今回のブログは、久しぶりに全国学園闘争の記録として関西学院大学闘争を取り上げる。
関西学院大学のホームページによると、歴史は古く、1889年に神戸に神学部と普通学部を持つ「関西学院」として創設され、1932年に「関西学院大学」として設立されたキリスト教系の大学である。「かんせいがくいん」と読む。昨年の日大アメフト部問題で関西学院大学の名前もマスコミに頻繁に登場したのでご存知の方も多いと思う。

手元に「関学闘争の記録」(関西学院大学全学共闘会議出版局発行)という冊子がある。この冊子と当時の新聞記事を中心に、何回かに分けて関西学院大学闘争の経過とその内容について掲載していきたい。
まず、この冊子に掲載された「闘争日誌」を見てみよう。
まず、この冊子に掲載された「闘争日誌」を見てみよう。
【闘争日誌】(関学闘争の記録より)
67・9・8 小泉財務部長、関学新聞と会見し「学費値上げはすでに内定している」と言明。
10・31 「学費値上げ阻止」全学共闘会議結成さる。
67・9・8 小泉財務部長、関学新聞と会見し「学費値上げはすでに内定している」と言明。
10・31 「学費値上げ阻止」全学共闘会議結成さる。
11・22 学院当局、抜き打ち的に臨時常務会を開き、同夜全共闘に対し現行学費(67年度当時)の5割アップと43、44年度連続学費値上げを一方的に通告。
12・7 緊急理事会が早朝に開かれ、11・22の常務会案通り5割アップが決定さる。
12・16 各学部闘争委、スト権確立投票を行い、法学部の拠点ストを皮切りに、社、文、商の3学部も無期限ストに突入。経は民青系執行部のためスト権確立せず、戦線脱落。
68・ 1・17 右翼、体育会系学生の組織動員により、商、学生大会で「バリケード撤去」決議され、続いて文、一法もバリケード解除。社は、後日に持ち越す。
1・22 社教授会、社・自治会に対し「自治能力なし」と決めつけ、解散命令で弾圧。
1・27 社・学生大会で「後期試験ボイコット、闘争の継続」を決議。
2・26 社・学生大会、「バリケード解除」を決議し、実質的に闘争は終焉。
3・23 法、社、商、文の教授会、26名にもおよぷ大量不当処分(退学11名、無期停学8名、停学7名)を発表。
3・28 卒業式当日、棍棒とヘルメットに身を固めた全共闘武装部隊70人、学院本部に突入。昼休み中の院長、学長に処分撤回を迫るが、教授達が右翼体育会系学生150を扇動し、攻撃を仕かけ、投石戦続く。学長、「生命に危険がある」とし、5時すぎ、兵庫県警に機動隊導入を要請。
4・9 兵庫県警、証拠物件押収のため、再び学内に乱入。中田全共闘議長ら9名の学友を、下宿先などで不当逮捕。長期勾留。
5・22 法、処分解除。以後、文の一部、商も処分解除。
6・26 全学総会開かれ、「教授会決定の処分は認めない。応援団の解散要求」決議さる。
9・26 3・28・闘争の第1回公判開かる。法廷内に公安刑事2名が潜入していることが判明し、学友100人はこれを実力で排除、「不当起訴弾該、官憲の不当弾圧粉砕」をシュプレヒコール。
10・21 国際反戦デー。法、文で1日スト。社では4日間のバリケードスト。
11・29 全学執行委員会、学院当局に対して「公開質問状」を出す。これは、学費値上げ、機動隊導入理由など8項目に対する当局の見解を問うたもので、6項目要求の土台となるもの。
12.12 全共闘準備会30人、理事会の行なわれている新阪急ホテルになだれ込み大衆会見を要求するが、古武学長「大学に団交の場はない」と突っぱねる。
12.19 法、文、社で6項目要求(①43 ・44連続学費値上げ白紙撤回 ②不当処分白紙撤回 ③機動隊導入、捜査協力自己批判 ④文学部学科制改編白紙撤回 ⑤学生会館の管理運営権を学生の手に ⑥以上を大衆団交の場で文書でもって確約し、責任者は引責辞職せよ)の1日スト。
文で教授会会見。東山学部長、対教授会団交を開くとの確認書と、10・ 21反戦闘争を弾圧した自己批判書に署名、捺印。
12.23 文教授会、東山学部長の確認書と自己批判書を反古にしたため、文闘委1日封鎖行なう。
全共闘会議が、夜開かれ、学院本部封鎖が提起されたが、意志一致できず流れる。
69.1.6 全共闘会議で、第5別館封鎖派(社闘、フロント、社学同、人民先鋒隊)と反対派(反帝学評、学生解放戦線)に分かれる。
1.7 第5別館実力封鎖。全共闘(社闘、フロント、杜学同、人民先鋒隊)30人、6項目要求貫徹、全学スト体制の構築めざす。この日から右翼の攻撃に備え、ゲバルト訓練始まる。反帝学評、学生解放戦線派は 「ショック戦術だ」と封鎖に批判、クラス、サークル末端からの組織化めざす。
