【重要なお知らせ】
ヤフーブログの終了に伴い、、ヤフーブログは8月いっぱいで記事の投稿ができなくなりました。
そのため、8月1日からライブドア・ブログに引っ越しました。
リンクを張られている方や、「お気に入り」に登録されている方は、アドレス変更をお願いします。
引っ越しにともない、過去記事も引っ越しました。
ヤフーブログのアドレスになっている過去記事を検索でクリックすると、ライブドアブログのトップページに自動転送されます。、
過去記事をご覧になりたい方は、ブログのアーカイブスで探していただくか、記事タイトルで検索して、ライブドアブログのアドレスになっている記事をご覧ください。(まだ検索に引っ掛からないようです)
ヤフーブログの終了に伴い、、ヤフーブログは8月いっぱいで記事の投稿ができなくなりました。
そのため、8月1日からライブドア・ブログに引っ越しました。
リンクを張られている方や、「お気に入り」に登録されている方は、アドレス変更をお願いします。
引っ越しにともない、過去記事も引っ越しました。
ヤフーブログのアドレスになっている過去記事を検索でクリックすると、ライブドアブログのトップページに自動転送されます。、
過去記事をご覧になりたい方は、ブログのアーカイブスで探していただくか、記事タイトルで検索して、ライブドアブログのアドレスになっている記事をご覧ください。(まだ検索に引っ掛からないようです)
重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの東日本成人矯正医療センター(昭島市)での近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
今回は「オリーブの樹」147号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)
<独居より 2019年5月15日~2019年8月8日
5月15日 監獄人権センターのニュースレター№98を他の資料と共々今日受け取りました。まだ読み込めてはいないのですが、そこに各地の視察委員会から当該施設への意見や提案と、それに対する施設側からの解答があった内容の報告が載っています。「医療・平成29年度(平成30年4月末現在)」の報告です。その一部に「東日本成人矯正医療センター」の報告があり、「視察委員会」が稼働しているのを知りました。主な内容は「入所後、短期に死亡するケースがまま見られるが、改善されていない。改めて他の施設と解決協議を求める」という視察委の意見に対し、「疾病の早期発見治療は矯正全体でも(矯正施設の意味と見る)取り組んでいる。(中略)当センター入所以前の施設においても最善の医療処置を施していると聞き及んでおり、今後も早期受け入れを始め、他の施設と協議等鋭意進めたい」という当センターの「官僚答弁」が載っています。
去年1月14日、私が当センターに入所以来一度も「視察委員会」の動きは見られず、まだ未稼働だと思っていました。「所内生活の心得」には視察委員会に触れていますが、八王子の時のような患者との関わりはみえません。八王子の時は「子安町通信」が発行されて、患者へのアンケートや面会もあり、視察委は患者の意見を汲み取る努力や、投函ポストも投書意見を入れやすい位置に設置されていました。昭島に来てポストも私たちの生活で通る範囲にはなく、他の患者も知らないし、「まだなんじゃない」という程度です。せっかく新法で設置された「第三者機関」が有効に稼働するよう昭島でも全患者のアンケートなどが八王子のように行われることを期待します。
(中略)
5月15日 監獄人権センターのニュースレター№98を他の資料と共々今日受け取りました。まだ読み込めてはいないのですが、そこに各地の視察委員会から当該施設への意見や提案と、それに対する施設側からの解答があった内容の報告が載っています。「医療・平成29年度(平成30年4月末現在)」の報告です。その一部に「東日本成人矯正医療センター」の報告があり、「視察委員会」が稼働しているのを知りました。主な内容は「入所後、短期に死亡するケースがまま見られるが、改善されていない。改めて他の施設と解決協議を求める」という視察委の意見に対し、「疾病の早期発見治療は矯正全体でも(矯正施設の意味と見る)取り組んでいる。(中略)当センター入所以前の施設においても最善の医療処置を施していると聞き及んでおり、今後も早期受け入れを始め、他の施設と協議等鋭意進めたい」という当センターの「官僚答弁」が載っています。
去年1月14日、私が当センターに入所以来一度も「視察委員会」の動きは見られず、まだ未稼働だと思っていました。「所内生活の心得」には視察委員会に触れていますが、八王子の時のような患者との関わりはみえません。八王子の時は「子安町通信」が発行されて、患者へのアンケートや面会もあり、視察委は患者の意見を汲み取る努力や、投函ポストも投書意見を入れやすい位置に設置されていました。昭島に来てポストも私たちの生活で通る範囲にはなく、他の患者も知らないし、「まだなんじゃない」という程度です。せっかく新法で設置された「第三者機関」が有効に稼働するよう昭島でも全患者のアンケートなどが八王子のように行われることを期待します。
(中略)
5月23日 今日は朝から腸洗浄の下剤4リットルを、12時までかけて飲み、何とか準備を終えて大腸内視鏡検査へ。普通、2リットル~2.5リットルでOKになるのに、私の場合は何回もの手術で人の手が入っており、癒着していて洗浄も大変です。午後1時半から2時半の検査は、新しい腫瘍なしでした! まだ大丈夫、腫瘍はないと思いつつ、気がかりでしたがホッとしました。でも内臓をかき回すのでやっぱり疲れます。
(中略)
(中略)
5月29日 今日は、うすいピンクの芍薬開きかけが5本と、スターチスの紫が届き、丸岡さんのための追悼の花として飾りました。今日の命日、あの日のように雨でしたが、あの日は震えるほど寒かったのに、今日は蒸し暑い命日です。あの時はありがとうと、あれこれ丸さんに感謝しつつ空を見ていると、雨から陽の光に変わりました。
(中略)
(中略)
5月30日 芍薬の大輪の5本のピンクの花が開きました。みごとな花です。(500円です! 安すぎ!)
