今回のブログは、7月19日に中央区の日本橋公会堂で開催された「補償なき『自粛』要請と学費問題を考えるシンポジウム」の第一部の概要である。
6月の明大土曜会でスピーチをお願いした、慶應大学の田中駿介さんを中心とした「補償なき『自粛』要請と学費問題を考えるシンポジウム実行委員会」の主催である。

<シンポジウム・アピール文>
私達は、困窮者です。私達は、ふつうの人々です。
私達は、「補償なき自粛要請」の犠性者です。このままでは、私達は新型コロナウイルスではなく国家の「要請」によって殺されてしまうでしょう。
これまで安倍首相は科学的根拠に基づかない「緊急事態宣言」を一方的に発令し、一方的に解除しました。その間外出の「自粛」、休業の「要請」が呼びかけられてきました、
しかしその間に給付されたのは、た、った「1Q万円」です。
その間、私達は飢えてきました。仕事をしなければ食べていけないのですから。この先どうやって、生きていけばいいのでしょうか。
学生が困窮している事態も深刻です、ただでさえアルバイトを解雇された学生が多くいるなか、キャンパス封鎖により満足な授業が受けられない状況が続いています。それだけではありません。就職活動にも影響か出ており、「新たなロスジェネ」が生まれかねない事態になっています。しかも、留学生のみに「成績要件」を課す緊急支後金制度を行うなど、あきらかに安倍政権はコロナに乗じて留学生・外国人差別を行っています、そうした事態に鑑みても、「補償」なき自粛要請はナンセンスであると訴えます。これは生存にむけた闘争です。補償なくしては、仕事もなければ、稼ぐあてもありません。
今回の集会では、そうしたコロナ禍での課題を共有し、これからの闘いへの知恵を探ることを目的としています。闘いぬきましょう。連帯しましょう。黙って野垂れ死ぬな、生きて奴らにやり返せ!!
【第一部 補償なき「自粛」問題を考える】
<発言者>
・田中駿介(コーディネーター)
慶鹿義塾大学法学部4年。北海道出身。政治哲学を専攻(副専攻は戦後市民社会論)。高校時代、政治について考える勉強合宿を企画。若者と政治参画を論じ、慶大「小泉健三賞」、中央公論論文賞・優秀賞を受賞。大学では「丸山侃男と高畠通敏の市民運動論の差異」について研究している。「論座」「情況」等で執筆活動も行う。 ニ
・滝 薫
青山学院女子短期大学卒業。元美容webライター。多様性を認めずモテを重視するメディアのあり方に疑問を覚え、ジェンダーに関心を持つ。朝日新聞社「か
がみよかがみ」においてエッセイを執筆。現在就労移行支援に通う精神障害当事者。
・大谷行雄
1970年東京教育大学付属駒場高校(現・筑駒)卒業後、南イリノイ州立大学留学。日本企業米国支社長などを経て在米33年。後に中東と日本の文化経済交流の活動でドバイを中心に在UAE7年。帰国後、アメリカ、ドバイ、ベトナムでビジネスと社会活動を展開中。
高校時代は、ブント社学同高校生委員として所属、現在、10・8山崎博昭プロジェクト事務局員。
・Aさん(オンライン参加)
早稲田大学国際教養学部3年(言語学)。シンガポール出身。北京大学国際関係学院留学経験あり。日本政府の留学生入国「禁止」措置により足留めになっている当事者

田中
本日はお忙しい中、お集まりいただきまして感謝いたします。
私は慶應大学法学部4年の田中駿介と申します。
今回の主旨としては、第一部では補償なき自粛要請、つまり新型コロナウイルス感染症下において学生が困窮している問題もありますが、他方で政権がやったことというのは、十分な補償をしないで、緊急事態宣言が解除されてもなお、まだ補償がない困窮者が非常に増えている。非正規の方は非常に辛い思いをされています。あるいは留学生、外国に繋がるルーツを持つ方、外国人の方も非常に大変な思いをされています。今日オンラインで参加する留学生の方は、未だに日本に入国ができないでいる、あるいは留学生にのみ3割の成績要件を課した「学生支援給付金」の問題もあります。こうした問題は、まさに私たちが抱えている社会問題がそのまま露呈していると考えてもいいと思います。
こうした問題について、改めて本日のシンポジウムで問題提起をして考えていきたいと思います。
それでは第一部を始めさせていただきます。
発言者を紹介させていただきます。
滝薫さんです。滝さんは青山学院女子短期大学卒業後、美容webライターとして活動されていました。その中で、多様性を認めずモテることを重視するメディアのあり方に疑問を覚え、ジェンダーの勉強をされていました。朝日新聞社「かがみよかがみ」においてエッセイを執筆されたり、上野千鶴子さんと対談されたりとご活躍されています。本日はそういった面と、精神障害の当事者としてのお話もしていただきたいと思います。(拍手)