1.10 学長、退去命令発す。「封鎖は大学の自治を根底から破壊する行為だ。ただちにこの不法行為をやめよ。いまからでもおそくない。すぐ退去して第5別館を正常な状態にもどすことを命じる」
全学執行委員会(反帝学評系)、学院当局に6項目要求に関する対理事会団交を要求。
1.11 法でスト権確立投票始まる。
1.17 学院本部実力封鎖。全共闘(社闘、社学同、フロント、人民先鉾隊)60人、未明に机、イスでバリケード築く。
学院当局、「第5別館、本部の建物の封鎖が続く限り、大衆団交に応じることができない」と回答。
1.18 l法、無期限ストに突入。この頃サークル闘争委結成され、以後講演会活動やすわり込み運動を展開。
1.21 文闘委、教授会に大衆団交求め、昨年12月東山学部長が署名、捺印した10 ・21反戦闘争弾圧の自己批判書と大衆団交開催するとの確認を反古にした理由を追求するが、教授会「何も答える必要ない」と突っぱねる。
1.24 全学集会開かる。これは学院当局提唱による、第1回目の収拾策動で あったが、全共闘ヘルメット部隊150入が介入、大衆団交に切り変える。しかし、院長、学長は一切の釈明をしないばかりか、その場から逃亡を図り、一般学生6、000人の怒りを買った。
その後、2、000人の学内大デモを展開。右翼学生職員なぐりかかり、20数名重軽傷。
この頃から全学1連協、体育会有志連合、キリスト者反戦連合が、活発に動き出す。
1.25 商、スト権確立投票開始。 --
1.26 社闘実力部隊30人、未明に、社会学部校舎を、実力封鎖。
1.27 神、無期限ストライキに突入。経済学部集会開かる。
右翼学生に守られた教授、大衆団交に切り変るや逃亡。新川執行部、これと同時に「闘争の責任負うことできない」と解散声明。以後、経執行部不在。
1.28 全共闘(社闘、フロント、社学同、人民先鉾隊)200、深夜に文学部校舎にバリケード築く。
1.29 文に引き続き、未明、経も実力封鎖。これで理を除く全学部で封鎖体制を確立し、当日から始まる予定であった後期試験すべてが無期延期となった。
1.30 商学部でスト反対派の右翼学生ら執行部の解散求めるリコール運動始める。
1.31 対理事会、常務会団交に向けての予備折衝ははじめるが、団交開催の 条件をめぐって決裂。
2.4 全共闘「入試実力粉砕」の方針打出し、泊り込み強化。これに対し武田教務部長、「全共闘側の武装阻止にも素手で立向う」と言明し入試会場は体育館と中等部、高等部校舎を使用することに決定さる。
2.6 全共闘武装部隊80人、学院当局に雇われた右翼学生200が看守する体育館を未明に火炎ピンと投石で攻撃し、右翼学生を完全に粉砕。院長は、5時10分に機動隊導入を要請。早朝から「入試粉砕、闘争勝利」のシュプレヒコールで学内を武装デモ。午後1時、機動隊500、正門前に待機し、その場で、松田政男氏の講演を聞いていたサークル闘、全学1連協、キリスト者反戦連合の学友300人と対峙。午後2時機動隊、試験場防衛のため、体育館、中等部、高等部に配置さる。学生会館前で、2、000人の学友、機動隊導入に反発し、徹夜ですわり込む。
2.7 経済学部入試始まる。午前8時20分、棍棒とヘルメットで身を固めた全共闘80人、機動隊に突入。
7名が不当逮捕さる。引き続き、入試終了直後、再び機動隊と激突。すわり込み部隊500人に減る。入試実現派300グランドでデモ。
2.8 商学部入試。全共闘、第5別館と法学部のバリケードを強化し、機動隊の強制解除に備える。
2.9 第5別館を除く全校舎バリケード、機動隊2、500によって強制解除さる。 早暁、兵庫県警は大阪府警の助けも借り、第5別館と法学部校舎にたてこもる学友48人を、ガス銃と放水で攻撃。法学部は、午前9時半に解除されるが、第5別館死守部隊35人は、徹夜でこれに応戦し、そこにかけつけたデモ隊2、000人と熱い蓮帯を交わす。法、全員逮捕さる。
2.10 30時間にわたって闘い抜いた、第5別館死守部隊35人、午前11時50分、ガス銃、ヘリコプター、消防車などの権力側の武器に屈す。警棒で乱打され、催涙ガス液を浴び、屋上から階下へひきずりおろされたりしたため、全員が、火傷、打撲傷を負い重傷。
2.12 「全関西労学関学奪還総決起集会」に3、000人。午後3時すぎ、正門近くの上ケ原派出所を投石で襲撃。3人が不当逮捕さる。
2.14 機動隊常駐解かる。入試全学部とも終了。
2.15 全共闘、「機動隊導入による強権的闘争圧殺」に抗議して、法、文、商、社、経、神の学部校舎を再封鎖。サークル闘も、学館を占拠し泊り込む。学院側、「ロックアウト」を宣告。