今日はリッダ闘争の日。花で弔い祝えるリッダ闘争は久しぶり。あの47年前の闘いは、アラブ諸国政府も人民もアラファト議長も賛辞と支持を表明し、解放の闘い・国際連帯のシンボルの闘いでした。現在のパレスチナ解放の闘いの惨状は、PLOやアラファト路線の誤りはあっても、決してパレスチナ側に責任がある訳ではありません。かつての帝国主義の植民地支配の思惑とシオニストの「ユダヤ国家建設」の相互利用はパレスチナ人を犠牲として生まれ、その構図は今も続いているからです。
トランプ政権の親イスラエル政策は犯罪的です。反イラン親米同盟は中東を益々危険に陥れ、パレスチナ問題の解決を益々周辺化しています。6月に発表されるという米の「新中東和平案」では「パレスチナ側が拒否すれば資金援助を米が停止するばかりか、いかなる国からの援助も阻止する」という一項もあるとか。国際社会の国際法・国連決議に基づく反撃は果たしてどこまで可能なのか。イスラエルの核には目をつぶり、イランを追及するダブルスタンダードも結局は米政府の主張に日本含めて石油禁輸に応じる流れ。この方式をパレスチナにも押し付けようとするのでしょうか。
でも抑圧はパレスチナの「帰還の権利」、パレスチナの民族自決を逆に浮かび上がらせるでしょう。リッダ闘争の時代は何と自由な解放の夢を語り合ったものだったのか、今さら比較しています。リッダ戦士たちが「闘いは幸せ」と言った意味をかみしめつつ、5・30の祭に花を!と一人5・30を祝し世界の友に挨拶を送っています。パレスチナに献花を!
今日はリッダ闘争の日。花で弔い祝えるリッダ闘争は久しぶり。あの47年前の闘いは、アラブ諸国政府も人民もアラファト議長も賛辞と支持を表明し、解放の闘い・国際連帯のシンボルの闘いでした。現在のパレスチナ解放の闘いの惨状は、PLOやアラファト路線の誤りはあっても、決してパレスチナ側に責任がある訳ではありません。かつての帝国主義の植民地支配の思惑とシオニストの「ユダヤ国家建設」の相互利用はパレスチナ人を犠牲として生まれ、その構図は今も続いているからです。
トランプ政権の親イスラエル政策は犯罪的です。反イラン親米同盟は中東を益々危険に陥れ、パレスチナ問題の解決を益々周辺化しています。6月に発表されるという米の「新中東和平案」では「パレスチナ側が拒否すれば資金援助を米が停止するばかりか、いかなる国からの援助も阻止する」という一項もあるとか。国際社会の国際法・国連決議に基づく反撃は果たしてどこまで可能なのか。イスラエルの核には目をつぶり、イランを追及するダブルスタンダードも結局は米政府の主張に日本含めて石油禁輸に応じる流れ。この方式をパレスチナにも押し付けようとするのでしょうか。
でも抑圧はパレスチナの「帰還の権利」、パレスチナの民族自決を逆に浮かび上がらせるでしょう。リッダ闘争の時代は何と自由な解放の夢を語り合ったものだったのか、今さら比較しています。リッダ戦士たちが「闘いは幸せ」と言った意味をかみしめつつ、5・30の祭に花を!と一人5・30を祝し世界の友に挨拶を送っています。パレスチナに献花を!