次にオンラインで参加されているAさんです。Aさんは早稲田大学3年生ですが、シンガポールのご出身で、北京大学にも留学をされていたそうです。Aさんは、現在日本政府が留学生を実質上入国をできない「禁止」措置をしていて、本来であれば日本やシンガポールに戻りたいということがあるのかもしれませんが、中国で実質上足留めされているということです。本日は中国政府のネット規制が厳しくなっているので、「微信」(ウイーチャット)を使ってお送りしています。(拍手)
最後に大谷行雄さんです。大谷さんは1970年に東京教育大学付属駒場高校(現・筑波高校)を卒業後、アメリカに渡米され、在米33年を過ごされました。大谷さんは10・8山﨑博昭プロジェクト事務局に参加され、今年の2月11日に連合会館で行われた「高校闘争50周年シンポジウム」に登壇され、その後、「要請するなら補償しろデモ」全5回に参加されたということで、当時の学生運動と、今後の社会運動を繋ぐ活動をされています。(拍手)
まず大谷さんから2・11の集会から、その後4月のデモに行かれた問題意識や、何故そういった運動にもう1回関わろうと思ったのかについてご発言いただきたいと思います。

大谷
大谷行雄です。よろしくお願いします。
「高校闘争から半世紀」という集会が2月11日にありまして、そこで田中君あるいはここにいらしている何名かの若い人と知り合って、我々のやったことを出来る限り次の世代に継承したい、語り継ぎたいということで、若い人たちとの交流を考えていました。しかし、コロナ禍の中でそういう会合を持つことが出来ずにいたところ、田中君から4月12日に「自粛要請するなら補償しろ」というテーマのデモがあるという知らせがあり、そこに参加したわけです。
2・11高校闘争の集会についてですが、三部あって、一部は我々50年前の元高校生活動家が当時のことを話す、それは回顧的なものであったり自慢話にならないように、なるべく若い人たちに理解できるように、次世代に何らかの形で残せるような会にしようという目的ですが、第二部は香港の問題について語り合う、第三部に今の高校生、大学生など若い世代と交流を持とうということでシンポジウムをやりました。
この2・11の集会の後も若い人と交流を持ちたいということで、コロナ禍であり、4月のデモに参加して以降、5回のデモに参加させていただきました。最初は歳も歳なので野次馬的に行こうと思いましたが、やはり血が騒ぐのか一緒にデモに参加しました。私の持論は「自粛要請なんてクソったれ」と思っているので、それに対する反発というか、ましてや政府や行政の方から言われた自粛要請なんていうのはとんでもない、そんなものは政府の思惑でいいように大衆が騙されているんじゃないか、あるいは自粛自粛とさせて皆身動きできなくなって、社会運動が出来にくくされた中での都知事選なんて全くナンセンスであって、私は一切認めていない。
デモに参加するようになったきっかけ、あるいは自分の思惑というのはそんなところです。
田中
次にAさんにお伺いしたいと思います。Aさんから留学先の北京大学では、SNSを通じて寮費を返還させる運動を行った人たちがいたと伺いました。僕らの印象では、中国は言論統制や、社会運動が厳しい状況が続いていると報道でも目にしていますが、そういった中で学生たちがSNSを通じて繋がりを求めて運動をしたという話を聴いて、僕も感銘を受けましたが、他方で日本における留学生が非常に辛い思いをされていると思います。そういった話について報告をいただきたいと思います。
Aさん
はい、分かりました。
皆さんにとってコロナはたぶん2,3月頃からだったと思いますが、中国にいる学生にとっては1月末に急にコロナでロックダウンみたいになって、寮費がどうなるか学費がどうなるか不安な状態になりました。その中で、中国人学生が住んでいる寮と留学生が住んでいる寮は違うんですが、中国人学生が住んでいる寮の寮費は年間1万数千円なので、別に寮費がどうこうという問題はなかったと思いますが、外国人留学生が住んでいる寮は、それの30倍くらいの寮費なので、寮費がどうなるのか、私たちが今、ロックダウンで寮に帰れないので、それで通わなければいけないのかという問題が出ていました。それで留学生たちは「寮費問題に関心を持っている人はこのグループに参加して下さい」というものをウイーチャットで送って、私も参加しました。それで何が起きたかと言うと、「寮費をどうしたいのか」というアンケートが送られてきて、その回答を代表者の人が北京大学の担当者に送って、担当者が「回答します」ということになりました。結局、「ロックダウンで住んでいない分は寮費を払わなくていい。荷物はそのままでいい」ということになりました。これを聞いた隣りの清華大学の留学生も、私に状況を聞いてきました。隣の学校にも影響があったということです。何でこういう運動があったかというと、そもそも寮費が高いという問題があると思います。高くなかったら、「まあいいか」となるかもしれませんが、高いからどうしようかということになる。日本の学費返還運動も、そもそも高いからだと思います。
