれぱ、なんでもよかった。よしやってやろうという気があった」
とOBの一人はなげく。ボクは終戦前後、絶えず腹をへらしていて、口に入るものならなんでもという体験があるので、このOBのなげきはひとしおわかるのである。これでは「天皇制」は解体するどころか、「千代に八千代にさざれ石のイワオとなりてコケのむすまで」である。
それでいて配布したビラにはデカデカと、「大宮バリケードを死守せよ!」とある。これは竜大だけの特色ではないが、ソレ者の間で「死守」という言葉がやたらと安易に使われすぎるのではないか。「死守する」ではなく「死守せよ」といういいまわしが気にくわない。コーヒー牛乳のんでいて、他人様にお説教たれられる柄かどうか、甘ったれるのではない。
だからといってボクはダレかさんみたいに「本気になって死守せよ」などとテメエは安全地帯にいながら無責任にアジる気はまったくない。民青みたいに「イイ子」にならず、いろいろと夾雑物をふくみ、難点もあるだろうが、身もだえを続けるこの若者たちにボクは期待をかけたいし、竜大生でも良質部分だと思う。だから死守なんかせずにしぶとく生きのびてもらいたい。学生でいる間も社会人になってからもやらねばならぬことは山積しているのだ。しかし、今はただひたすら、くやしいし「イヤになっちゃうな」というのが本音である。消費社会の毒とステロタイプの発想がここなで侵食してきているのかと思うと「ああ、やんぬるかな」である。
69年闘争で学んだ大学側
ポクが竜大を訪れたのは69年末だった。『本願寺教団』という本を作成するため、その編集者として訪れたのである。そのころのキャンパスは、湧きたっていた。政治情勢の高揚期を迎えていたというオマケをかりに差しひいても、竜大生たちはノンポリ層までウズウズしていた。何をしでかすかわからないという可変的なエネルギーとワイ雑なエネルギーに満ちているのをボクは肌で感じることができた。
泥くさくてヤボだが、くいついたらしつこくはなさないという洗練されていない者のたくましさがそこにはあった。それがわずか5年の歳月の経過で、竜大生は変身してしまったようである。キャンパスでの学生のファッションにものの見事にその変化が現われている。カラフルであり、都会の若者のファッションに対する平均的配慮かそこにみられるのだ。竜大生は地方出身者か多い。だいたいが地方の高校生自体、都会の高校生のファッションとの間に落差がなくなってきている。竜大に入学してから急速に色気づいて、身だしなみを気にするようになりだしたのではないだろう。平均化され、没個性化され、商品経済のよき消費者、ということはよきカモにされ、その肉体、精神の包装部分から、変質化しだしたといえよう。
「混乱に満ちた現代社会を正しく方向づける素純な感受性と主体的な意欲をもつ豊かな人間の育成に建学の精神をふまえつつ努力したいと考えている」
これは前に引用した武邑尚邦会長の文章の続きである。その努力は別として竜大は、せっかくの意図とうらはらの方向に押し流されつつあるようだ。そもそものつまずきのもとはマスプロ化したことであるが、マスプロ化は資本主義社会の要請である。武邑学長に直接の責任はない。ボクの見るところでは、建学の精神が水うめされ、学内に非親鸞的状況が広がっていったからこそ、経営は安定し、学生対策にも手をやかないですむようになったのだと思う。
69年のころに比べれば、図書館も整備されたし、施設の改善はすすんでいる。そして学生の政治活動、ないしは運動についてもはるかに寛容になってきている。学生たちはしょせんは「オリの中の自由」を享受しているにすぎない。60年代末に起きた大学闘争を総括しえているのはむしろ大学側であり、学生対策の面にそれは生かされている。つまりある程度までの自由を学生に与えることに、苦い体験が生かされているのだ。
一方学生のほうも、身近な利害関係の処理に関心が払われ、適当に学生生活を楽しむようになってきている。たとえば教育学部の学生についてみると、以前は必ずしも教師になるために入学したわけではない、哲学を勉強する学生が多かった。それが今では教師になることを目ざして入学してくる者がめっきりふえているという。資格をとるまでは、雑音に耳をかさず、バカ騒ぎにはまきこまれないというおリコウさんが増加しているのだ。
あるOBはいう。
「昔の竜大生は玉石混こうでしたな。情実で入るんやけどそれにしてもどうしてこんなのが入ってきたかと思うような、中学生にも学力劣るやつがいたけど、その半面、京大や東大の大学院にいってもあるいは外国の大学に留学しても、十分やっていける学生がいたもんや。いまでは、入試の率も高うなり、レベル・アップしたが、平均化されてしもうて玉も石ものうなってしまいましたな」
学業の面だけでなく、竜大には大型人間、ハミダシ人間が少なくなってしまったとなげくのである。
心優しきノンセクトラディカルズ
流行にうといボクは、半年ぐらいたってからやっと流行歌の断片を覚える。だからこれは黒人問題や若者の心理・風俗に強い永田衛さんから教えられたことなのだが、「学生街の喫茶店」という歌が流行しており、夢がもてず、無気力になっている学生の姿をこの歌は反映しているというのだ。
♪あの時の歌は聴こえない
人の姿は変わったよ
時は流れた