6月1日 今日の新聞で星野文昭さんが30日に亡くなられたことを知りました。読売によると肝癌の手術を都内の病院で行った後、容態が悪化したとあります。都内の病院ってこの東日本医療センターのことか……。重篤な状態で検察は刑の執行停止を許さなかったのですね……。丸岡さんの時同様の検察の意図を感じます。冤罪の上、刑期でも仮釈放当然の星野さん。権力は報復的に自由を許しませんでした。ご冥福を祈ります。
6月3日 リベラシオンのブログに公開するため「オリーブの樹」の1号からバックナンバーを校正チェックのため読み直しています。2001年当時は接見禁止の中で初めての公判経験に学び、理解しながら書面準備したりと必死でした。ああそうだった! などと1号から12号まで読み、思い出し胸いっぱいになります。公判の情景、証人の発言、メイの発言、未知の友人の方がメイのこと詩に記して下さったものも載っています。(12号)読み直し、高校時代の旧友の「シゲに捧げる『私小説』」も改めて読み、より深く思いが溢れます。大学の友人の傍聴記やカラス天狗さんの論文は今も光っています。
また、公判一年を迎えた意見書(2002年4月24日)では、ものごとが少し見えるようになった公判シロウトの私が、ハーグ事件に関する検察の調書改ざん(PFLPへの「依存」発言のTさん自供書で私を陥れるために「依存」から「依頼」へとあたかも作戦を依頼した話への改ざん)を告発しています。読み返しても、権力側はいかに私を重刑にさせるかで、検察側が証人を恫喝したのかも明らかです。この4年後には検察側を忖度した新しい裁判長によって懲役20年の判決が出されていくのですが、それ以前の2002年ころを読んでいて(丁度9・11事件やイスラエル首相シャロンによるPFLP議長暗殺から、西岸地区破壊、アラファト大統領府砲撃の時代)みんなの支援が胸熱く迫ってきます。丸岡さんの寄稿もあって、再会のように何度も読み返すことができました。
また、公判一年を迎えた意見書(2002年4月24日)では、ものごとが少し見えるようになった公判シロウトの私が、ハーグ事件に関する検察の調書改ざん(PFLPへの「依存」発言のTさん自供書で私を陥れるために「依存」から「依頼」へとあたかも作戦を依頼した話への改ざん)を告発しています。読み返しても、権力側はいかに私を重刑にさせるかで、検察側が証人を恫喝したのかも明らかです。この4年後には検察側を忖度した新しい裁判長によって懲役20年の判決が出されていくのですが、それ以前の2002年ころを読んでいて(丁度9・11事件やイスラエル首相シャロンによるPFLP議長暗殺から、西岸地区破壊、アラファト大統領府砲撃の時代)みんなの支援が胸熱く迫ってきます。丸岡さんの寄稿もあって、再会のように何度も読み返すことができました。
6月14日 安倍首相の対イラン外交、方角を間違っていませんか? 核合意を離脱しないようイランに求めるより、それはトランプに言うべきこと。そうでなければ、イラン側から見れば、安倍はトランプのメッセンジャーボーイを買って出た人に過ぎません。(本音はそうなのですが)ロウハーニー大統領もハメネイ師もその労を歓迎するとしても。ハメネイ師の「安倍首相の善意に疑いは抱かないが、トランプ氏は意見交換に適した人物ではなく、答えることもない」は、精一杯の歓待の言葉。同じ日の13日にホルムズ海峡で日本のタンカーが攻撃を受けたとのこと。これは、日本の外交努力やイランとの友好に反感を持つ勢力の謀略を思わせます。場所はホルムズ海峡というよりオマーン湾で、イランのせいにするよりサウジ、UAEら米・イスラエルと協力した技術力で、対イランの緊張を作り出そうとしたと考えるのが論理的です。
6月17日 今日から一部夏暦で、入浴が週3回月・水・金になり、一回増えました。また、今日の昼には冷たい麦茶がいつものお茶の代わりに給されました。この頃7Fでなく5Fのベランダで運動。プラスチック柱で遮られて少しも隙間がなく、外が見えないので、閉塞感で外で運動した気がしません。隅に生えていた一株のゲンノショウコも抜かれてしまいました。7Fの方が隙間から空や遠くがちょこっと見えるのですが。
(中略)
(中略)
6月18日 丁度「救援」紙が届いて、やはり星野文昭さんが5月30日にこの昭島の施設で手術後に亡くなられたことを知りました。当所の視察委意見として、監獄人権センターに載っていたように、ここに入所して死ぬ患者が多すぎるという指摘を思い返しました。星野さんの獄死は、完全に検察と徳島刑務所などの責任です。肝癌は、14cmx11cmだったとのこと。もう長い間、癌に罹患していたのに、執行停止も仮釈放もせず殺したのですから。再審を継続して闘うとのこと。獄中医療の改善を共にめざしてほしいです。哀悼と共に連帯しています。
