【重要なお知らせ】
ヤフーブログの終了に伴い、ヤフーブログは8月いっぱいで記事の投稿ができなくなります。
そのため、8月1日からライブドア・ブログに引っ越しました。
リンクを張られている方や、「お気に入り」に登録されている方は、アドレス変更をお願いします。
引っ越しにともない、過去記事も引っ越しました。
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過去記事をご覧になりたい方は、ブログのアーカイブスで探していただくか、記事タイトルで検索して、ライブドアブログのアドレスになっている記事をご覧ください。(まだ検索に引っ掛からないようです)
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手元に「関学闘争の記録」(関西学院大学全学共闘会議出版局発行)という冊子がある。この冊子と当時の新聞記事を中心に、何回かに分けて関西学院大学闘争の経過とその内容について掲載していきたい。

今回のブログは4回目、8月2日のNo523で掲載した関西学院大学闘争の記録の続きである。1969年2月の第5別館法学部死守闘争の写真、新聞記事を掲載する。
まず、1969年2月の第5別館法学部死守闘争の経過を、この冊子に掲載された「闘争日誌」で見てみよう。
【闘争日誌】(関学闘争の記録より)(抜粋)
1969年
2.8 商学部入試。全共闘、第5別館と法学部のバリケードを強化し、機動隊の強制解除に備える。
2.9 第5別館を除く全校舎バリケード、機動隊2、500によって強制解除さる。早暁、兵庫県警は大阪府警の助けも借り、第5別館と法学部校舎にたてこもる学友48人を、ガス銃と放水で攻撃。法学部は、午前9時半に解除されるが、第5別館死守部隊35人は、徹夜でこれに応戦し、そこにかけつけたデモ隊2、000人と熱い蓮帯を交わす。法、全員逮捕さる。
2.10 30時間にわたって闘い抜いた、第5別館死守部隊35人、午前11時50分、ガス銃、ヘリコプター、消防車などの権力側の武器に屈す。警棒で乱打され、催涙ガス液を浴び、屋上から階下へひきずりおろされたりしたため、全員が、火傷、打撲傷を負い重傷。
2.12 「全関西労学関学奪還総決起集会」に3、000人。午後3時すぎ、正門近くの上ケ原派出所を投石で襲撃。3人が不当逮捕さる。
2.14 機動隊常駐解かる。入試全学部とも終了。
2.15 全共闘、「機動隊導入による強権的闘争圧殺」に抗議して、法、文、商、社、経、神の学部校舎を再封鎖。サークル闘も、学館を占拠し泊り込む。学院側、「ロックアウト」を宣告。
2.17 県警、被逮捕者の自宅、下宿など22か所を強制捜査。
2.18 学院本部再封鎖。
2.19 同窓会館を封鎖。
2.21 第1教授研究館、同別館、第2教授研究館の3建物をバリケード封鎖。キリスト者反戦連合も、宗教センターとランバスチャペルの自主管理に入る。
学院側、26、27日に「全学集会」を開催する旨を、全学生に文書で配布。

今回のブログは4回目、8月2日のNo523で掲載した関西学院大学闘争の記録の続きである。1969年2月の第5別館法学部死守闘争の写真、新聞記事を掲載する。
まず、1969年2月の第5別館法学部死守闘争の経過を、この冊子に掲載された「闘争日誌」で見てみよう。
【闘争日誌】(関学闘争の記録より)(抜粋)
1969年
2.8 商学部入試。全共闘、第5別館と法学部のバリケードを強化し、機動隊の強制解除に備える。
2.9 第5別館を除く全校舎バリケード、機動隊2、500によって強制解除さる。早暁、兵庫県警は大阪府警の助けも借り、第5別館と法学部校舎にたてこもる学友48人を、ガス銃と放水で攻撃。法学部は、午前9時半に解除されるが、第5別館死守部隊35人は、徹夜でこれに応戦し、そこにかけつけたデモ隊2、000人と熱い蓮帯を交わす。法、全員逮捕さる。
2.10 30時間にわたって闘い抜いた、第5別館死守部隊35人、午前11時50分、ガス銃、ヘリコプター、消防車などの権力側の武器に屈す。警棒で乱打され、催涙ガス液を浴び、屋上から階下へひきずりおろされたりしたため、全員が、火傷、打撲傷を負い重傷。
2.12 「全関西労学関学奪還総決起集会」に3、000人。午後3時すぎ、正門近くの上ケ原派出所を投石で襲撃。3人が不当逮捕さる。
2.14 機動隊常駐解かる。入試全学部とも終了。
2.15 全共闘、「機動隊導入による強権的闘争圧殺」に抗議して、法、文、商、社、経、神の学部校舎を再封鎖。サークル闘も、学館を占拠し泊り込む。学院側、「ロックアウト」を宣告。
2.17 県警、被逮捕者の自宅、下宿など22か所を強制捜査。
2.18 学院本部再封鎖。
2.19 同窓会館を封鎖。
2.21 第1教授研究館、同別館、第2教授研究館の3建物をバリケード封鎖。キリスト者反戦連合も、宗教センターとランバスチャペルの自主管理に入る。