次に留学生の問題についてです。留学生としてコロナ禍を見て、ほとんどの外国人の留学生には日本以外に帰る選択肢があるわけで、日本のニュースを見てどこに住むべきかいつも考えている。帰った方がいいと思ったら言われなくても帰るわけです。もし帰れるのでしたら。正直私はコロナ前は一生日本に住もうかと思っていましたが、日本政府のコロナ対応を見て、シンガポールに帰った方がいいかなと考え始めました。今、正直迷っています。
田中
ありがとうございました。本当は日本で就職して永住も考えた留学生が、今回のコロナ禍で、ある意味、人生設計をも見直さなければいけない事態に直面しているという話は、これから考えていかなければならないと感じました。
ここで滝さんにお伺いしますが、先程デモに行くようになった大谷さんの話もありましたが、この情勢下でデモをすることの一種の恐ろしさみたいなものを4月の時点ではお書きになっていました。
どうしてそのようにお考えになったのか、あるいは、そういった考えも、自粛要請が長引く中で少しずつ変わっていったと伺っています。どのようなご心境の変化があったのか、あるいは精神疾患の当事者として、健常者と言われる人が気付けない、分からないことがあると思うので、そういった話も含めてご報告いただければと思います。

滝
滝薫(たきかおる)と申します。よろしくお願いします。私は田中君の友人で、田中君から前々から「要請するなら補償しろ」デモの話を聞いていましたが、正直「何故やるの?」という感じでいました。それまでもデモだけでなく、自粛モードになっていた時、私はマジで自粛していましたが、ゴールデン街で飲み歩く彼と喧嘩したこともありました。
「要請するなら補償しろ」デモの主張としては、「要請するなら補償しろ!休ませたいなら金を出せ!仕事を休むと生活無理だ!自己責任論ふざけるな!」というような主張だったと思いますが、私はこの主張に対して概ね賛成です。概ねというか全然賛成なんですが、正直、あのデモの批評性としての意味はあったと思います。でも私はあのデモの形だけでは、皆さんの作りたい社会の形というのは出来ないと思いました。何故なら、ちょっと過激すぎるなとすごく思いました。
私は精神障害の当事者ですが、家にいたら死ぬと思ってしまいました。コロナに罹って死ぬと思って、3月後半、4月、完全に家に閉じこもっていました。緊急事態宣言が延びた時に泣いてしまって、この生活がもし1ケ月続くとしたら精神的におかしくなると思いました。
私の友達も、「うつ」がひどかった時に、「このまま家にいたらおかしくなる。自殺するな」と思ったらしいですが、私もそのぐらい追い詰められました。それまでは死ぬかもしれないと思いながら外に出ていましたが、悪い言い方をすると「慣れ」ですね。私がここで喋っているのは「慣れ」の力に他ならないと思っています。
私の弟はカラオケ店のバイトをしているので心配になって、バイトを辞めるように説教したほど「自粛警察」的なところもありました。
さきほど「自粛で死ぬと思った」と言いましたが、私が言いたいことは、現在就労移行支援に通っていまして、就労移行支援というのは、精神障がい者が再就職を目指すための福祉施設です。私は今、そこに通っています。緊急事態宣言が出ていた4月5月は、そこは閉めませんでした。障がい者のセーフティーネット、受け皿で、福祉施設は絶対に閉めてはいけないからです。それを伝えたかったです。私は福祉の力を借りて生きていますが、福祉だけに頼るような今のあり方には疑問を覚えています。
田中