6月25日 今日はフリースジャンパーを回収し、カーディガン貸与と団扇(といっても円形の白ボール紙)配布。それに今日から拭身(3分。洗面器水2杯使用可)が可能になりました。今日は5Fのベランダでの運動後、初の拭身をしました。今日は久しぶりに陽が射しています。
(中略)
(中略)
7月3日 昨日「要望願い」で、面会室にマイクを八王子のように設置してほしいと提出しましたが、早くも今日回答がありました。「回答・マイクの設置は考えていない。面会室にそれを新しく設置するのは不可能」とのことです。いろいろ事情はあるでしょうが、他の難聴者の今後のためにもとくいさがったのですが、どこからも苦情はない、とのことです。とても若そうに思えたので、検討するよう上の方にお願いしてください、と言ったのですが「私が上です」と言われてしまいました。何とかしてほしいです。面会室ではとても聞き取り難くて和尚にも迷惑をかけています……。八王子には一室がマイクで難聴者対応でした。いいところは真似てほしい……。
(中略)
7月6日 西日本豪雨の記念の日。それ以前に、私たちにとっての「7・6事件」から50年目の7月6日です。当時関わった人々の何人もが彼岸に在り、また、多くの人々が苦い痛みをもって、この50年前を思い返していることでしょう。丁度あの1969年―全共闘運動が、次々と機動隊の導入によって「学内正常化」の厳しい攻防を強いられた年―から50年。赤軍派結成からも50年。関連文書を書きつつ、「7・6事件」は即時的に暴力に流れたことを、当時の知性、政治思想性が感情に制約されていた赤軍派を始めとする党派の敗北状況を、反省と共に思い到ります。
(中略)
(中略)
7月6日 西日本豪雨の記念の日。それ以前に、私たちにとっての「7・6事件」から50年目の7月6日です。当時関わった人々の何人もが彼岸に在り、また、多くの人々が苦い痛みをもって、この50年前を思い返していることでしょう。丁度あの1969年―全共闘運動が、次々と機動隊の導入によって「学内正常化」の厳しい攻防を強いられた年―から50年。赤軍派結成からも50年。関連文書を書きつつ、「7・6事件」は即時的に暴力に流れたことを、当時の知性、政治思想性が感情に制約されていた赤軍派を始めとする党派の敗北状況を、反省と共に思い到ります。
(中略)
7月8日 月曜日、Iさんの便りで、柳田さんが3週間前に亡くなられたと知りました。呆然です。Kさんとうして「朱徳」の本を送って下さり、3年後の再会をめざしている、と言って下さったのに。今頃は、彼岸で西浦さんと再会して語り合っていることでしょうか。合掌。悼みつつ、大阪医療刑で予定直前の移監で会えなかったアポイントメントの日を思い出しています。
(中略)
(中略)
7月22日 朝届いた新聞で、「自公改憲過半数」「改憲勢力2/3は届かず」の見出し。とりあえず2/3に届かなかったのはホッとしましたが、自公維の力の強さを(あれほど数々の森友から加計、議員の失言繰り返しつつ、利権やメディア印象操作に権力を利用している結果なのですが)見せつけられています。比例区の投票を見れば、全有する者に対する自民党の得票率はたった17%に過ぎず、公明党も10%も減らしているのに、です。諦めた庶民の姿は、投票率の低さに出ています。でも、次の衆議院選はどうなるかわかりませんよ。日米関係や様々のほころびが出てくるのは見えていますし、若い層の支持が自民党に多いとのことですが、共産党にも、「れいわ」にも支持層があるのは救いです。できたばかりの「れいわ」は、既成の社民・共産支持票ではなく、今後、無党派層やこれまで投票してこなかった人々にも届く広がりを作っていけるかと期待しています。もっと野党がうまく共同すれば、まだまだ自民党の強権政治や人気取りの諸政策も学びつつ、乗り越えていけるのでは、と期待したいのですが……。これは今後の野党次第ですね。もっと自民党と違う国や社会の根本的姿ビジョンを語ってほしい。「れいわ」はその点で魅力的だったのか? 新聞ではわかりませんが。でも改憲議員は国民民主党にもいるし、一本釣りされる人も出てくるでしょう。3分の2を揃えて改憲強行突破もあり得ますね。あの安保法束ねて、強行採決した時のように。「改憲」が現実問題として、迫っています。阻止を!