学院側、26、27日に「全学集会」を開催する旨を、全学生に文書で配布。





【関学に機動隊 一か所を残し排除】毎日新聞1969.2.10(引用)
兵庫県警は9日、警察官の警備の下で入学試験を続けている関西学院大学(同県西宮市)の要請で、大阪府警の500人を含む2,500人の警察隊を動員、占拠学生ら20人を逮捕して法学部本館など11ケ所の封鎖を解いた。しかし、第五別館は学生の抵抗が激しく、警官3人が重症、26人が軽傷、学生8人も負傷するなど危険なうえ夜にはいったので、解除を10日に持ち越した。
この日大学当局は午前7時前、占拠学生に退去命令を出し、そのあと機動隊が正門など二ケ所から構内にはいった。19ケ所の建物には学生がいなかったため、それぞれ約30分で封鎖を解いたが、法学部本館、第五別館では泊り込んでいた約50人の学生が厳重なバリケードをタテに放水、投石で激しく抵抗、警察官はガス弾を撃ち込みながら突入し、約2時間半後、まず法学部本館の解除に成功、占拠学生13人と学外に逃げた7人を逮捕した。
しかし第五別館では鉄筋4階建ての各階に机、イスのバリケードを二重、三重に築き、約30人がたてこもって抵抗、警官隊は電動ノコギリでこれらを切り落とし、ガス弾を撃ち込んで1階ずつ進んだところ、学生らは火炎ビンを投げ、イスに火を付けて屋上に逃げ、屋上出入口を封鎖した。警官隊は4階天井を削岩機でくり抜いて突破口をつくったものの、多くの重軽症者を出したため、同日は排除をあきらめた。










(つづく)
【全国学園闘争アーカイブス】
このブログでは、1968年から69年にかけての全国学園闘争の記録を掲載しているが、これまでに掲載した中から、いくつかを紹介する。
関西学院大学はミッション系なので、今回は同じミッション系の大学である。
1958-69年全国学園闘争の記録 明治学院大学編 その2
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-05-22.html
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-05-22.html
<青山学院大学>
1958-69年全国学園闘争の記録 青山学院大学編 その1
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-06-19.html
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-06-19.html
1958-69年全国学園闘争の記録 青山学院大学編 その2
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-06-26.html
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-06-26.html
1958-69年全国学園闘争の記録 青山学院大学編 その3
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-07-03.html
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-07-03.html
1958-69年全国学園闘争の記録 青山学院大学 番外編
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-07-10.html
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2009-07-10.html
<上智大学>
1958-69年全国学園闘争の記録 上智大学編 その1
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-03.html
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-03.html
1958-69年全国学園闘争の記録 上智大学編 その2
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-04-02.html
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-04-02.html
1958-69年全国学園闘争の記録 上智大学編 その3
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2010-04-09.html
【お知らせ その1】
台風の影響で延期となりました!(10月9日速報)