ありがとうございました、ここから突っ込んだ議論をやっていきたいと思います。私から問題提起をしたいと思います。まず僕が考えているのは、既往症があったり、住んでいる環境に持病がある方や高齢者がいらっしゃることが考えられます。僕自身は比較的若いですし、感染したからといって死ぬとか重篤になることがなかなか想像がしにくいわけですが、他方でそうでもない人がいることも理解しています。ただもう一つ僕が考えなければいけないことは、滝さんが仰ったように、ステイホーム、家に居ようということの要請、考えてみれば例えば70年代の脳性麻痺の当事者の会、「青い芝の会」は障がい者の方がどうやって街に出るかということを闘ってきたはずです。例えば介助の人がいないとバスに乗れないという時代に、自ら身体を晒しながら一人でバスに乗る権利を勝ち取ってきたわけです。あるいは家に居ると障害を抱えた子供たちが殺されたりということもあったわけで、できるだけ障がい者を家庭から距離を取らせて社会に居場所を求める運動をしてきた。つまり社会ではなく家に居ろという要請が、障がいの当事者にとって非常に暴力性があるものだということも、同時に考えなければいけないと思っていました。ですから、こうした問題については今後も考えて行かなければならないと思っています。
他方で僕が考えていることは、リベラルあるいは左派と言われる、今まで人権とかそういったものに価値を置いていた側から、政府が強権的な罰則付きでの自粛、ロックダウンを何故やらないのかという話が出たこともあります。
僕は今回のコロナ情勢下で問題提起したいのは、基本的に「自粛」という言葉は日本語としてもおかしい。辞書を引くと、「自粛」というのは「自らの行為を反省し慎むこと」ということです。「自粛期間」というのも本当はおかしいはずで、これは「謹慎期間」とかそういった意味合いですから、外に出ないことイコール自粛ではありませんし、「自粛要請」という言葉も本来おかしいはずです。
もう一つ考えなければいけないのは、「不要不急」という言葉も、本来は戦時中に鉄道線がここはいらない区間だから戦地に鉄などの資材を回そうということが語源の言葉です。僕自身も北海道に長く住んでいましたが、不要不急線と言われてきた鉄路が、今どんどん廃線になっているわけです。「不要不急」というのは明らかに経済的に、あるいは軍事的に生産性があるものとないものを分かつ言葉であるわけです。ですから今回僕が非常に気がかりなのは、コロナ禍で発生している事態や容貌が、非常に戦時下を想起させる言葉であったり、あるいは「自粛警察」というのは明らかに憲兵を思い起こさせるわけです。どうしても、そのように考えてしまうわけです。
何故今回こうした人々が辛い状況で、連帯して共生とか、よりよい価値観を持った社会にしていくチャンスであるはずなのに、どうして自粛要請とか自粛警察とか、あるいは出国禁止とか、どうしてそういう戦時下みたいなコロナ禍を、戦争に例える首相の発言を含めて疑問に感じざるを得ないところです。
そうした状況で、大谷さんと滝さんからコロナ禍での行動について意見があったと思います。
大谷さん、今までの(デモの)参加したご経験の、ご感想を聞かせて下さい。
大谷
滝さんの方から過激だと言われましたが、実際に私も老人の部類に入り、持病もありますので、関わりたくないし、もちろん死にたくないです。だけど、一つには我々には生きる権利と死ぬ権利がある。自分の行動によって自分が死ぬかもしれないということに自分が責任を持つしかないと思っています。さきほど言いましたが、(コロナに)罹るかもしれない、罹ったら死んでしまうかもしれない。別に自暴自棄になっているわけではないですが、田中君が言ったように「不要不急」という言葉で自粛、そしていわゆる同調圧力、そういうものが、いわゆる権力や支配者の保護によって操作されている、それが許せない。これは田中君も言いましたが、戦時中もそうだったし、我々がやっていた学園闘争においても同じなんです。要するに同調圧力というものは、日本人の持っている「和の尊重」というものがあって、結局、我々が学園闘争をやっている時に、いわゆる一般学生が自分たちの授業を妨害するなと言うのを、大学側、権力者が煽っている。それで我々の声が潰されてきた。それと同じように、今も我々が権力や支配者に対して何を言わなければいけないかという時に、コロナのせいで黙っているわけにはいかない。だから多少危険ではあるけれど、出来る限りの防衛策を取って表に出て、声をあげる、デモをやる。むしろデモに関しては私は物足りないぐらいだと思っているので。もちろん(コロナに)罹りたくないし、もちろん他人にも感染させたくない。でもそれは、出来る限りの防衛策を取れば出来ることだし、それによって我々が声をあげられなくなる、自粛から委縮してしまうことが怖い。だからあえて声をあげて「自粛クソッたれ」と言っているわけです。
田中