7月23日 大暑の今日も梅雨の空。でも、雨が降っておらず、一週間ぶりに5Fのベランダ。ぬかるんでいて、患者たちは立ち話。私はウォーキングで汗をかき、身体を動かすのが楽しみ。
房に戻って汗をふきふき一息のところへ、転房の指示。午後からの引越しに備えて荷物の準備です。遅れた朝刊の選挙の確定結果をよく読みたいのに……。
一面には、自民、維新、公明が各一議席、昨日の朝刊より増えています。あーあ、これで国民民主党の改憲勢力を切り崩して強硬採決もあり得ます。夕方受け取った人民新聞、木村さんの文に「山本太郎新党は吉と出るか凶と出るか?!」とあり、少し「れいわ」の雰囲気がわかりました。パワーが溢れた「やるぞ!」という断固とした主張が新鮮に感じられます。ポデモスやシリザのように、または五つ星の方? これから進みそう。自民支持や諦め投票しない層を切崩してほしい。
今日のがっかりは、房が北側に移り、森や緑が見えなくなったことです。でも隙間から少し空が見えるので、前の北向きよりましです。
房に戻って汗をふきふき一息のところへ、転房の指示。午後からの引越しに備えて荷物の準備です。遅れた朝刊の選挙の確定結果をよく読みたいのに……。
一面には、自民、維新、公明が各一議席、昨日の朝刊より増えています。あーあ、これで国民民主党の改憲勢力を切り崩して強硬採決もあり得ます。夕方受け取った人民新聞、木村さんの文に「山本太郎新党は吉と出るか凶と出るか?!」とあり、少し「れいわ」の雰囲気がわかりました。パワーが溢れた「やるぞ!」という断固とした主張が新鮮に感じられます。ポデモスやシリザのように、または五つ星の方? これから進みそう。自民支持や諦め投票しない層を切崩してほしい。
今日のがっかりは、房が北側に移り、森や緑が見えなくなったことです。でも隙間から少し空が見えるので、前の北向きよりましです。
7月24日 目覚めると、隙間から遠くの緑が見えない。そうだ、今日は北側の部屋に移ったんだ……と、改めて残念。関西の「リベラシオン」の方で「オリーブの樹」の創刊号からのバックナンバーをアップすることになり、もう出ているそうです。私の方でもこの間は創刊号からの正誤表をつくるため読み直し、どれだけの友人たちに支えられて、後半、獄中を過ごしてきたのかと、各号を読みつつ皆に感謝ばかりでした。公判での丸岡さんやライラ、寄稿のカラス天狗、辻邦さん、第一審判決後2006年6/3、約80人が「重信メイさんのお話を聞く会」をTerrezaで開いて下さり、それがきっかけで、関西支える会―さわさわに至ったこと、改めて記録というものの再現力に、ありがとうという思いで読み返したところです。その間、丸岡さんをはじめ、柳田さんに至るまで、なんと多くの友が先に逝ってしまったのか……と思いました。過ぎた10年はとても短いけれど、これからの10年は生きているのかな……と思う年になったと、改めて実感しています。
(中略)
(中略)
7月26日 韓国との関係悪化は安倍外交の結果です。どうして「外交の安倍」といえるのか、全部失敗し、税金で外国を飛び回ってきただけなのに。「選択」で山崎拓も同様発言。「私に言わせれば、トランプ大統領の緊密な関係も『抱き付き外交』で実がない」と断じています。「外交の実を見ると成果はゼロに等しい」「今の自民党議員の間では『わが身の保身のため首相を支持する』という危うい構造力学がある。」と看破し、安倍が意図的に後継を作らず、自分を脅かさない人で閣内を固めていて、人材払底に陥ったと嘆いています。一方で、今日の朝刊で「れいわ新選組」がなぜ人々に受け入れられたのか、よく判る記事に出会いました。山本太郎の訴えが本物であり、うす汚れた政治のパラダイムをひっくり返す勢いがあったのを理解しました。大手新聞が今でなく、投票前にこの記事を載せていたら票は倍増したかも……。「あなたの生活が苦しいのは、あなたのせいにされていませんか。あなたが役に立たないとか、あなたが勉強してこなかったからだとか。冗談じゃない!」涙があふれたと40代男性は語り「生活は苦しいけど、彼に託すしかないと思った。だってぼくを勇気づけてくれたのは彼だけだったから」と、貯金5万円から1万円寄付したと述べています。「自信を奪われているんじゃないですか。みんな。自己責任? ちがう! 国がやるべき投資をやってこなかったからだ」「生きててくれよ!」生活できない辛さにある人々のマグマを、この人は受けとめる力を持っているスピーチです。
(中略)
7月30日 この頃前より規則が厳しく、昨日はYさんに送った校正したプリントに、一行「校正よろしくお願いします」と書いたら、「今後は一行目でも通信文を書けば、一通分の信書として換算する」との指導で、その一行を消しました。今日も手紙に哀悼文を「原稿」として「同封願い」を出したのですが、却下で「増枚願い」(制限枚数の7Pより増加したため)を指示され、今回は許可されました。今後は「よろしく」とか「おねがいします」いろいろ省略して送るしかなさそうです……。(中略)