2.17 県警、被逮捕者の自宅、下宿など22か所を強制捜査。
2.18 学院本部再封鎖。
2.19 同窓会館を封鎖。
2.21 第1教授研究館、同別館、第2教授研究館の3建物をバリケード封鎖。キリスト者反戦連合も、宗教センターとランバスチャペルの自主管理に入る。
学院側、26、27日に「全学集会」を開催する旨を、全学生に文書で配布。
2.26 全学集会粉砕総決起集会に500人。前日深夜、会場にあてられていた新グランドに当局が張りめぐらした柵を、全共闘武装部隊100人で破壊し、当日は早朝から武装デモ。小宮院長、正午すぎに姿を現わし追求集会に切り変える。院長は、「機動隊の暴力は、法の名によって認める。入試は、社会的責任上実施した」と強硬に言い張る。その後、場を中央講堂に移し、再び追求するが堂々めぐり。
2.27 前日に引き続き追求集会。院長、教授と右翼学生を動員して居直る。5日に対理事会大衆団交を開催することを確約し、解散。
3.1 全共闘50人、京大入試粉砕闘争に出撃。
3.3 小宮院長と26評議員全員が辞任。辞任理由は「健康上重責に耐えることができない。」とされていたが、実質には確認書を反古にするための闘争分断工作。
全共闘30人、神大入試粉砕闘争へ。
3.5 全共闘500人、「大衆団交破棄に対する学院当局弾劾集会」を開いた後、図書館、産業研究所、正門守衛室を封鎖し、卒業、後期試験などによる一切の収拾策動粉砕を決議。
3.7 法、教授会大衆団交開かる。教授会、「昨年の処分を白紙撤回し、今後一切の処分権を放棄する」という自己批判書に署名、捺印。
3.10 理学部実力封鎖。理闘委、教授会に対して「学院の入試強行に協力した」など6項目の自己批判を求める大衆団交を要求してきたが、教授会が、これを拒否したため。これで7学部全部を封鎖し、中央講堂、体育館だけを残すことになった。
3.11 教職員組合は職員集会を開き「関西学院の非常事態に際し全教職員に訴える」との大学への要望を採択。
3.13 社、卒業試験に、全共闘50人「試験ボイコット」のデモ。機動隊50待機。(神戸YMCA)
革新評議会学生ら、大阪駅前で「全関学人は紛争解決のため、立ち上がれ」と訴え、48時間のハンストに入る。
3.14 経、卒業試験。(大阪予備校)
この頃から、革新評議会、民主化行動委員会、法学部有志連合など右翼諸団体の組織化進む。
3.17 革新評議会による「事態収拾」集会開かる。全共闘60人、介入し、右翼学生250を追い散らす。
経教授会、全共闘を支持する松下昇講師に、4月からの契約更新をしない ことを一方的に決定。松下講師、これに対して「関学闘争で大学側が機動隊を学内に導入したことについて大学側は自己批判すべきなのに、それをせず、大学側の態度を批判してきた私をやめさせるのは教育者としても絶対許せない。私はどんなことがあってもやめない。一人でたたかう。」(3・18朝日新聞)と語る。
大学評議会、28日の卒業式中止を決定。
3.19 学長代行に小寺武四郎教授決定。「早急に新執行部を決めて正常化のために努力する」と抱負を語り、「廃校か否か」のアンケートを全学生に配布。「学内正常化のため」の商学部集会、200を集めて大阪プールで開かる。
3.22 学長代理代行に城崎進教授就任し新執行部出そろう。
3.23 「学院正常化、全関学人総決起集会」開かれ、学内右翼諸団体、体育会系学生、教授、職員、父兄、OBなど1、200が結集。体育会系学生ら、プラカードを持って、集会を防衛。全共闘150人「右翼粉砕、封鎖貫徹」をシュプレヒコールし、これと対峙。午後3時になると、右翼学生200が、正門バリケード解除にとりかかったため、全共闘武装部隊、これらを完全に粉砕。機動隊200が出動。以後、右翼学生の組織化進まず。
3.28 「卒業ボイコット、6項目要求貫徹、中政審答申粉砕全学総決起集会」開かる。
3.29 小寺学長代行、退去命令出す。
3.31 小寺学長代行、再び退去命令出す。
4.1 休校処置(ロックアウト)解かれる。
4.5 「入学式粉砕、6項目要求貫徹、中教審答申粉砕」集会開かる。機動隊300、正門前周辺で待機。
学院当局、「新しい大学の創造にむかって」の第2回目のアンケートを全学院生に配布。
4.12 新入生歓迎総決起集会。約100名参加。
4.13 松下講師講演。第5別館屋上で文闘委の情況劇。
4.15 理、学外試験中止。レポート形成に切り変わる。他の学部もレポート形式による後期試験実施さる。
4.18 経済学部新入生オリエンテーション。大阪府警機動隊100、大阪城周辺で警戒。全共闘30人が、阻止行動。