ありがとうございます。基本的に市民運動や広場、最近も宮下公園の問題などが出ていますが、そういったものを排除しようとする権力側は、よく公衆衛生を口実にして排除するということがありました。大谷さん仰ったように、例えば今回権力者が「夜の街」という言葉を使って職業差別を煽ったり、小学校で新しい生活様式の川柳を作ろうというような貼紙があって、「夜の街には行っちゃだめ」みたいなことを親に呼びかける川柳が書かれていたり、こういう風にどんどん職業差別が連鎖していくのかと怖くなったり、あるいは今小学校だとほぼ強制的にソーシャルディスタンス、僕はフィジカルディスタンスと言うのが適切だと思っていますが、それを取らなくてはいけなかったり、あるいはマスクの着用が学校で強制的にされているわけで、そういった「夜の街」差別みたいなものを小学生のうちから当たり前だと思って学校で教わった子たちが、10年後20年後、社会を回す側の立場になった時にどうなるのかすごく心配しています。
滝さん、この辺の話を聞いて何か思ったことはありますか?
滝
私は自分のことを「いい子ちゃん」だと思っています。「いい子ちゃんリベラル」にかなり当てはまっていて、「言っていることは分かるけど、それでも出来なくない」という立場を取ってしまうことはあります。本当にデモの主旨にも賛成ですし、大谷さんが言っていることも分かります。権力に対して声をあげ続けていかなければならないという義務は、一般市民はみんな持っているものだと思っています。でも「できないよ」という一般市民の声も聞けよと思っています。
田中
ここで少し話題を変えます。日本政府が緊急支援金(学生支援緊急給付金)を創設するということで、僕も振り込まれましたが、本来20万円振り込まれるはずが10万円しか振り込まれていない。大学に問い合わせても一向に返答が来なかった。あとから一方的に、20万円振り込まれるはずが10万円しか振り込まれなかった人は非課税証明書を出せという通知が来て、非課税証明書を同時に出しているにもかかわらずそういった通知が来て、改めて再申請しましたが、まだきちんとした額が振り込まれるか分かりません。しかもこれはひどい話で、下請けの会社が絡んでいるので、学校の奨学金の窓口に問い合わせても返信が来ないようになっている、あるいは大学の奨学金の窓口も電話でのやりとりを一切出来ないようにしているので、グーグルフォームを使ってでしか出来ませんが、僕はグーグルフォームで数回奨学金窓口に問い合わせをしていますが1回も返ってきたことはありません。コロナ情勢下でお忙しいことは承知していますが、電話連絡が出来ない、アルバイトが無くなって困窮しているにもかかわらず、本来セーフティネットになるべき奨学金窓口がやりとりをさせないというのは非常にあり得ない事だと思っていますが、それ以上に腹立たしい思いをしたのは、留学生のみに成績要件を課すということです。
成績要件が何故いけないと僕が考えているかというと、成績が厳しい人たちの中には、アルバイトに時間を多く割かないといけない立場だったり、あるいは今回のコロナ禍で図書館がずっと閉鎖されていたので、レポートを書くにしても、お金を持っている学生は月に何万も書籍代にかけることが出来ますが、今、学生が書籍代にかけられるお金は月に平均2千円という統計があって、そういった状況で元々ある格差が成績にも拡大しやすい。もちろん受験でもそうですが、大学に入った後に図書館が閉まっているというのはシビアな問題だと思っていますが、だからこそ留学生にのみ成績要件を課すというのは僕は本当にあり得ないと思いました。
こうした問題に、留学をされている当事者としてAさんに、どのように感じたのか教えていただきたいと思います。
Aさん
コロナで経済的に打撃を受けた大学生に給付金を出します、留学生も対象ですとニュースに出て、次の日に留学生のみ成績上位3割だけ貰えるとニュースに出て、前日に「救われる」と思った留学生が次の日、「あれ、私成績が・・」となっているのが問題だと思います。留学生にのみ成績要件があるのは確かですが、それと同時に日本人学生向けの要件として、今、奨学金を借りている人に限る要件もあります。このような制度にも間接的に成績要件が入っているわけです。上位50%だったり、学ぶ意欲がある学生だったり、そういう要件があるので、間接的に日本人学生にも成績要件があると私は思います。
文科省は何故こういう要件を作ったかというと、いずれ母国に帰る留学生が多い中、日本に将来貢献するような人材に限るようにということで、何しろこれは日本に貢献しようと思っていた留学生も、この方針を知ったら帰りたくなると思う。日本人学生にも間接的にこういう要件が入ってくるということは、つまり留学生に限らず日本の将来に貢献するような人材だけ助けたいというメッセージになるわけです。この給付金は非常に厳しいです。50%収入が減ったとかいろいろあるので、1日1食になっているような学生がこれを待っているので、成績とか、貴方は日本の役に立たないからというメッセージは危険があると思います。