また、友人から「『オリーブの樹』は歴史資料なのか、大原社会問題研究所や東大社会科学研究所でも資料として公開されている」とか。前にも友人が、中東研究者の宮田律さんのH・Pにオリーブの樹からの引用があったと送ってくれました。どこかで出会うのは嬉しいですね。また、今日受け取った資料に季刊「アラブ」の「現代史の証言・1975年重信房子と単独会見・日本赤軍ゲリラ闘争継続宣言・高木規矩郎」とあり、ギョっとしつつ、これ読んだところです。私がインタビューしたのは、アラブ時代に仲間の逮捕者にメッセージを送る意図で、何度かやっています。この時も、仲間の逮捕、自供をうけて「それは彼らの弱さや責任ではなく、私たちの弱さであり、それを自己批判しつつ責任を負う」と奪還を示唆したようなものでした。
7月31日 七月尽。今日は運動!と房を出て、講堂の1Fならいいのですが、2Fの狭い空間でラジオ体操と立ち話、ウォーキング。久しぶりのおしゃべりをみな楽しんでいます。短い廊下から講堂2Fに入るのですが、むあっとする熱気、30度以上の暑さを実感しました。
資料、水谷さんの文受け取りました。「革共同政治局が動労千葉に敵対、加えて二つの女性差別問題を隠蔽。党本部で追及・批判が噴出。ついに政治局炎上」と7/15付で中核派内部の危機的状況を暴露・分析しています。水谷さんはこうした問題を歴史的にも捉え返し、今参院選も取り組み放棄し「中核派形成の党是が崩壊」しており「その元凶は清水丈夫の論理にあり」(党と労働組合の一体的建設論で、ようは今の時代は党員しか戦えないとする論理)と党の革命を求めている水谷論文です。まったく「門外漢」の中核派のことですが、注目していたいと思います。水谷さんも自らを問われつつ記していると思います。
今日の朝日新聞に旧日本赤軍の「新たなイメージ写真」手配の記事。今、何のために? 警察国家の更なる「危険」や「陰謀」キャンペーンと「予算」に利用されています。
(中略)
7月30日 この頃前より規則が厳しく、昨日はYさんに送った校正したプリントに、一行「校正よろしくお願いします」と書いたら、「今後は一行目でも通信文を書けば、一通分の信書として換算する」との指導で、その一行を消しました。今日も手紙に哀悼文を「原稿」として「同封願い」を出したのですが、却下で「増枚願い」(制限枚数の7Pより増加したため)を指示され、今回は許可されました。今後は「よろしく」とか「おねがいします」いろいろ省略して送るしかなさそうです……。(中略)
また、友人から「『オリーブの樹』は歴史資料なのか、大原社会問題研究所や東大社会科学研究所でも資料として公開されている」とか。前にも友人が、中東研究者の宮田律さんのH・Pにオリーブの樹からの引用があったと送ってくれました。どこかで出会うのは嬉しいですね。また、今日受け取った資料に季刊「アラブ」の「現代史の証言・1975年重信房子と単独会見・日本赤軍ゲリラ闘争継続宣言・高木規矩郎」とあり、ギョっとしつつ、これ読んだところです。私がインタビューしたのは、アラブ時代に仲間の逮捕者にメッセージを送る意図で、何度かやっています。この時も、仲間の逮捕、自供をうけて「それは彼らの弱さや責任ではなく、私たちの弱さであり、それを自己批判しつつ責任を負う」と奪還を示唆したようなものでした。
7月31日 七月尽。今日は運動!と房を出て、講堂の1Fならいいのですが、2Fの狭い空間でラジオ体操と立ち話、ウォーキング。久しぶりのおしゃべりをみな楽しんでいます。短い廊下から講堂2Fに入るのですが、むあっとする熱気、30度以上の暑さを実感しました。
資料、水谷さんの文受け取りました。「革共同政治局が動労千葉に敵対、加えて二つの女性差別問題を隠蔽。党本部で追及・批判が噴出。ついに政治局炎上」と7/15付で中核派内部の危機的状況を暴露・分析しています。水谷さんはこうした問題を歴史的にも捉え返し、今参院選も取り組み放棄し「中核派形成の党是が崩壊」しており「その元凶は清水丈夫の論理にあり」(党と労働組合の一体的建設論で、ようは今の時代は党員しか戦えないとする論理)と党の革命を求めている水谷論文です。まったく「門外漢」の中核派のことですが、注目していたいと思います。水谷さんも自らを問われつつ記していると思います。
今日の朝日新聞に旧日本赤軍の「新たなイメージ写真」手配の記事。今、何のために? 警察国家の更なる「危険」や「陰謀」キャンペーンと「予算」に利用されています。