4.26 「安保粉砕、沖縄闘争勝利」の国際反戦闘争。京都、神戸、東京で闘わる。全共闘100人これに参加。
4.27 社、学外試験が、機動隊100、と右翼学生に守られ、三田市の湊川女子短大で行わる。全共闘50人、試験場に押しかけるが、阻止できず。
4.28 「首都制圧」沖縄闘争。東京、大阪など20万人が決起し、機動隊と激突。銀座、渋谷に「解放区」。関学全共闘からも東京派遣20人。
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以上が闘争経過である。
12・7 緊急理事会が早朝に開かれ、11・22の常務会案通り5割アップが決定さる。
12・16 各学部闘争委、スト権確立投票を行い、法学部の拠点ストを皮切りに、社、文、商の3学部も無期限ストに突入。経は民青系執行部のためスト権確立せず、戦線脱落。
68・ 1・17 右翼、体育会系学生の組織動員により、商、学生大会で「バリケード撤去」決議され、続いて文、一法もバリケード解除。社は、後日に持ち越す。
1・22 社教授会、社・自治会に対し「自治能力なし」と決めつけ、解散命令で弾圧。
1・27 社・学生大会で「後期試験ボイコット、闘争の継続」を決議。
2・26 社・学生大会、「バリケード解除」を決議し、実質的に闘争は終焉。
3・23 法、社、商、文の教授会、26名にもおよぷ大量不当処分(退学11名、無期停学8名、停学7名)を発表。
3・28 卒業式当日、棍棒とヘルメットに身を固めた全共闘武装部隊70人、学院本部に突入。昼休み中の院長、学長に処分撤回を迫るが、教授達が右翼体育会系学生150を扇動し、攻撃を仕かけ、投石戦続く。学長、「生命に危険がある」とし、5時すぎ、兵庫県警に機動隊導入を要請。
4・9 兵庫県警、証拠物件押収のため、再び学内に乱入。中田全共闘議長ら9名の学友を、下宿先などで不当逮捕。長期勾留。
5・22 法、処分解除。以後、文の一部、商も処分解除。
6・26 全学総会開かれ、「教授会決定の処分は認めない。応援団の解散要求」決議さる。
9・26 3・28・闘争の第1回公判開かる。法廷内に公安刑事2名が潜入していることが判明し、学友100人はこれを実力で排除、「不当起訴弾該、官憲の不当弾圧粉砕」をシュプレヒコール。
10・21 国際反戦デー。法、文で1日スト。社では4日間のバリケードスト。
11・29 全学執行委員会、学院当局に対して「公開質問状」を出す。これは、学費値上げ、機動隊導入理由など8項目に対する当局の見解を問うたもので、6項目要求の土台となるもの。
12.12 全共闘準備会30人、理事会の行なわれている新阪急ホテルになだれ込み大衆会見を要求するが、古武学長「大学に団交の場はない」と突っぱねる。
12.19 法、文、社で6項目要求(①43 ・44連続学費値上げ白紙撤回 ②不当処分白紙撤回 ③機動隊導入、捜査協力自己批判 ④文学部学科制改編白紙撤回 ⑤学生会館の管理運営権を学生の手に ⑥以上を大衆団交の場で文書でもって確約し、責任者は引責辞職せよ)の1日スト。
文で教授会会見。東山学部長、対教授会団交を開くとの確認書と、10・ 21反戦闘争を弾圧した自己批判書に署名、捺印。
12.23 文教授会、東山学部長の確認書と自己批判書を反古にしたため、文闘委1日封鎖行なう。
全共闘会議が、夜開かれ、学院本部封鎖が提起されたが、意志一致できず流れる。
69.1.6 全共闘会議で、第5別館封鎖派(社闘、フロント、社学同、人民先鋒隊)と反対派(反帝学評、学生解放戦線)に分かれる。
1.7 第5別館実力封鎖。全共闘(社闘、フロント、杜学同、人民先鋒隊)30人、6項目要求貫徹、全学スト体制の構築めざす。この日から右翼の攻撃に備え、ゲバルト訓練始まる。反帝学評、学生解放戦線派は 「ショック戦術だ」と封鎖に批判、クラス、サークル末端からの組織化めざす。
1.10 学長、退去命令発す。「封鎖は大学の自治を根底から破壊する行為だ。ただちにこの不法行為をやめよ。いまからでもおそくない。すぐ退去して第5別館を正常な状態にもどすことを命じる」
全学執行委員会(反帝学評系)、学院当局に6項目要求に関する対理事会団交を要求。
1.11 法でスト権確立投票始まる。
1.17 学院本部実力封鎖。全共闘(社闘、社学同、フロント、人民先鉾隊)60人、未明に机、イスでバリケード築く。
学院当局、「第5別館、本部の建物の封鎖が続く限り、大衆団交に応じることができない」と回答。
1.18 l法、無期限ストに突入。この頃サークル闘争委結成され、以後講演会活動やすわり込み運動を展開。