実際にこのような考え方が普通だったら怖いと思いますが、最近知ったのは、八王子市独自の学生支援特別給付金というのがあり、これは1人10万円給付されますが、さきほどの学生支援特別給付金を貰えない学生で、給付型奨学金も貰っていない、奨学金も借りていない学生はこれに申請できるというのがあります。でもこれにも成績要件が入っています。つまり何も貰えなくて成績があまりよくない人はどうすればいいんですか、という問題があります。これは国の学生支援特別給付金制度のマネをしたのではないか、こういう考え方が普通になりつつあるのではないかと思っています。怖いですよね。
留学生は日本人学生と違って、日本にあまり頼れる人がいない。しかも今、自国に帰れない、日本に頼るしかないという留学生がいる。どんな人が日本に来ているかというと、私の場合はシンガポールなので、私の知っている同級生はシンガポールに残っているか、アメリカかイギリスに行っているかで、日本に来ているのは私しかいない。それは何故かというと、まず18歳で日本語を喋れる人は少ない。日本に来ている学生は、基本的に日本の文化が好きで、日本語を勉強して、そのくらい好きで友達と離れてまで日本に来ている。そういう人たちと、もう一種類は、例えばネパールの学生の場合は、ネパール人協会顧問の方のお話では、「ネパールで留学生をリクルートしているのは日本語学校を経営している日本人で、日本でアルバイトが出来ると、あまりお金のない若者に夢を与えて日本に呼ぶのです」ということです。だからこの人たちは借金をしてまで将来のために日本に行くのです。借金を抱えていて自分の国にいる家族も頼れない、アルバイトに頼っているので、留学生は週に28時間まで働けるので、普段はアルバイトに通って1日1食になっている留学生も多い。たぶんこれを見てガッカリして、これは無理だと自分の国に帰ってしまう人もいます。日本語学校も専門学校も留学生が多いので、一部の人が帰ってしまうといろんなところに影響が出ます。ですから、留学生だけの問題ではなくて、みんなの問題として考える必要があると思います。
田中
ありがとうございました。留学生の問題と言っても、特定技能実習生の問題と同じかもしれませんが、私たちがある意味安い労働力として、一種のビジネスとして留学生を招いていたというような日本社会の構造について考え直さなければいけない時期なのかなと思っています。
また、さきほどAさんからもあったように、最近は日本語学校と留学生あっせんがセットになっている。今回、コロナ禍で留学生を受け入れしないということになれば、たぶん多くの日本語学校がこのままだと倒産してしまうかもしれない。仮にそういうような事態を招けば、正に国益に反するような、本来シンガポールもそうですし、中国も戦争中植民地支配された、そういう歴史を持ってるところからわざわざ日本に来ていただける学生というのは、こんな言い方をしたらいいか分かりませんが有難い。そういうことは本当は日本人として反省して考えなければいけない問題ですし、そういった中で日本のことを理解していただくのは、僕は本当に有難いと思っています。一方で、保守派が使いそうな言葉ですけれど、「親日」あるいは「知日」な人たちを自民党は本来育てたいはずなのに、むしろ逆のことをやっているのは何と言えばいいのかと思ってしまいます。
論点が多岐にわたってきましたが、私たち日本社会が抱えている、外国にルーツを持つ人、外国籍の方に対する差別だったり、大谷さんが仰ったように権力者がこういた時になし崩し的に差別だったり新自由主義を進めようとしているのではないかということを改めて提起したいと思います。
最後に滝さんにお話しを伺いたいと思います。滝さん、こういった話を聞いて、今後、コロナ禍で考えたことをライターという立場で発表していきたいとか訴えていきたいということがあれば聞かせて下さい。
滝
今、この状況で思ったことは、自分の考えの不確定さということがすごく恐ろしくなりました、私はさきほども申しあげたとおり、4月は「怖い怖い」と言っていて、5月は外に出て田中君と路上で遊んでいましたので、「変わり身早や」みたいな自分の一貫性のなさというのが、今後書き物をしていく人間としてふさわしいのかどうかということはすごく悩み考えました。
それで出た結論としては、目の前の現実に対峙する、そして考える、そして変わったなら変わったと素直に言う、そのスタンスが今自分の中に核として出来たかなと感じています。