ものはためしにとボクも聞いたが、なんともものうい歌詞であり、メロディーである。学生たちの感受性はビニールの皮膜のようなものでおおわれているのか、あるいは自己保身のために自らおおっているのか。そのどちらでもあるのだろう。
たとえば全共闘に参加したOBの一人はこういう。
「あのころは徹底的に酒を飲んだもんですわ。ゼニにしてもお前とんでみいといわれ、とばされたもんや。ジャラジャラ音がしたらしまいや。ゼニは没収、酒に変えられてしもうた。女にホレるんでも、破滅的やったな。のめりこんでしもうのや。今はちゃうな。おリコウさんがようけふえて何を楽しみに生きてるんかいの。何やってもほどほどや」
二回生の活動家学生にきくと、親からの平均仕送り額は4万円前後、そこから部屋代が1万円弱、だから酒は月に2回も飲めばいいとこだという。活動やっていればアルバイトにも行けないし、ふところがいくらか楽の時、四条の繁華街に出てジャズかブルースを聴きに喫茶店に入るのが楽しみといえば楽しみだという。トラメガを使ってアジる時、へルメットをかぶる時、気持は若者らしく弾むのだろうが、日常的にはつつましやかで、その青春は貧しく暗い。だからグチも出るのだ。
「セクトの連中は気楽でええな。ことに民青はあほかいな。マイホーム主義やないか。なあんも自分で考えずに、親方のいうことをオウムがえししていればいいんだからな。昔と違って活動家学生は、大衆と分断されておるしな・・・。覚悟きめてかからにゃならんし。今は、行動する場が少のうなっているから、実践で理論修正することがないから、一にも二にも理論学習や。ノンセクトは自分で考えて理論構築せにゃならん。ふと下宿にもどると・・・さびしい気がして、せやけど気い弱いもんやからガールフレンドようできへんしな。あきまへんな・・・」
♪窓の外 街路樹が美しい
ドアを開け 君がくる気がするよ
との「学生街の喫茶店」の歌詞にあるようなダルな感傷をふりすてて、活動家の学生たちがよく歌うのはナツメロであるという。
「神田川」や「赤ちょうちん」を歌うと仲間からどつかれるというのだ。
「活動家のダンディズムなの」
とのボクの質問に、
「いや、コンプレックスの裏返しでっさ」
と説明してくれる。ナツメロを歌う学生たちの姿にボクは、時代の与えた深い傷口と学生たちのナイーブな優しさを見いだしてしまうのだ。冒頭でふれた「靖国共闘会議」とはいわば、こうしたノンセクトラディカルズの吹きだまりである。「竜大生はアホばかりやからな」と口ぐせのように彼らはいうが「靖国法案」を粉砕するためのその理論的水準は他大学に比.へてきわめて高い。60回を越える研究会や合宿の成果が実っているからであろう。コケの一念とは恐ろしいものである。ここにこそ、かつての竜大生像が生きているのではないだろうか。
彼らは全学集会で学友の同意を得てバリケードを築いたのではない。靖国法案がこの4月13日に強行採決されたことへの怒りと危機感、さらに靖国法案に反対声明を出した竜大教授団のその後の対応ぶりが、のらりくらりとしていることへの抗議からであった。大学当局は当たらずさわらずで終始無視するという態度に出た。ようやく怠惰な眠りの中に入った巨竜を目ざめさせたくない大人の配慮というものだろう。学生たちは結局、自らの手でバリケードを解いた。吹けば飛びそうなバリケードに賭けた意気地を笑わば笑えである。吹けば飛びそうなというものの、ここにたてこもった学生たちの中から、竜大の燠は守り続けられていくのだろう。「燃えよ、ドクゴン!」といいたいが、今いえば、から元気をつけるだけのことになってしまう。「いずれの日にか」とつけ加えたい。
(終)
【お知らせ その1】
重信房子さんの新刊本です!
『獄に暮らせば』「21年7ケ月の獄中日記から}(作品社)3,520円(税込み)
2026年5月29日刊行
日本も世界も、もっとより良いものに変えたい!
そんな思いで学生運動に身を投じた日から、思い出さずにいられない革命と解放闘争の日常。
連合赤軍事件、レバノン、パレスチナ・ガザ、そして新たに出会った獄中の人々、さらに次々襲い掛かる大腸癌、小腸癌、子宮癌など病魔との闘い。
本書は、著者による2022年5月28日朝、満期出所時までの獄中ドキュメントであり、かつ元日本赤軍リーダーが、一人の人間として、戦争と平和に向き合い、人々の命を思いやった、その心情と葛藤を綴った2000年11月8日から2022年5月28日までの闘いの記録である。
【お知らせ その2】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
全共闘機関紙や全国26大学の大学新聞などを掲載しています。
http://meidai1970.sakura.ne.jp/gakuentousou.html
●新左翼党派機関紙・冊子
1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。
【お知らせ その3】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2026年7月24日(金)に更新予定です。

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