1.21 文闘委、教授会に大衆団交求め、昨年12月東山学部長が署名、捺印した10 ・21反戦闘争弾圧の自己批判書と大衆団交開催するとの確認を反古にした理由を追求するが、教授会「何も答える必要ない」と突っぱねる。
1.24 全学集会開かる。これは学院当局提唱による、第1回目の収拾策動で あったが、全共闘ヘルメット部隊150入が介入、大衆団交に切り変える。しかし、院長、学長は一切の釈明をしないばかりか、その場から逃亡を図り、一般学生6、000人の怒りを買った。
その後、2、000人の学内大デモを展開。右翼学生職員なぐりかかり、20数名重軽傷。
この頃から全学1連協、体育会有志連合、キリスト者反戦連合が、活発に動き出す。
1.25 商、スト権確立投票開始。 --
1.26 社闘実力部隊30人、未明に、社会学部校舎を、実力封鎖。
1.27 神、無期限ストライキに突入。経済学部集会開かる。
右翼学生に守られた教授、大衆団交に切り変るや逃亡。新川執行部、これと同時に「闘争の責任負うことできない」と解散声明。以後、経執行部不在。
1.28 全共闘(社闘、フロント、社学同、人民先鉾隊)200、深夜に文学部校舎にバリケード築く。
1.29 文に引き続き、未明、経も実力封鎖。これで理を除く全学部で封鎖体制を確立し、当日から始まる予定であった後期試験すべてが無期延期となった。
1.30 商学部でスト反対派の右翼学生ら執行部の解散求めるリコール運動始める。
1.31 対理事会、常務会団交に向けての予備折衝ははじめるが、団交開催の 条件をめぐって決裂。
2.4 全共闘「入試実力粉砕」の方針打出し、泊り込み強化。これに対し武田教務部長、「全共闘側の武装阻止にも素手で立向う」と言明し入試会場は体育館と中等部、高等部校舎を使用することに決定さる。
2.6 全共闘武装部隊80人、学院当局に雇われた右翼学生200が看守する体育館を未明に火炎ピンと投石で攻撃し、右翼学生を完全に粉砕。院長は、5時10分に機動隊導入を要請。早朝から「入試粉砕、闘争勝利」のシュプレヒコールで学内を武装デモ。午後1時、機動隊500、正門前に待機し、その場で、松田政男氏の講演を聞いていたサークル闘、全学1連協、キリスト者反戦連合の学友300人と対峙。午後2時機動隊、試験場防衛のため、体育館、中等部、高等部に配置さる。学生会館前で、2、000人の学友、機動隊導入に反発し、徹夜ですわり込む。
2.7 経済学部入試始まる。午前8時20分、棍棒とヘルメットで身を固めた全共闘80人、機動隊に突入。
7名が不当逮捕さる。引き続き、入試終了直後、再び機動隊と激突。すわり込み部隊500人に減る。入試実現派300グランドでデモ。
2.8 商学部入試。全共闘、第5別館と法学部のバリケードを強化し、機動隊の強制解除に備える。
2.9 第5別館を除く全校舎バリケード、機動隊2、500によって強制解除さる。 早暁、兵庫県警は大阪府警の助けも借り、第5別館と法学部校舎にたてこもる学友48人を、ガス銃と放水で攻撃。法学部は、午前9時半に解除されるが、第5別館死守部隊35人は、徹夜でこれに応戦し、そこにかけつけたデモ隊2、000人と熱い蓮帯を交わす。法、全員逮捕さる。
2.10 30時間にわたって闘い抜いた、第5別館死守部隊35人、午前11時50分、ガス銃、ヘリコプター、消防車などの権力側の武器に屈す。警棒で乱打され、催涙ガス液を浴び、屋上から階下へひきずりおろされたりしたため、全員が、火傷、打撲傷を負い重傷。
2.12 「全関西労学関学奪還総決起集会」に3、000人。午後3時すぎ、正門近くの上ケ原派出所を投石で襲撃。3人が不当逮捕さる。
2.14 機動隊常駐解かる。入試全学部とも終了。
2.15 全共闘、「機動隊導入による強権的闘争圧殺」に抗議して、法、文、商、社、経、神の学部校舎を再封鎖。サークル闘も、学館を占拠し泊り込む。学院側、「ロックアウト」を宣告。
2.17 県警、被逮捕者の自宅、下宿など22か所を強制捜査。
2.18 学院本部再封鎖。
2.19 同窓会館を封鎖。
2.21 第1教授研究館、同別館、第2教授研究館の3建物をバリケード封鎖。キリスト者反戦連合も、宗教センターとランバスチャペルの自主管理に入る。
学院側、26、27日に「全学集会」を開催する旨を、全学生に文書で配布。
2.26 全学集会粉砕総決起集会に500人。前日深夜、会場にあてられていた新グランドに当局が張りめぐらした柵を、全共闘武装部隊100人で破壊し、当日は早朝から武装デモ。小宮院長、正午すぎに姿を現わし追求集会に切り変える。院長は、「機動隊の暴力は、法の名によって認める。入試は、社会的責任上実施した」と強硬に言い張る。その後、場を中央講堂に移し、再び追求するが堂々めぐり。