田中君から言われなかったことで、自分が言いたいことがあります。私は人間関係がすごく変わってしまったことに対して恐怖を覚えています。皆さんはどうか分かりませんが、会いたい人にしか会わなくなりました。何と言うか、定期的に会って、たまに近況報告していた友達みたいな人がいなくなりました。
いなくはなっていませんが、たまにラインをしてもあまり話が盛り上がらなかったり、あとは私が考えるのが好きなせいで、言い方は悪いですがノンポリ的な友達に「あいつ変わった」と言われたりして、悪い意味で自分の周りがノイズが無い世界になりました。結構、政治的な価値観が合う人しか周りにいないという世界の問題点についてはすごく恐怖を覚えています。
以上です。
田中
ありがとうございました。確かに会いたい人としか会わない、何でも全部オンラインで、話によると慶應では三田祭もオンラインでやるということで、日常生活のあらゆるものをオンラインで代替しようとしていった時に、思いがけない他者との出会いというものがどんどん無くなっているような気がします。
自分と考えの違う人とどうやって今後関わりを持って行くのかということを、改めて考えていきたいと思いました。
大谷
留学生の問題が出ていますが、私が根本的に聴きたいのは、日本において留学生の人権なり権利が認められているのかということです。古い話ですが、私も4、50年前にアメリカに留学生としていましたが、政治活動をすれば則強制送還、留学生の学費は当然アメリカ人の学生より何倍も高い、アメリカの場合は成績だけではなくて、ボランティア的なことをやるとお金を貰えますが、大統領が替わった途端に1通の手紙で切られる、それに対して一切の文句を言えない、そういう状況がありました。今の日本の留学生が抱えている問題というのは、金銭的に辛いということもあるし、田中君が言うように日本の国益にとって留学生は重要なんだけれど、日本において留学生の人権なり様々な権利は認められているんですか?
田中
できればAさんにお願いしたいと思いますが、僕も全然認められてこなかったと思います。他方で、日本にいる留学生の問題で僕が想起することは、一つには在日の韓国人の方で、日本で韓国の民主化を訴えたら、不当にも本人の意思に反して韓国政府に連れ戻されたという事件もありましたし、本当に留学生の闘いというものが、一つには留学先の政府に対するものもありますし、もう一つは母国で何をされるか分からないということもあったわけです。
僕も留学生が抱える問題について課題を知りたいと思いながらも、他方では例えば僕の所属している慶應大学の留学生のサポートをする役割を去年1年間行いましたが、日常的な生活の悩みばかりで、慶應に来ている留学生は比較的恵まれている人が多くいるように思われて、例えば困窮して社会運動をやって弾圧されそうになったというような話とは無縁でした。だからこそ政府もそうだし、大学もそうだし、私たち日本人学生も社会運動をやって弾圧されるかもしれないと考えている留学生を見過ごしがちになってしまった、これは僕自身の問題でもあると思っています。
Aさんからコメントをお願いします。
Aさん
留学生は、まずビザが関わっているので怖いんですよ。何か文句言ったら「嫌なら帰れ」と言われるし、声をあげるハードルが結構高いように思います。あと、言語的バリアー、日本語でうまく伝えられないというのがあると思います。
声をあげるのは無駄だと思っている人はいっぱいいると思いますが、デモはコロナ禍で出来なくてもオンライン署名活動は出来ます。
【会場からの質問】
新宿歌舞伎町のホスト
歌舞伎町でホストをしています楽(らく)と申します。
感想に近いんですけれども、僕はコロナ禍の中で実感したのは「世間の無責任さ」ということが大きいと思っています。事例で言うと、ある俳優がコロナの影響を懸念して降番だか延期をしたんですね。それに対して世間は「無責任だ」とか「職務放棄だ」とか叩いたと思うんですけれども、じゃあ実際にその人がコロナに感染したら「管理が不十分だ」と世間は言うじゃないですか。世間というのはどうすればいいのかを示すのではなくて、ただ文句を言うだけの存在なんですよ。そこがSNSなんかで顕著に現れているのかなと感じました。その世間をどうやって良い方向に向けていくのかみたいなことを考えていきたいですし、どういった考えがあるのかお聞きしたいと思います。
田中さんに世間に対して思うこととか、日本人のあり方ですね。
田中