8月1日 リベラシオンの方、「オリーブの樹」ネットサイトへのアップに伴い、正誤表作成など協力下さってありがたいことです。リベラシオンのサイトに「JAPAN TODAY」や「人民通信」もアップするとのこと。私たちのそんな昔の海外発行のもの、よく見つかったなあ……と驚いています。「JAPAN TODAY」は80年代の新計画に沿って、海外の人々に「日本とは、いったいどんな国なのか? 奇妙なことに政権が憲法を壊そうとし、進歩派が憲法の厳守を訴える国」など、日本紹介です。これは「ソリダリティー英語版」の見解主張よりも「日本紹介」をテーマにした英語版です。「POLITICAL REVEW」は「ソリダリティー」の後継版です。70年代総括を経て、当時から私たちは人民主権を柱とする戦略(路線、政策)は変えていません。
(中略)
8月4日 「表現の不自由展その後」の中止報道。75日が3日で中止とは…。日本の空気の酷さを改めて実感します。安倍政権下の社会では横槍で中止になるだろうと思ったけれど、たった3日とは。主催者は日本の自由に幻想を持っていたのか、あまりに危機管理が軽いです。
「あなたの言うことには反対だ。しかし、あなたがそれを言う権利を私は命をかけて守る」と言ったヴォルテールの姿勢こそ、民主国家の姿なのに、日本は「日本会議政権」と化しているようです。匿名で脅したり、政治家が扇動したりしている姿への抗議を、広く市民社会に伝え、中止撤回再開実現によって、なんとか委縮社会のこの流れを変えたい。死刑執行、韓国に対する政治で報復。生き辛さを排外主義に扇動する「日本会議」の匿名講義が確実に日本を蝕んでいます。
(中略)
(中略)
8月4日 「表現の不自由展その後」の中止報道。75日が3日で中止とは…。日本の空気の酷さを改めて実感します。安倍政権下の社会では横槍で中止になるだろうと思ったけれど、たった3日とは。主催者は日本の自由に幻想を持っていたのか、あまりに危機管理が軽いです。
「あなたの言うことには反対だ。しかし、あなたがそれを言う権利を私は命をかけて守る」と言ったヴォルテールの姿勢こそ、民主国家の姿なのに、日本は「日本会議政権」と化しているようです。匿名で脅したり、政治家が扇動したりしている姿への抗議を、広く市民社会に伝え、中止撤回再開実現によって、なんとか委縮社会のこの流れを変えたい。死刑執行、韓国に対する政治で報復。生き辛さを排外主義に扇動する「日本会議」の匿名講義が確実に日本を蝕んでいます。
(中略)
8月8日 今日初めて、東日本矯正医療センターの視察委員会による「もくせいの杜通信」(通関1号。2019年3月発行)が、やっと届きました。何で遅れたのか?「監獄人権センター」のニューズレターで、ここの視察委員会がすでに存在し、稼働していたのを知ったのですが、これまで2018年1月入所以来、何の兆候もありませんでした。今回の号は、人権センターで記したものと同じでしょうか。(1)視察委員会って何のためにあるのか?(2)どんなことをするのか?(3)どんな人が視察委員にいるのか?(4)どんなことをしてきたのか?(被収容者らの提案を受けたり面接したりして、年度末にこのセンター長に意見書を送る中に反映する)(5)意見書提案に何を書くのか?(自分のみならず、他の人たちみんなの為に改善してほしい点など。特命可。例として、これまで職員の態度が抑圧的で研修を求めたこと。職員の都合退職者多く、メンタル向上の措置を。スーパーバイザーを招き、刑務官と異なる領域の文化の尊重を育てるべし、など職員関連が記されていました。被収容者からみた問題発生の原因は、指導の客観性、科学性の欠如があり、外部スーパーバイザーの必要。法的観点から、規律違反に対して強制的に意志制圧の道具となっており、規律自体に合理性があるのか検証の必要あり、外部チェックの要請。この点、私も大いに賛成です。合理性のない不要な規律がありますから。また、人権センターのニューズレターにあった、入所後短期の死亡批判。(6)視察委員会からのおねがい(事実確認できないので面談申し出て。個別法律相談は「法テラス多摩へ」)など、これからの意気込みが感じられました。「法テラス多摩」は渡辺先生のところか……と思いつつ読みました。東拘や八王子の視察委でやっていたように、全患者アンケートをやって、実情を知ってほしいと思います。
(終)
(終)
【「リベラシオン社」について】
重信さんの日誌の中に「リベラシオン」というWebサイトのことが書かれています。
正式には「リベラシオン社」という名称のサイトです。
主にブント系の資料を掲載していますが、その中に「日本赤軍」のページがあり、そこで「オリーブの樹」のバックナンバーを見ることができます。
「リベラシオン社」日本赤軍ページ
【1969年「11月決戦」アーカイブス】
今年の11月は、70年安保闘争最大の山場となった1969年11月16日の「11月決戦」(佐藤訪米阻止闘争)から50年目となる。
そこで、以前、このブログに掲載した「11月決戦」の記事を紹介する。
今年の11月は、70年安保闘争最大の山場となった1969年11月16日の「11月決戦」(佐藤訪米阻止闘争)から50年目となる。
そこで、以前、このブログに掲載した「11月決戦」の記事を紹介する。
「11月決戦」は勝利か、敗北か?