2.27 前日に引き続き追求集会。院長、教授と右翼学生を動員して居直る。5日に対理事会大衆団交を開催することを確約し、解散。
3.1 全共闘50人、京大入試粉砕闘争に出撃。
3.3 小宮院長と26評議員全員が辞任。辞任理由は「健康上重責に耐えることができない。」とされていたが、実質には確認書を反古にするための闘争分断工作。
全共闘30人、神大入試粉砕闘争へ。
3.5 全共闘500人、「大衆団交破棄に対する学院当局弾劾集会」を開いた後、図書館、産業研究所、正門守衛室を封鎖し、卒業、後期試験などによる一切の収拾策動粉砕を決議。
3.7 法、教授会大衆団交開かる。教授会、「昨年の処分を白紙撤回し、今後一切の処分権を放棄する」という自己批判書に署名、捺印。
3.10 理学部実力封鎖。理闘委、教授会に対して「学院の入試強行に協力した」など6項目の自己批判を求める大衆団交を要求してきたが、教授会が、これを拒否したため。これで7学部全部を封鎖し、中央講堂、体育館だけを残すことになった。
3.11 教職員組合は職員集会を開き「関西学院の非常事態に際し全教職員に訴える」との大学への要望を採択。
3.13 社、卒業試験に、全共闘50人「試験ボイコット」のデモ。機動隊50待機。(神戸YMCA)
革新評議会学生ら、大阪駅前で「全関学人は紛争解決のため、立ち上がれ」と訴え、48時間のハンストに入る。
3.14 経、卒業試験。(大阪予備校)
この頃から、革新評議会、民主化行動委員会、法学部有志連合など右翼諸団体の組織化進む。
3.17 革新評議会による「事態収拾」集会開かる。全共闘60人、介入し、右翼学生250を追い散らす。
経教授会、全共闘を支持する松下昇講師に、4月からの契約更新をしない ことを一方的に決定。松下講師、これに対して「関学闘争で大学側が機動隊を学内に導入したことについて大学側は自己批判すべきなのに、それをせず、大学側の態度を批判してきた私をやめさせるのは教育者としても絶対許せない。私はどんなことがあってもやめない。一人でたたかう。」(3・18朝日新聞)と語る。
大学評議会、28日の卒業式中止を決定。
3.19 学長代行に小寺武四郎教授決定。「早急に新執行部を決めて正常化のために努力する」と抱負を語り、「廃校か否か」のアンケートを全学生に配布。「学内正常化のため」の商学部集会、200を集めて大阪プールで開かる。
3.22 学長代理代行に城崎進教授就任し新執行部出そろう。
3.23 「学院正常化、全関学人総決起集会」開かれ、学内右翼諸団体、体育会系学生、教授、職員、父兄、OBなど1、200が結集。体育会系学生ら、プラカードを持って、集会を防衛。全共闘150人「右翼粉砕、封鎖貫徹」をシュプレヒコールし、これと対峙。午後3時になると、右翼学生200が、正門バリケード解除にとりかかったため、全共闘武装部隊、これらを完全に粉砕。機動隊200が出動。以後、右翼学生の組織化進まず。
3.28 「卒業ボイコット、6項目要求貫徹、中政審答申粉砕全学総決起集会」開かる。
3.29 小寺学長代行、退去命令出す。
3.31 小寺学長代行、再び退去命令出す。
4.1 休校処置(ロックアウト)解かれる。
4.5 「入学式粉砕、6項目要求貫徹、中教審答申粉砕」集会開かる。機動隊300、正門前周辺で待機。
学院当局、「新しい大学の創造にむかって」の第2回目のアンケートを全学院生に配布。
4.12 新入生歓迎総決起集会。約100名参加。
4.13 松下講師講演。第5別館屋上で文闘委の情況劇。
4.15 理、学外試験中止。レポート形成に切り変わる。他の学部もレポート形式による後期試験実施さる。
4.18 経済学部新入生オリエンテーション。大阪府警機動隊100、大阪城周辺で警戒。全共闘30人が、阻止行動。
4.26 「安保粉砕、沖縄闘争勝利」の国際反戦闘争。京都、神戸、東京で闘わる。全共闘100人これに参加。
4.27 社、学外試験が、機動隊100、と右翼学生に守られ、三田市の湊川女子短大で行わる。全共闘50人、試験場に押しかけるが、阻止できず。
4.28 「首都制圧」沖縄闘争。東京、大阪など20万人が決起し、機動隊と激突。銀座、渋谷に「解放区」。関学全共闘からも東京派遣20人。
’
以上が闘争経過である。
今回は、「関学闘争の記録」の中から、1969年1月24日の「全学集会」までの部分を掲載する。
【「関学闘争の記録」(関西学院大学全学共闘会議出版局)】
闘う戦列のなかにも
われわれが粉砕せねばならないものがしのびこんでいることを
まず知ることが闘いの出発点だ!