10・8山崎博昭プロジェクト2019年秋の東京集会 特別講演会

「ベトナムをどう見るか―歴史認識と現実」
講師:中野亜里さん(現代ベトナム政治、大東文化大学国際関係学部教授)
日時:2019年10月12日(土)14時00分~17時00分
会場:大田区萩中公園集会所 第2及び第3会議室
〒144-0047 大田区萩中3-26-46 公園管理事務所(03-3741-1946)
京急空港線「大鳥居駅」から徒歩6分、JR蒲田駅から京急バス「萩中公園前」下車1分。
参加費:1500円
講演概要
1 ベトナムと関わりから見えたこと:「オモテ」と「ウラ」の世界
2 日本人のベトナム認識とベトナム人の歴史観・世界観:「社会主義」「民族解放」の神話、明らかにされていない歴史、自国の歴史に興味がないベトナム人
3 ベトナム政治・対外関係の現状:開発と民主化・人権問題、中国・アメリカ・日本と
の関係
4 今後の展望
講師:中野亜里さん(現代ベトナム政治、大東文化大学国際関係学部教授)
日時:2019年10月12日(土)14時00分~17時00分
会場:大田区萩中公園集会所 第2及び第3会議室
〒144-0047 大田区萩中3-26-46 公園管理事務所(03-3741-1946)
京急空港線「大鳥居駅」から徒歩6分、JR蒲田駅から京急バス「萩中公園前」下車1分。
参加費:1500円
講演概要
1 ベトナムと関わりから見えたこと:「オモテ」と「ウラ」の世界
2 日本人のベトナム認識とベトナム人の歴史観・世界観:「社会主義」「民族解放」の神話、明らかにされていない歴史、自国の歴史に興味がないベトナム人
3 ベトナム政治・対外関係の現状:開発と民主化・人権問題、中国・アメリカ・日本と
の関係
4 今後の展望
※講演会終了後、懇親会あり
「1960年代から70年代の米国学生運動活動家リーダー、マーク・ラッド氏が語る!」
講師:マーク・ラッド(社会運動家)
日時:2019年10月26日(土)14時00分~17時00分
会場:エルおおさか 5F視聴覚室
大阪市中央区北浜東3-14
地下鉄・京阪電鉄「天満橋」駅徒歩5分
参加費:1,000円
会場:エルおおさか 5F視聴覚室
大阪市中央区北浜東3-14
地下鉄・京阪電鉄「天満橋」駅徒歩5分
参加費:1,000円
50 years ago, a momentum-driven mass movement that helped end the War in Vietnam, 2020 Now, a movement to end all imperialist wars.
1960年代から70年代の米国学生運動活動家リーダー、マーク・ラッド氏が語る!
50年前、時代の勢いに乗った大衆運動はベトナム戦争を終結させた。
2020年に向け、今こそ全ての帝国主義戦争に終止符を!
【マーク・ラッド氏のプロファイル】https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Rudd
マーク・ウイリアム・ラッド(1947年6月2日生まれ)は、政治オーガナイザー、数学教師、反戦活動家およびカウンターカルチャーの象徴であり、1960年代後半のSDSとコロンビア大学ストライキ闘争や1970年代前半の極左暴力主義組織ウェザーマン・アンダーグラウンドとの関りで有名。
マーク・ラッドは、1963年に米国民主社会学生同盟(SDS)コロンビア大学支部に加盟、1968年には委員長に就任し、同年のコロンビア大学闘争で様々な問題、特にベトナム戦争に反対する反体制学生のスポークスマンとして活躍した。戦争の激化に伴い、マーク・ラッドは他の若い活動家リーダー達とともにSDSをさらに過激な路線へと導かんとしたが穏健多数派の反対に遭い、中国紅衛兵の影響を受けボブ・ディランの曲の歌詞からとって“ウェザーマン”を名乗り極左軍事主義的分派を創設した。1970年マーク・ラッドは、3人のウェザーマン・アンダーグラウンドの同志を亡くしたグリニッジビレッジタウンハウス事故爆破事件以後、当局からの目を逃れ地下に潜伏。7年間の逃亡生活を経て1977年に自首投降し、数年間獄中生活を送る。出所後ニューメキシコ州アルバカーキ市のコミュニティカレッジで数学教師を勤めるが、現在は同地にて引退。
2010年、マーク・ラッドは「アンダーグランド―私の人生とSDSとウェザーマン」という自叙伝を出版、その中で過去の闘争と自己人生を総括し、ウェザーアンダーグランドの路線と自己の役割を悔い改め、今では非暴力主義、民主主義選挙による変革を提唱しコミュニティ活動に献身している。
1960年代から70年代の米国学生運動活動家リーダー、マーク・ラッド氏が語る!
50年前、時代の勢いに乗った大衆運動はベトナム戦争を終結させた。
2020年に向け、今こそ全ての帝国主義戦争に終止符を!