今仰った話、難しすぎて僕には振らないで欲しいと思いましたが、皆さんにも是非お伺いしたいですが、一つ言えることは、自粛みたいなものを何故しないのかということで、さきほど権力だという話がありましたが、実は隣の人だったり、あるいは自分よりもっと苦しい人の方がやっている可能性というのは常にあるなと最近すごく感じていて、どうしてもこういうものは権力や強いものとかメディアとか大きいものとか強いものを想定する、もちろんそれもそうですが、実は内側から崩壊していくこともある、そういう目が怖い。実は第二部で登壇する予定だった方が、対面で感染リスクが怖いので、僕としてはマスクも体温の測定も連絡先も書いてもらいますけれども、事前登録制にしないのがおかしいとか、そういう問題提起がなされて、本来来る予定だった方が第二部で来られなかったということがあります。
このように、自分たちと考えが近い人たちの中からも、「もしここで感染があったら誰が責任を取るのか」とまで言われて、僕の考えだと、対策を取った上で感染リスクの責任を取れという話になると、それこそ感染者が出たら謝罪をするとか、感染者が差別される、まさに今まで水俣とかハンセン病の反省として、そういうものを生んだ構造が悪いと考えてきたのに、強い人ではなく逆にかえって感染者を責めることになる。こういう構造を僕たちは変えないといけないし、そのアイディアをずっと考えてきたつもりが、かえって逆戻りしてしまったという印象を受けています。だからこそ是非知恵を、僕もそれを乗り越える術を知りたいと思っています。今後も考えていきたいと思います。
新宿歌舞伎町のホスト
今、仰った中で自分の中で問いかけがあったんですけれども、その問いが、「騒ぐ世間」がどうやって投票に向かうのかということ。投票に向かわないことが問題だと思っていて、今この場所だと意見が出て、それについて考えて、それなりに最善の策を出してという民主主義が機能していると思うんですけれども、「騒ぐ世間」って投票に行かないんですよね。何でかっていうと、現状を良くしたいんじゃなくて、現状を良くできないことの文句を言って、その周囲の人から「そのとおりだね」と同意を受ければ承認される、承認され同意されるこで満足してしまう。それが一番の問題で、「良くしていこう」じゃなくて、悪い状況を主張して承認されて満足してしまう、そこの欲求を投票という改善の方向に向けるにはどうしたらいいかというのが一番の問題だと思っていて、問としては明確になっています。
田中
ありがとうございます。本当に難しい問題だと思います。問題提起ありがとうございます。
第一部はここまでとします。
※ 今回掲載した「補償なき『自粛』要請と学費問題を考えるシンポジウム」第一部及び掲載できなかった第二部ついて、「情況」2020年秋号にレポート記事が掲載されています。
こちらも併せてご覧ください。
「学生たちが学費問題で起ちあがる」伊集院熊(国学院大学)・田中駿介(慶應義塾大学)

(終)
【お知らせ その1】



「続・全共闘白書を読み解く」今秋刊行!
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
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「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。
執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、外山恒一、小林哲夫、田中駿介 他
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎 他
<書評>高成田亨、三上治
定価1,800円(税別)
情況出版刊
(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会(担当・前田和男)
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
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【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
http://zenkyoutou.com/yajiuma.html
【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。
http://zenkyoutou.com/gakuen.html
【お知らせ その2】
ブログは隔週で更新しています。
次回は10月30日(金)に更新予定です。
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