闘う戦列のなかにも
われわれが粉砕せねばならないものがしのびこんでいることを
まず知ることが闘いの出発点だ!


<アノトキ オマエハ
コトバトイウ コトバヲ
ウシナッタニモカカワラズ
イマサラ ナニヲ
カタラントスルノカ………〉
コトバトイウ コトバヲ
ウシナッタニモカカワラズ
イマサラ ナニヲ
カタラントスルノカ………〉
言葉という言葉のコミュニケーションが
かぎりなくディスコミュニケーションに
風化するこの砂礫地方の帯の中
存在の立脚する机と椅子で
なによりもまずバリケードを演じ
対他化され 先取りされた イマジネールの僕自身の存在そのものを
スクリーンに カンバスに 原稿に誕生する創造作業でもって
政治現実に向って語り始めた
十年前 夜鷹の参の星 死と突然輝き
さらなる夜への歩みの予言者の予言は
呪縛のように拠点への照準を現在に定めよ
砂礫の中 足音は 今の重い拒絶〈否〉 単調の連なり 峻絶なる黒い行為の渇きから
内なる情念のオアシスヘ羞恥で泉を掘る存在と運動の引き裂かれた<被害者〉
独身者の蒼ざめた清純なるヘンズリの定期日常と完全に訣別せよ
喫茶店で珈琲に砂糖二杯の恋人をゲバれ
泣くなよい子だねんねしなのかあちゃんをゲバれ
外なる近代 内なる封建 中和されたアカディミズム教師をゲバれ
彼と我の全体への〈否〉で 日常を切る
この「やさしさ」の中 峻然と今蘇生せよ
永続の学生への門を自らの手で押し開け
〈被害〉と<加害〉が内なる青いまっさおなオアシスの中<羞恥〉を仲人して 結婚する
国家の幻の外 おおくの自由を体現する投企者の この不安と喜びそのものは
世界との恋愛関係そのものではないか!
演ぜられたバリケードは 今 硬さ 確かさ 実感そのものの現実のバリケード それは僕だ
僕はバリケードだ
とぶな とび立つな 飛翔するな
立脚にまず立て ここにまず立て 永続に向けてまず立て その限りに
どこへでも いつでも飛び立てる
さらなる夜への自立した生の参の星は
今 ここに輝いている 言葉だ
かぎりなくディスコミュニケーションに
風化するこの砂礫地方の帯の中
存在の立脚する机と椅子で
なによりもまずバリケードを演じ
対他化され 先取りされた イマジネールの僕自身の存在そのものを
スクリーンに カンバスに 原稿に誕生する創造作業でもって
政治現実に向って語り始めた
十年前 夜鷹の参の星 死と突然輝き
さらなる夜への歩みの予言者の予言は
呪縛のように拠点への照準を現在に定めよ
砂礫の中 足音は 今の重い拒絶〈否〉 単調の連なり 峻絶なる黒い行為の渇きから
内なる情念のオアシスヘ羞恥で泉を掘る存在と運動の引き裂かれた<被害者〉
独身者の蒼ざめた清純なるヘンズリの定期日常と完全に訣別せよ
喫茶店で珈琲に砂糖二杯の恋人をゲバれ
泣くなよい子だねんねしなのかあちゃんをゲバれ
外なる近代 内なる封建 中和されたアカディミズム教師をゲバれ
彼と我の全体への〈否〉で 日常を切る
この「やさしさ」の中 峻然と今蘇生せよ
永続の学生への門を自らの手で押し開け
〈被害〉と<加害〉が内なる青いまっさおなオアシスの中<羞恥〉を仲人して 結婚する
国家の幻の外 おおくの自由を体現する投企者の この不安と喜びそのものは
世界との恋愛関係そのものではないか!