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/2008-11-21.html
【お知らせ その1】
10・8山崎博昭プロジェクト2019年秋の東京集会 特別講演会
(台風19号の影響で延期になっていた講演会です)
「ベトナムをどう見るか―歴史認識と現実」
講師:中野亜里さん(現代ベトナム政治、大東文化大学国際関係学部教授)
日時:2019年11月16日(土)18時00分~21時00分
会場:全水道会館5階 中会議室
文京区本郷1-4-1(03-3816-4196)
JR線「水道橋駅」から徒歩2分、都営地下鉄三田線「水道橋駅」A1 徒歩1分。
参加費:1500円
講演概要
1 ベトナムと関わりから見えたこと:「オモテ」と「ウラ」の世界
2 日本人のベトナム認識とベトナム人の歴史観・世界観:「社会主義」「民族解放」の神話、明らかにされていない歴史、自国の歴史に興味がないベトナム人
3 ベトナム政治・対外関係の現状:開発と民主化・人権問題、中国・アメリカ・日本と
の関係
4 今後の展望
(台風19号の影響で延期になっていた講演会です)
「ベトナムをどう見るか―歴史認識と現実」
講師:中野亜里さん(現代ベトナム政治、大東文化大学国際関係学部教授)
日時:2019年11月16日(土)18時00分~21時00分
会場:全水道会館5階 中会議室
文京区本郷1-4-1(03-3816-4196)
JR線「水道橋駅」から徒歩2分、都営地下鉄三田線「水道橋駅」A1 徒歩1分。
参加費:1500円
講演概要
1 ベトナムと関わりから見えたこと:「オモテ」と「ウラ」の世界
2 日本人のベトナム認識とベトナム人の歴史観・世界観:「社会主義」「民族解放」の神話、明らかにされていない歴史、自国の歴史に興味がないベトナム人
3 ベトナム政治・対外関係の現状:開発と民主化・人権問題、中国・アメリカ・日本と
の関係
4 今後の展望
【お知らせ その2】
「糟谷プロジェクトにご協力ください」
1969年11月13日,佐藤訪米阻止闘争(大阪扇町)を闘った糟谷孝幸君(岡山大学 法科2年生)は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され、21才の短い生涯を閉じま した。私たちは50年経った今も忘れることができません。
半世紀前、ベトナム反戦運動や全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
70年安保闘争は、1969年11月17日佐藤訪米=日米共同声明を阻止する69秋期政治決戦として闘われました。当時救援連絡センターの水戸巌さんの文には「糟谷孝幸君の闘いと死は、樺美智子、山崎博昭の闘いとその死とならんで、権力に対する人民の闘いというものを極限において示したものだった」(1970告発を推進する会冊子「弾劾」から) と書かれています。
糟谷孝幸君は「…ぜひ、11.13に何か佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」と日記に残して、11月13日大阪扇町の闘いに参加し、果敢に闘い、 機動隊の暴力により虐殺されたのでした。
あれから50年が経過しました。
4月、岡山・大阪の有志が集まり、糟谷孝幸君虐殺50周年について話し合いました。
そこで、『1969糟谷孝幸50周年プロジェクト(略称:糟谷プロジェクト)』を発足させ、 三つの事業を実現していきたいと確認しました。
① 糟谷孝幸君の50周年の集いを開催する。
② 1年後の2020年11月までに、公的記録として本を出版する。
③そのために基金を募る。(1口3,000円、何口でも結構です)
(正式口座開設までの振込先:みずほ銀行岡山支店 口座番号:1172489 名義:山田雅美)
残念ながら糟谷孝幸君のまとまった記録がありません。当時の若者も70歳代になりました。今やらなければもうできそうにありません。うすれる記憶を、あちこちにある記録を集め、まとめ、当時の状況も含め、本の出版で多 くの人に知ってもらいたい。そんな思いを強くしました。
70年安保 ー69秋期政治決戦を闘ったみなさん
糟谷君を知っているみなさん
糟谷君を知らなくてもその気持に連帯するみなさん
「糟谷孝幸プロジェクト」に参加して下さい。
呼びかけ人・賛同人になってください。できることがあれば提案して下さい。手伝って下 さい。よろしくお願いします。 2019年8月
●糟谷プロジェクト 呼びかけ人・賛同人になってください
呼びかけ人 ・ 賛同人 (いずれかに○で囲んでください)
氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
呼びかけ人 ・ 賛同人 (いずれかに○で囲んでください)
氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
<管理人注>
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/1365465.html
【お知らせ その3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は11月22日(金)に更新予定です。