【マーク・ラッド氏のプロファイル】https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Rudd
マーク・ウイリアム・ラッド(1947年6月2日生まれ)は、政治オーガナイザー、数学教師、反戦活動家およびカウンターカルチャーの象徴であり、1960年代後半のSDSとコロンビア大学ストライキ闘争や1970年代前半の極左暴力主義組織ウェザーマン・アンダーグラウンドとの関りで有名。
マーク・ラッドは、1963年に米国民主社会学生同盟(SDS)コロンビア大学支部に加盟、1968年には委員長に就任し、同年のコロンビア大学闘争で様々な問題、特にベトナム戦争に反対する反体制学生のスポークスマンとして活躍した。戦争の激化に伴い、マーク・ラッドは他の若い活動家リーダー達とともにSDSをさらに過激な路線へと導かんとしたが穏健多数派の反対に遭い、中国紅衛兵の影響を受けボブ・ディランの曲の歌詞からとって“ウェザーマン”を名乗り極左軍事主義的分派を創設した。1970年マーク・ラッドは、3人のウェザーマン・アンダーグラウンドの同志を亡くしたグリニッジビレッジタウンハウス事故爆破事件以後、当局からの目を逃れ地下に潜伏。7年間の逃亡生活を経て1977年に自首投降し、数年間獄中生活を送る。出所後ニューメキシコ州アルバカーキ市のコミュニティカレッジで数学教師を勤めるが、現在は同地にて引退。
2010年、マーク・ラッドは「アンダーグランド―私の人生とSDSとウェザーマン」という自叙伝を出版、その中で過去の闘争と自己人生を総括し、ウェザーアンダーグランドの路線と自己の役割を悔い改め、今では非暴力主義、民主主義選挙による変革を提唱しコミュニティ活動に献身している。
【お知らせ その3】
「糟谷プロジェクトにご協力ください」
1969年11月13日,佐藤訪米阻止闘争(大阪扇町)を闘った糟谷孝幸君(岡山大学 法科2年生)は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され、21才の短い生涯を閉じま した。私たちは50年経った今も忘れることができません。
半世紀前、ベトナム反戦運動や全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
70年安保闘争は、1969年11月17日佐藤訪米=日米共同声明を阻止する69秋期政治決戦として闘われました。当時救援連絡センターの水戸巌さんの文には「糟谷孝幸君の闘いと死は、樺美智子、山崎博昭の闘いとその死とならんで、権力に対する人民の闘いというものを極限において示したものだった」(1970告発を推進する会冊子「弾劾」から) と書かれています。
糟谷孝幸君は「…ぜひ、11.13に何か佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」と日記に残して、11月13日大阪扇町の闘いに参加し、果敢に闘い、 機動隊の暴力により虐殺されたのでした。
あれから50年が経過しました。
4月、岡山・大阪の有志が集まり、糟谷孝幸君虐殺50周年について話し合いました。
そこで、『1969糟谷孝幸50周年プロジェクト(略称:糟谷プロジェクト)』を発足させ、 三つの事業を実現していきたいと確認しました。
① 糟谷孝幸君の50周年の集いを開催する。
② 1年後の2020年11月までに、公的記録として本を出版する。
③そのために基金を募る。(1口3,000円、何口でも結構です)
(正式口座開設までの振込先:みずほ銀行岡山支店 口座番号:1172489 名義:山田雅美)
残念ながら糟谷孝幸君のまとまった記録がありません。当時の若者も70歳代になりました。今やらなければもうできそうにありません。うすれる記憶を、あちこちにある記録を集め、まとめ、当時の状況も含め、本の出版で多 くの人に知ってもらいたい。そんな思いを強くしました。
70年安保 ー69秋期政治決戦を闘ったみなさん
糟谷君を知っているみなさん
糟谷君を知らなくてもその気持に連帯するみなさん
「糟谷孝幸プロジェクト」に参加して下さい。
呼びかけ人・賛同人になってください。できることがあれば提案して下さい。手伝って下 さい。よろしくお願いします。 2019年8月
●糟谷プロジェクト 呼びかけ人・賛同人になってください
呼びかけ人 ・ 賛同人 (いずれかに○で囲んでください)
氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
呼びかけ人 ・ 賛同人 (いずれかに○で囲んでください)
氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
<管理人注>
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/1365465.html
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/1365465.html
【お知らせ その3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は10月11日(金)に更新予定です。
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