演ぜられたバリケードは 今 硬さ 確かさ 実感そのものの現実のバリケード それは僕だ
僕はバリケードだ
とぶな とび立つな 飛翔するな
立脚にまず立て ここにまず立て 永続に向けてまず立て その限りに
どこへでも いつでも飛び立てる
さらなる夜への自立した生の参の星は
今 ここに輝いている 言葉だ
<'69 1・7 第5別館実力封鎖!>
10・8羽田を起点とした日本の状況が“新しい政治の季節の到来”を告げ知らせたのと同様、われわれもまた虚飾の“自由”と“平和”に色彩られた関学の地に“内なる羽田”を打ちたてねばならなかった。
牧歌的風土の中に埋没し、資本の餌となってきた関学の全歴史に対するわれわれの闘いは、1月7日の第5別館実力封鎖でついにロ火を切ったのだ。だが、そこまでに至る過程の中で、われわれは、数かぎりない裏切りや苦汁をなめなければならなかった。われわれの闘いの前史は、41年秋の「薬学部新設、父兄会費値上げ案」反対闘争に始まる。マスプロ教育の御多聞にもれず、関学もその例外ではなく「水増し入学、教室不足」か甚しく、年度の初めには「立ちんぼ授業」が続出し、悪らつな勉学条伴のもとに放置されていた学生の不満が、「既存学部充実せよ」のスローガンのもとに一挙に爆発する。だが、学院当局は「薬学部新設、父兄会費値上げ案」をあっけなく白紙撤回し、決定的な政策転換を成し遂げた。
あにはからんや、その次の年度には、われわれの闘いを逆手に先取りした形で学院当局は「既存学部充実のため」と銘を打って43、44年度連続学費大幅値上げを打ち出す。彼らの意図は設備拡大→マスプロ教育による安価で大量の労働力商品の育成にあったのではなくて、設備充実→ミニプロ教育のもとに「心に日の丸、手には技術をもった」資本にとってはより優秀な排外主義的労働力商品の育成を手がけはじめたのだ。これに対するわれわれの闘いは、学費大幅5割アップと非民主的決定という学院当局の暴挙に対する怒りに支えられ、水ぶくれ状態のうちに進行し、法、社、文、商の四学部で続々とストライキ突入をかちとるのである。だかしかし、われわれの打倒すべき主要な対象は決して学院当局の政策でも、反動的教授でもなく、まさに“平和”と“自由”に訓化されてきた自己自身であるという教訓を闘いのなかで知ったのは、後期試験を直前に続々とバリケードが解除されていった時のことであった。右翼の個人テロが横行し、学院当局は居なおりを開始し、ストライキを支持していた学生か脱落していったように、まさに闘いの極限状況の中で、人はそれぞれの本性をむき出すものである。
………長い沈黙の後、第5別館実力封鎖は、これら総体に対する“ノン”を軸に展開されていく……。
10・8羽田を起点とした日本の状況が“新しい政治の季節の到来”を告げ知らせたのと同様、われわれもまた虚飾の“自由”と“平和”に色彩られた関学の地に“内なる羽田”を打ちたてねばならなかった。
牧歌的風土の中に埋没し、資本の餌となってきた関学の全歴史に対するわれわれの闘いは、1月7日の第5別館実力封鎖でついにロ火を切ったのだ。だが、そこまでに至る過程の中で、われわれは、数かぎりない裏切りや苦汁をなめなければならなかった。われわれの闘いの前史は、41年秋の「薬学部新設、父兄会費値上げ案」反対闘争に始まる。マスプロ教育の御多聞にもれず、関学もその例外ではなく「水増し入学、教室不足」か甚しく、年度の初めには「立ちんぼ授業」が続出し、悪らつな勉学条伴のもとに放置されていた学生の不満が、「既存学部充実せよ」のスローガンのもとに一挙に爆発する。だが、学院当局は「薬学部新設、父兄会費値上げ案」をあっけなく白紙撤回し、決定的な政策転換を成し遂げた。
あにはからんや、その次の年度には、われわれの闘いを逆手に先取りした形で学院当局は「既存学部充実のため」と銘を打って43、44年度連続学費大幅値上げを打ち出す。彼らの意図は設備拡大→マスプロ教育による安価で大量の労働力商品の育成にあったのではなくて、設備充実→ミニプロ教育のもとに「心に日の丸、手には技術をもった」資本にとってはより優秀な排外主義的労働力商品の育成を手がけはじめたのだ。これに対するわれわれの闘いは、学費大幅5割アップと非民主的決定という学院当局の暴挙に対する怒りに支えられ、水ぶくれ状態のうちに進行し、法、社、文、商の四学部で続々とストライキ突入をかちとるのである。だかしかし、われわれの打倒すべき主要な対象は決して学院当局の政策でも、反動的教授でもなく、まさに“平和”と“自由”に訓化されてきた自己自身であるという教訓を闘いのなかで知ったのは、後期試験を直前に続々とバリケードが解除されていった時のことであった。右翼の個人テロが横行し、学院当局は居なおりを開始し、ストライキを支持していた学生か脱落していったように、まさに闘いの極限状況の中で、人はそれぞれの本性をむき出すものである。
………長い沈黙の後、第5別館実力封鎖は、これら総体に対する“ノン”を軸に展開されていく……。

<1・24全学集会>

マスプロの拠点である第5別館封鎖に始まる6項目要求闘争は、1月24日、沈黙を守り続けた学院当局と後期試験に流れる大衆を登場させた。当局は、全共闘の追求に何も釈明できず、収拾策動の場が大衆団交の場となり、あわてふためいた当局はその場を逃亡。2,000名にふくれあがったデモ隊列は、「6項目要求貫徹、封鎖貫徹」のシュプレヒコールで道路を埋め尽くした。その後全学封鎖体制、入試阻止へと闘争はエスカレートするなかで、水を吸い込んだ部隊の動向に関学闘争のカギがあり、体質がある。








(つづく)
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